第8話 奴隷契約

 私の予測は当たっていた。膨張した子猫は、そのシルエットを人型へと変えて行く。私は息を飲んで、子猫の変身を見守った。


「……ふぅ」


 ほどなくして子猫は、完全な人型へと姿を変えた。それは猫の耳とシッポを携えた黒髪の子供。見た目は小学生の高学年くらい。やせ形だけど筋肉はしっかりとついている。童顔に似合わぬ細マッチョといったところ。


「あ、あの……ん⁉」


 私は声を掛けようとした瞬間、慌てて顔を背けた。だって気付いてしまったからだ。子供が全裸であることに。そして、一瞬だけ見えてしまった……。


 オスだったのか……って、そういう問題じゃない。例え相手が子供だとしても、流石に全裸を……男子の大切なモノを見てしまうのはマズいだろう。


「あぁ、えっと、キミってさ……あの……」


 混乱する頭で、なんとか会話をしようと試みる私。とりあえず色々と話を聞きたいのだけれど、脳裏にチラ見してしまった『アレ』がフラッシュバックする。


「えっとぉ、あっとぉ、その~……」


 言葉を捻り出そうと苦心していると、不意に両肩を何かに掴まれた。


「え?……って、わぁ‼」


 正面に向き直ると、目の前に少年の顔があった。


 白い肌に漆黒の髪。小顔に備わった大きな瞳の中には、猫らしい細長い瞳孔。小振りの鼻に、薄いピンク色の唇。一言で言って美少年。そんな少年の顔が、私の眼前に有った。


「……ありがとう」

「……へ?」

「助けてくれて、ありがとう……」


 少年は言葉を選ぶように、ゆっくりと感謝の気持ちを伝えてくれる。そっか……きっと、お礼を言うために人型になったんだ。


「気にしないで、無事で良かった」


 私はそう言って、子猫の時と同じように頭を撫でる。少年は少し驚いたように目を見開いてから、顔を伏せてしまった。ひょっとして照れてる? う~ん、初々しいじゃないか。私がショタだったら、ガマンできずに抱きしめているところだ。


「……あの」


 少年はうつむいたまま、ポツリと呟いた。


「ん? なぁに?」

「……お礼、する……」

「お礼?」


 なんともいじらしい。そして可愛らしい。一人っ子だった私にとって、理想的な弟ムーブだ。本人はそんなこと意識してないと思うけど。


「お礼なんていらないよ、私が勝手にやったことだし……」


 そう言いかけた私の顔に、少年の顔が更に接近する。そして……。


「お礼……」

「え?」


 少年はそのまま、自分の唇を私の唇に押し当てた。


「???????」


 一瞬で頭の中が真っ白になる。何が起こってるか? 私は瞬時に理解できなかった。


 混乱する私の脳ミソに、更なる追い打ちが掛かる。私の口の中に、何かが侵入してきたのだ。その何かは、這いまわる様に私の口の中で暴れまわる。


「ん……くちゅ……くちゅ……」

「んぐっ⁉」


 それの正体を理解した瞬間、私は両手で少年の肩を押し込んだ。絡み合っていた唇と舌が勢い良く引き離され、唾液が細い糸となって二人の間を繋ぐ。


「な、な、な、な、な……なにをやってるの!」


 思わず声を荒げた私に対し、少年は不思議そうに小首を傾げた。


「なにって……お礼?」


 いやいやいやいや、おかしいおかしい。行き倒れを救ったお礼がディープキスって、色々なモノをすっ飛ばし過ぎでしょう。


「お、お礼って……今の、その……キスが?」


 少年は私の問いに、コクリと頷く。


「あ、あのね……私はこの世界の風習を良く知らないけど、こういうことを簡単にしちゃダメなの」

「でも、あるじも俺にしてくれた」


 少年の言葉にハッとした。私、この子に口移しでご飯を上げたんだった。この美しい全裸の少年に……。


 思わずゴクリと喉を鳴らす。いやいや、アレは人命(?)救助だから。人工呼吸みたいなものだから。ノーカン! アレはノーカン! 猫が全裸なのも普通だし!


