第16話 覚醒

 ランスは膝を曲げ、四つん這いになるギリギリまで腕を下げた。そして弓の弦を引き絞るように、全身の筋肉をこわばらせる。


「来るぞ!」


 隊長が叫んだ瞬間、ランスがその身を弾丸と化して跳躍した。


「ぐぅっ‼」


 標的は影。影は振り抜いたランスの右拳を、片腕でガードする。しかし影の体は、ランスの一撃で軽々と吹き飛ばされた。


 影を吹き飛ばしたランスは、着地と同時に直角に飛ぶ。そして体を反転させると、隊長に回し蹴りを喰らわせた。


「おのれぇっ!」


 両腕でガードした隊長は、何とかその場で踏みとどまる。そして間髪入れずに、二本のナイフを高速で繰り出した。しかしランスはそれを全てかわし、逆に両手の爪で隊長に斬りかかる。空気を切り裂く音が絶え間なく続く。その流麗な動きは、二人でダンスを踊っているようにも見えた。そう、見えたんだ……。


「……なんで? さっきは全く見えなかったのに」


 私は今まで、三人の動きが全く見えてなかった。ただ剣劇の火花がまたたいて見えただけだった。それなのに、今は二人の斬り合いがハッキリと見える。刃の軌道さえも。


「クソガキィ!」


 ランスの一撃で吹き飛ばされた影が戻ってくる。そして隊長と二人でランスを挟み、凶刃を振り抜いた。


「ランス! 危ない!」

「にゃっ!」


 しかしランスは、四本となった敵の刃を軽々とかわしていく。その身のこなしは、まさしく猫。時に飛び跳ね、空中で身を捻ってナイフをかわす。そして片手で着地したかと思えば、逆立ちしながら両足を振り回し、足の爪で影達に斬りかかる。


 その一挙手一投足を、私の眼は捉えていた。本当に不思議だった。ランスの動きは、さっきよりも確実に速くなっているはずなのに……。でも、今はそんなことどうでも良い。


「ランス……頑張れ……」


 ランスは二人を相手にしても負けていない。それどころか押している。このままなら、影達を退けられる。なんでこうなったのか全く分からないけど、ランスが生き延びてくれればそれで良い。


「この野郎がぁ!」

「オイ⁉」


 焦った影と隊長との呼吸が僅かに乱れる。


「にゃにゃにゃにゃあ‼」


 ランスは、その一瞬の隙を突く。ランスが背後に向かって右足を蹴り上げると、影のナイフが弾かれ宙を舞った。


「しまっ⁉」

「にゃぁあああ‼」


 ランスが振り向きざま、右手を袈裟懸けに振り下ろす。布の裂ける音と共に、真っ黒な影の上半身から、赤い液体が飛び散った。


「ぐぁあああああ‼」


 影の絶叫が響く。勝った……私は確信した。ランスは二人を相手にして、互角以上の立ち回りをした。一人が傷を追えば、間違いなく……。


「主‼」

「……えっ?」


 気を抜いていたわけじゃない。それでも気付けなかった。隊長が、私に向かって駆け出していたことに。そうだ、そもそも彼らの目的は私自身。無理にランスと戦う必要は無いんだ。


「主ぃ‼」


 ランスが私を助けようと駆けてくる。でも間に合わない。このままじゃ、私は隊長に殺される。


「……いやだ」


 ランスさえ生き残ってくれれば良いと思ってた。今でも、最悪それで良いと思う。でも、これはチャンスだ。ランスがくれた、二人で生き残るためのチャンスなんだ。


「待てっ! やめろ‼」

「残念だったな、獣人」


 隊長が右手を振り上げる。私は逃げることなく、敵に向かって前進した。そして隊長の右腕に向かって手を伸ばす。背負い投げを狙って。


「……それは、もう見た」


 しかし隊長は冷静に右腕を引く。私が背負い投げ狙いであることを、見抜いていたんだ。


「最後だ、異世界の聖女候補よ……」


 隊長はナイフを持ち直す。今度こそ私の息の根を止めるために。


「主ぃいいい‼」


 私は見えていた、隊長の動きが。だから直前で切り替えたんだ。ターゲットを隊長の右腕から……左腕に。


「なっ⁉」


 私が先生から背負い投げを褒められた理由。それは投げその物だけじゃない。利き腕に関係無く、左右どちらからも投げられたからだ。私は隊長の左腕を両手で掴む。そして体を捻り、相手の重心の下にもぐり込むと、残り火のような力を振り絞って両膝を跳ね上げた。


「うわぁああああああ‼」


 隊長の体が浮かび、私はバランスを崩して前のめりになる。一瞬の間を置き、隊長の背中が地面に叩きつけられた。そして前のめりになった私は、前転をするように隊長の上をに圧し掛かる。


