23.温もり
お父さんは私の全てだった。でもそれと同時に、拭いきれない違和感が日常を占めていた。
病気の子だとお父さんにあてがわれた1人目の【弟】は、ある日突然にその姿を消した。
2人目の【弟】はずっと怪我をし続けながら怖いと縋るように泣いて帰って来なかった。
3人目の【弟】は、まるで手負いの獣のようだった。
顔を合わせた時が嘘だったかのように、常軌を逸するほどの叫び声を上げて血の涙を流しながら床をのたうち回る。
ーーもういやだ……っ! たすけて……っ、たすけてよ、お姉ちゃん……っ!
その悲痛な声は、聞いていられるものではなかった。
重ねた年齢と蓄積された不可解さは、都合の悪い現実からソフィアが目を背けることを許さなかった。
ある程度優秀で従順なソフィアは比較的に自由が許されていたこともあり、フィンの脱走に手を貸した。
けれどそれも見つかって、ふと次に気づいた時には全てが炎に包まれていた。
しでかした事の大きさに愕然として、拠り所を失った恐怖と、1人で放り出される恐怖に身体が震える。
「助けてくれてありがとう、お姉ちゃん」
紅くギラついたその瞳の奥にあるただならぬ気配は、隙あらばソフィアをも噛み殺そうとしているとわかった。
「……お姉ちゃんが、守ってあげる」
出会った時の言葉を繰り返し、そっとその腕に触れる。1人になる恐怖と保身から求められる言葉を発すれば、その冷たくて紅い瞳にはいとも容易く受け入れられた。
死にたくなくて、ただただ必死だった。
側にいると、手負いの獣がまともな教育を受けていないことはすぐにわかったけれど、素直で優しく、年相応の可愛い子であるとも直ぐに気づいた。
凍りそうなほどに冷たい瞳を時折り見せながらも、何度となく魔物から守ってくれる背中とその優しさに、次第に安心を覚えていった。
その一方で、与えられる機会のなかった温もりのようなものを、貪欲に求められているのを感じる。
必要とされる安堵を覚えるのと同時に、その執着が何かを履き違えているものだとわかっていたから、勘違いをしないように自分を律した。
いつ壊れてもおかしくない2人の不確かな関係は、ふとしたように訪れる別れの未来をソフィアに予感させる。
あの日から、確かにソフィアを守ってくれたフィンに返せることは、フィンが1人でも生きていけるように、人との共生を教えることだとどこかで思った。
一緒に寝て、起きて、食べて、笑って、喧嘩をして、喜んで、頭を撫でて、看病をして、看病をされて、字を教えて、懐かれて、照れて、困らされて、カッコよくて、可愛いくて、愛しいソフィアだけの男の子。
お姉ちゃんなんて嘘ばかりだった。
聞こえのいい言い訳を並べて、中身よりも早く成長するその身体から、必死に目を逸らし続けていたのはソフィアの方だとわかっていたーー。
「ーー思ったより早くてびっくりした」
そう言って、玄関外の手すりに腰掛けていた紅い瞳の男は小さく笑った。
五月蝿い鼓動と緊張で震える身体を制御することができない。
顔を上げられなくて、やっとの思いで支えていた扉を押し広げられると、そのまま室内へと追いやられる。
カチャリと後ろ手に掛けられた鍵の音を聞いて、ゆっくりと、目前にある体温に視線を上げるのと同時に、両頬を包まれて唇が重なった。
「ーーなんで、泣いてるの」
「ーーわからな……っ」
唇が触れ合う距離で小さく囁かれて、返した言葉は先ほどよりも深く重なったその先に消えた。
言いようのない感情が胸の内を渦巻いているのに、まるでパズルのピースがはまるように重ねた温もりは違和感なく馴染んでいく。
どこでいつ覚えたのか、絡め取られる舌に翻弄されて、ぞわぞわと背筋を走る何かに力が抜けるのに、いつの間にか逞しくなったその腕に腰を取られて逃げられない。
その服を握りしめるのが精一杯で、くたりと力の抜けた身体を支えられながらそのまま硬い床に寝かされるのに、唇だけは飢えた獣のように重ねられたままだった。
「ーー聞き方、ズルかった……?」
ソフィアに覆い被さった紅い瞳の男が、少し照れたような、困ったような顔で小さく呟けば、潤んだグレーの瞳がその紅い瞳を静かに見つめて、首を振る。
「ーーフィンを先に好きになってたのは、多分私だよ」
そう言って伸ばした腕で、その黒髪を抱えて額にキスをする。
「ーーそう言うことはもっと早く言ってよ」
真っ赤な顔を歪めて見下ろしてくる紅い瞳を見上げて、苦笑する。
「……年下の純粋な子を惑わせたらいけないと思って……」
「……何それ」
拗ねたような子どもっぽいその顔が可愛かった。
駒をひとつ進めた先は未知数で、姉弟と言う言い訳もなくなったその一方で、ずっと昔から当然のようにあった温もりは、互いを求めるように擦り寄った。
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