「と、とにかく、こういうことは良くないから……」


 私は少年を押し退けて立ち上がろうとした。しかし、バランスを崩して地面に尻餅をついてしまう。体に力が入らない……そういえば、二日以上なにも食べていないんだった。


「大丈夫?」


 少年が心配そうに私の顔を覗き込む。またその距離が近い。


「だ、大丈夫。大丈夫だから、もうちょっと離れて……」

「主……」


 少年が座り込んだ私の肩に手を添え、ユックリと体重を掛けた。


「ちょ……ちょっと……」


 私は抵抗することができず、そのまま少年に押し倒される。


「ちょちょちょちょちょ!」

「主、危ないから暴れるな……」


 彼はそう言って、私の肩を地面に押し付けた。体格に似合わず、もの凄い腕力だ。起き上がろうとしても、少年はビクともしない。


「ちょ、ちょっと落ち着いて。こういうことは、もう少し大人になってから……ね?」

「大丈夫、俺、得意だから……」


 少年は真っ直ぐに私の瞳を見つめる。その表情はとても美しく、そして妖艶だった……。


「主は、そのままで良い……」


 彼はゆっくりと顔を近づけ、再びその艶やかな唇を私の唇に重ねた。


「んぐっ⁉」


 そして、またもや舌を捻じ込まれる。まるで私の弱いところが分かっているような、絶妙な舌使い。


「ん……ぐっ……んん‼……んぁ♥」


 ダメだ。私はこんなつもりで子猫を助けたわけじゃない。こんなの、間違ってる……。しかし少年は私の思いなどお構いなしに舌を絡ませ、更にその手を私のワイシャツの中に差し込んできた。


「ん♥」


 彼の指先が、私の脇腹を優しく撫でる。その絶妙なソフトタッチは、快楽を伴う刺激となって全身を駆け巡った。


 ダメ、私はこんなことをしたかったわけじゃない。こんなことのために、アノ痛みを思い出したわけじゃない……。


 その時、ふとあることに気が付いた。


「んんんんんん!」


 私は残った力を両腕に込め、なんとか少年から唇を解放する。


「ぷはぁ!」


 腕力は強くても小柄ゆえに重いわけじゃない。私は少年の上体を押し込み、僅かながら距離を取った。


「ちょ、ちょっと待って! 一つだけ訊かせて!」

「うん、なに?」

「キミ、さっき私のことを『主』って言ったよね? それ、どういう意味?」


 私の問いに、少年は再び小首を傾げる。


「だって、契約したから」

「……契約?」

「そう、契約。主と俺の……奴隷契約」


 神殿で聞いたパワーワード、『奴隷』。それをこの場で聞くことになるとは思わなかった。


「……奴隷?」

「そう、奴隷」

「……誰が?」

「俺が」

「……私の?」

「うん」


 ……待って。私がこの子を奴隷として契約した? いつ? どこで? そんな覚えは全く無いし、そもそもそんな大それたこと考えてない。子供を奴隷にしようなんて……。


「ね、ねぇ……何かの間違いじゃないの? 私、キミと契約した覚えなんて……」

「間違いない、ほら」


 少年は私に跨ったまま後ろを向く。そして片手で襟足を掻き上げ、私にうなじを見せた。そこには、動物をかたどった様な入れ墨があった。鹿や羊のような、角の生えた動物だ。


「これは……」

「見えないけど、感じる。俺の首に、隷従紋れいじゅうもんがあるって」

「れいじゅうもん……」

「奴隷に刻まれる、紋章。紋章の形は、主人で変わる、らしい……主、知らない?」


 私はブンブンと、首を左右に振った。


 知ってるわけないじゃない。この世界に来て、まだ二日しか経ってないド素人なんだから……。


「そうか……じゃあ、血の盟約も、知らない?」

「血の盟約?」

「主が俺に血を与え、俺が主を主人として、受け入れる……それが血の盟約」


 何、そのスピリチュアルな儀式……。


「それって、私がやったの?」

「もちろん」

「ど、どうやって?」


 少年は私から目を逸らし、地面に転がるリンゴの芯を見た。アレは、私が子猫に食べさせたリンゴ……。


「あっ!」


 思い出した。口移しでリンゴを与える前、私は口の中をハンカチで拭った。先にかじった腐った部分を、子猫に与えないようにって。かなり強く磨いたんだった……。


 もしその時に、口の中を傷付けていたら……。


「それじゃあ……リンゴを口移しであげた時に、私は自分の血を……」


 少年はコクリと頷いた。


「改めて、俺はキャット獣人ビースト、ランス。オスの十歳。宜しく、主」

「は、はぁ……よ、宜しくお願いします……」


 十歳か……猫としては高齢だけど、少年の……ランス君の外見を見ると、獣人の成長具合は人間と変わらないのかな?


「それで、主の名は?」

「あ、ごめん。私は師部いくさべアヤ。歳は……ランス君よりは年上、かな……」

「そっか、それじゃあ……」

「……それじゃあ?」


 ランス君は再び顔を寄せ、私の肩を押す。


「お礼の、続き……」

「だ⁉ だから‼ それはもう良いんだって‼」


 こうして私は、子猫の獣人ランスと奴隷契約を結んだ。そんな彼への初めての命令が、「お礼の禁止」になった事は言うまでもない。

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