第4話 聖都ゼブルス

「痛たた……」


 私は痛む肩をさする。神殿から追い出される際、青アザになってしまったようだ。


「なんで私がこんな目に……」


 肩をさすりながら振り返ると、追い出されたばかりの神殿がそびえ立っていた。内装も豪華だったが、外観も相当なモノだ。サグラダファミリア……は言い過ぎだけど、周囲の建物と比べても別格と言えるほど巨大な建造物。神秘的と言うより、威圧的に感じてしまう。


「本当に追い出されちゃったんだな……異世界に……」


 正直に言えば、未だに現状を受け入れられたわけじゃない。いや、信じたくないと言う方が適切だと思う。しかし肩に感じる痛み、見慣れぬ風景、そして往来する異人種が私に現実を突きつける。


 古代ヨーロッパ風の街並み。まるでゲームやアニメのコスプレをしているような、奇抜な格好をした人々。戦士風の人、魔法使い風の人、ケモミミやシッポを生やした人までいる。馬車なんて巨大なトカゲが引いてるし……。


「認めざるを得ない……か」


 私は溜息を吐きながら、ポケットの中から小袋を取り出した。神殿から叩き出される直前、「当面の生活費だ」と言って押し込まれた物だ。


 結ばれた紐をほどくと、袋の中に金色のコインが見えた。数にして40~50枚くらいだろうか。確か男が言うには……。


「無駄遣いをしなければ、数か月は暮らしていける」


 と、言うことらしい。この世界の生活水準は分からないけど、元の世界の価値観でいうと最低でも100万円はあるのかなぁ……。


「それにしても紗羅のヤツめ、アッサリと私を見捨てやがってぇ……」


 私が引きずられている時の紗羅の笑顔。今思い出しても腹が立つ。


 そういえば、紗羅って職場内では悪い噂ばかりだったな。部長と不倫してるとか、取引先に枕営業してるとか。上司に色香を使って、仕事のミスを他人に押し付けているとか……そんな下品な噂。


 可愛がってた後輩だし、ただの噂だって気にしてなかったけど……。


「さようなら、先輩♥」


 あの時の紗羅の笑顔。今まで私には見せたことの無い表情だった。キレイだけど、寒気を覚えるほど冷たい視線……。


 あれが紗羅の素顔。紗羅にとって私は、その程度の人間だったのかな……。


「受け入れるしかないのかなぁ……」


 もう一度振り返ると、神殿の入り口に屈強な大男の姿が見えた。きっと門番だろう。アレを攻略して神殿の中に戻れる自信は無い。私は金貨の入った袋を握りしめ、溜息をつきながらトボトボと歩き出した。


 神殿を離れてからしばらく。徐々じょじょおごそかな雰囲気が鳴りを潜め、急激に活気があふれてきた。多くの建物の前に、食料品や衣類らしき物が並べられている。商店街のようなモノだろうか。


 この世界で生きていくには、こういった店での買い物を覚える必要がある。貨幣価値や相場、必要な日用品も知らなくちゃいけない。手始めに服でも買ってみようかな。この異国情緒あふれる雑踏の中、スーツ姿は目立ちすぎる。


 しかし、今最優先すべきは他にある。コレから先のことを考えるためにも、まずは拠点となる場所が必要だ。幸い私は、この世界の言葉だけではなく文字も読めるらしい。私は周囲を見渡し、それらしい看板を探した。


「これ……かな?」


 私は立ち並ぶ建物の中から、レンガ造りで赤茶けた建物の前で立ち止まった。看板に書かれた文字は『ほおずき亭』。端っこに小さく『お食事・宿泊』とも書かれている。


「思った通り、どんな世界でも宿屋はあるよね」


 雨汁を凌ぎ、安心して食事や睡眠が取れる場所。何をするにも住居の確保は必要だ。私は宿屋の前で、何度か深呼吸を繰り返した。


 神殿以外で、初めてコチラの人間と話さなければならないんだ。言葉は分かっても多少は緊張する。


「……よし」


 私は小さく気合を入れてから、宿屋の扉を押し開けた。ドアベルが鳴り、わずかに湿った空気が流れてくる。


「お、おじゃましま~す……」


 ゆっくりと扉を開き、私は建物の中に足を踏み入れた。正面にカウンター、右手には上へ昇る階段、左手には廊下が続いている。きっと階段や廊下の先に客室があるんだろう。


「誰も居ないのかな……」


 ドアベルは鳴ったはずだけど、お店の人が出てくる気配はない。私はカウンターに歩み寄り、呼び鈴を鳴らした。


 チーンと言う甲高い音が鳴る。暫くすると、奥からドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。


「は~い! 今いきまぁ~す!」


 女性の声だ。とりあえず人がいたことにホッとする。そして十秒も経たずに、カウンターの奥の扉が開かれた。


「いらっしゃいませ! お食事ですか? ご宿泊ですか?」


 現れたのはエプロン姿の若い女の子。走ってきたのか呼吸が荒く、肩と共に栗色の三つ編みが揺れている。歳は15~16くらいだろうか? クリッとした大きな瞳が可愛らしい。


「お客様?」


 無言で女の子を見つめていた私に、女の子が小首を傾げる。


「あ、ゴメンなさい。宿泊をお願いしたいんですけど……」

「ありがとうございます。宿泊のみなら一泊3000ギル、食事付きで一泊5000ギルになります」


 ギルと言うのはお金の単位か。確認しても良いんだけど、お金の単位を聞くと怪しまれないかな?


 まだ異世界からの転移者が、この世界でどんな評価をされているか分からない。目立つ行動は避けるべきだ、と思う。まぁ、スーツ姿の時点で充分目立っているんだけど……。


「と、とりあえず一泊……食事付きでお願いします」


 まずは金貨を一枚出して様子を見よう。相手の反応やお釣りで金貨の価値が分かるはず。


「あ、申し訳ございませんお客様……実は急な宴会の予約が入ってしまって、本日はお食事がご用意が出来ないんです……」

「えっ、そうなの?」

「明日の朝食からならご用意できるんですけど、今晩の分は……近くに食堂がありますので、そちらをご利用いただければ……」

「そ、そっか……」


 今はまだ、あまり出歩きたくないんだけど、かと言って、また宿を探し直すのもなぁ……。


「分かりました、それじゃあ明日の朝食だけお願いします」

「かしこまりました! それでは朝食分はサービスしますね! 宿泊のみで3000ギルいただきます」


 女の子は、お釣りとして数枚の銀貨と銅貨を差し出した。ざっくりと頭の中で計算したところ、金貨は一枚5万ギル。銀貨は1万ギルで、銅貨が1000ギルらしい。1ギル=1円って感じなのかなぁ。もっと細かい硬貨や紙幣もありそうだ。


 そう考えると、貰った金貨は総額で200万以上か……思っていたより大金だった。なんだか持っているのが怖くなってくる……。


「それじゃあ、早速お部屋にご案内しますね」


 女の子はカウンターを出ると右手の階段へと進む。良かった、ようやく一息つける……そう思った途端。


 ぐぅ~~~。


 盛大にお腹が鳴る。女の子は私と目を合わせ、クスクスと可愛らしく微笑んだ。


「お腹、空いてるんですか?」

「……はい、そうみたいです」


 一瞬で顔が火照り、真っ赤になったことが分かる。窓から外を見ると、空も私と同じように赤く染まっていた。そういえば朝食を抜いていたんだっけ。


「では先にお食事に行かれたらいかがでしょう。食堂なら、開いているはずですし」

「そうします……」


 まずは燃料補給かなぁ……。私は女の子に見送られながら、教えてもらった食堂へと向かった。

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