第2話 陥落

「……で、でも危険なんでしょう?」


 貴金属の誘惑に抗いながら、褐色肌の女性が声を上げた。いくら高額な物を貰っても、死んでしまったら意味がない。しかしお爺ちゃん神父は、柔和にゅうわな微笑みを称えたまま首を横に振った。


「ご安心ください。聖女様は各地に存在する神殿で生活していただまきす。そして一日に一度、女神像の前で祈りを捧げていただくだけで良いのです」


 女性陣の気炎が、見る間に沈静化していくのが分かる。


「戦場に赴くことはございません。日常的に護衛もつけますし、聖女様が危険にさらされることなど絶対に無いと断言しましょう」


 女性陣に今までとは違った動揺が生まれる。目の前に提示された報酬、そして心のどこかに存在する異世界へのあこがれ、そして元の世界への不満。現実離れした状況も手伝って、皆が場の雰囲気に流され始めたように見えた。


 マズい空気だ……。


 このままでは、私達は聖女とやらにされてしまう。本当に危険がないかどうか、確証なんて無いのに。私がなんとか流れを変えようと思案していると……。


「あ、あの……」


 恐る恐ると言った感じで、私の袖に掴まっていた紗羅が手を上げた。


「この世界に危険が迫っていることは分かりました……でも、私には元の世界で待っている人が……大切な人がいるんです」

「紗羅……」

「やっと……やっと見つけた大切な人が……」


 涙目で精一杯声を張る紗羅に、私は少しだけ目頭が熱くなった。紗羅は、すでにご両親を亡くしている。兄弟も居ない。彼女には家族と呼べる人間が居ないんだ。


 一年前、そんな紗羅に恋人ができた。互いにベタ惚れらしく、婚約も近いらしい。


「彼と温かい家庭を作るのが夢なんです」


 そう言って微笑む紗羅は、とても幸せそうだった。そうだ、ここで受け入れてしまったら、紗羅はもう彼とは……。


「紗羅のいう通りです、今すぐ私達を元の世界へ帰してください!」


 私も紗羅に続き、お爺ちゃん神父に訴えかける。


 私達の言葉に何か思うところがあったのか、他の女性陣も不安そうな表情を見せ始めた。私は場の空気が変わりつつあることを感じ始める……。


「申し訳ございませんが、転送術は三十年に一度しか使用できぬのです……今すぐにというわけには……」

「なんですって⁉」

「申し訳ございません……」


 お爺ちゃん神父が頭を下げると、再び女性陣から非難の声が上がる。


「そんな……あぁ、アキラ……」


 紗羅が彼の名を呟き、床に崩れ落ちる。


「紗羅……」


 私は紗羅を支えながら、お爺ちゃん神父を睨みつけた。


「彼女には……紗羅には大切な彼氏がいるんです! 紗羅を彼の下に帰してあげてください!」

「それは不可能なのです、聖女様」


 お爺ちゃん神父が頭を下げると、ヒートアップした女性陣が一斉いっせいにブーイングを始める。


「ふざけるな!」「家に帰せ!」「人でなし!」「クズ!」「お前の国なんて知った事か!」


 あらゆる言語の罵詈雑言ばりぞうごんが、お爺ちゃん神父へと向けられる。こういう時……同じ苦しみを共感できない私は、ある意味で幸せなのかも知れない。


 ……それは兎も角。実際問題 帰る手段がないのでは、いくら文句を言っても意味がない。私は……紗羅は、どうすれば良いんだ……。


「落ち着いて下され、聖女様」


 お爺ちゃん神父の一言に、女性陣のブーイングがピタリと止まった。声を張り上げたわけではない。しかし、その威厳いげんに満ちた一声は、女性陣の金切かなきり声を一瞬で打ち消すに充分な迫力があった。


「大切な方々と引き離してしまったとがは、国が救われた後に神罰を持ってつぐなう所存。しかし、今はこの国を救うためご助力をいただきたいのです……」

「そんな……ひどい……」

「その代わりと言ってはなんですが……」


 お爺ちゃん神父が再び指をパチンと鳴らした。すると、宝箱を運んできた男性が頭に手を乗せる。そして、被っていたフードをユックリと引き上げた……。


「……はぁ」


 どこからともなく溜息が聞こえてきた。そこに込められた意味は明白だ。


 フードの中から現れた男性は、イケメンなどと言う安直な言葉では表現できないくらいに……美しかった。


 眉目秀麗びもくしゅうれい? 容貌魁偉ようぼうかいい? 私のボキャブラリーでは、目の前の男性を何と表現して良いか分からない。


 白銀の髪に透き通るほど白い肌。神がデザインしたかのように、ミリ単位で調整されたご尊顔。神秘的な真紅眼レッドアイズ。ぷっくりとした魅惑的な唇。人種や個人の好みを超越した、誰一人否定しようのない美男子がそこに居た。


「おほんっ」


 美男子に見惚れていた女性陣が、お爺ちゃん神父の咳払いで我に返る。


「この者の名はドラード。私の従者ですじゃ。聖女様が我らの願いを聞いてくださった暁には、聖女様の奴隷として契約させる予定です」

「ど……奴隷……」


 荘厳そうごんな空間に、「奴隷」というパワーワードが響く。


「皆様の世界に存在するかは分かりませぬが、奴隷は主の所有物。如何様いかように扱っても構いません。護衛から身の回りの世話はもちろん、夜の相手まで……」

「夜の相手って……」


 私の脳内にイケナイ妄想が湧き上がる……。


 それは、そよ風が心地良い静かな夜。アノ美男子が、私の待つベッドへと歩み寄る。うやうやしく一礼した彼は優しく微笑み、挨拶をするかのように唇を重ねる。そして彼の手が、唇が、私の体を這う。そしてお返しとばかりに、私の手や舌が彼のあんな所やこんな所を……。


 ゴクリと、誰かが生唾を飲み込んが音が聞こえた。


 マズい……。


 またもや流れが変わりそうな空気。しかも、今までで一番大きな流れになりそうな予感……。私は慌てて頭を振り、脳内の妄想を振り払った。


「先輩……」


 その声に私はハッとした。そうだ、私まで流されたら紗羅は……。


「大丈夫だよ紗羅、私が……」


 私は紗羅を励まそうと傍らの彼女を見た。そして……言葉を失った。


 紗羅が頬を染め、口を半開きにして美男子を見つめていたからだ。


「さ、紗羅?」

「先輩、帰ることができないなら……仕方がないですよね……」


 忘れてた、紗羅って極度のイケメン好きだったんだ。アキラ君を選んだのも、顔が好みだからだったっけ……。


「ちょっと紗羅、アキラ君はどうするの?」

「30年も帰らなければ、アキラも私のことなんて忘れちゃいますよぉ……」


 ダメだ、完全に見惚れている。完全に……メスの眼をしている。


「従者はドラード以外にも多数おります。見姿はドラードに劣らぬ見目麗みめうるわしい者ばかり。聖女として使命を受け入れてくださるなら、何名でも奴隷として遣わしましょうぞ」


 お爺ちゃん神父のとどめの一撃。私の脳裏に「逆ハーレム」の言葉が浮かぶ。


「私、聖女……やっても良いかなぁ……」


 紗羅がポツリと呟いた。そして背後から、次々と同調する声が聞こえ始める。


「そうね……」

「どうせ30年も帰ることができないなら……」

「危険がないなら、やってみても良いかも……」


 勝負は決まった。ただでさえ帰る手段がない上、これほどのエサをチラつかされれば抗う術はない。正直に言えば、私自身もかなり揺らいでいた。


 異世界の美男子をはべらせた、逆ハーレムに……。

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