「ぐぅ‼」


 私の全体重をお腹に受け、隊長が小さく呻く。そして、すかさずランスが私と隊長の間に割り込んできた。


「ニ”ァアアアアアア‼」


 ランスが吠え、右腕を倒れた隊長へ振り下ろす。ギリギリでランスの爪を避けた艇長は、素早く起き上がり私達から距離を取った。


「グルルルル……」


 ランスは私から離れず、唸りながら隊長を睨みつける。隊長もまた、距離を置いたままナイフを構えた。


「隊長、わりぃ……」


 そこに影がやって来た。ランスの一撃は、致命傷ではなかったらしい。


 私達は2対2の構図となり、距離を取ったまま膠着状態となる。私はもう、立ち上がる力すら残っていない。ただでさえ戦力にならないのに、足手まといになったらランスまで危険が及ぶ。


 どうする、どうする、どうする……。


 私は必死に、この場を凌ぐ方法を考えた。でも何も思いつかない。思いつかないけれど、諦めたくない。何か、何かないか……。


 ……その時。


「……退くぞ」


 私が答えを出せずにいると、とつぜん隊長が構えを解いた。


「お、おい、隊長……」

「今の我々では任務を全うできん。この場での最悪は……我々が獣人に殺され、屍を晒すことだ」


 隊長は再び冷静さを取り戻したかのように、淡々と語る。


「それだけは、避けねばならん」

「……了解」


 隊長の決断に、影が渋々といった感じで頷いた。


「異世界の聖女候補よ」

「……え? 私?」


 とつぜん声を掛けられ、思わず聞き返してしまう。


「夜が明ける前に村を出るが良い、さもなければ……今度こそ命は無いだろう」

「主に命令するな!」

「命令ではない、聞きたくなければ留まっていれば良い。死ぬだけだがな……」


 吠えるランスに、隊長は冷静に反論する。ここは私も冷静にならなければ……。


「夜が明ければ、事件を隠滅するための仲間が来る……ってこと?」

「どう捉えても構わん」


 ハッキリとしないな。でも、なぜか隊長の言う通りにした方が良いような気もする。


「なぜ、私達を逃がそうとするの? 私を殺すのがアナタの仕事なら、仲間が来るまで足止めするべきじゃないの?」

「……可能性だ」

「可能性? 何の?」

「それは言えん。ただ勘違いするな、我々は貴様らを生かそうとしているわけではない」

「それは……どういう意味?」

「ただ委ねるだけだ、神の意思に……な」


 その時、機械的だった隊長の声が、一瞬だけが優しくなったような気がした。


「神の……意志?」

「お喋りはここまでだ、後は勝手にしろ」


 隊長はそう言い残すと、踵を返して歩き出す。


「やれやれ、困った隊長さんだぜ」


 残された影は肩をすくめて見せる。そして、私……ではなく、ランスを見た。


「おい獣人。胸の傷の借り……必ず返させてもらうぜ」

「次は殺す!」

「お~お~おっかねぇ」


 影は再び肩をすくめると、隊長の後を追って闇の中へ消えて行った。


「……終わった、の?」


 私はしばし、二人が消えた闇を見つめていた。そして人生最大の危機をしのいだと理解したとたん、全身が脱力し、その場で膝を折った。


「主! 大丈夫⁉」


 ランスが慌てて私の体を支える。


「だ、大丈夫……それより、早く村を出よう……」

「アイツの言うこと、聞くの?」

「うん……今は、それが一番だと思う」


 彼を信用したわけじゃないけど、あの場面で嘘をつく理由がない。それに私自身、今は村を出て身を隠すのが最善だと思う。


「とにかく、この場を離れて……」


 私は両足に力を込めて立ち上がろうとする。しかし本当に全力を出し尽くした私の膝は、もう自重を支えることすら叶わなかった。


「主……」

「ご、ごめん、すぐに立つから……」


 私がもう一度立ち上がろうと試みると、ランスが背を向けて私の目の前でしゃがみ込んだ。


「主……乗って」


 ランスの小さな背中が、とても大きく感じられた。森の中では拒否をしたランスのおんぶ。あの時は、近い内に離れるつもりだった。だから情が移るのは避けるために、あえて拒否をしたんだけど……。


「ランス……お願い……」


 私はランスの背中に体を預けた。


「うん、任せて」


 ランスは私を背中に乗せて、軽々と立ち上がる。そして、なぜか嬉しそうに走り出した。


「ありがとう、ランス……」


 ランスが燃え上がる家々の隙間を縫い、村の外に向かい駆け抜ける。きっとこの炎の中には、住人が居るんだろう。私のせいで、殺された人達が……。


「おかみさん……お爺さん……」


 かすみ掛かった脳裏に、おかみさんや服屋のお爺さんが映し出された。


「……うっ」


 安堵感と出血が重なったことで、急激に意識が遠のいて行く。それでもなぜか、彼らの姿だけは消えることなく、脳裏に残り続けた。気を失う、その直前まで。


「……ごめんなさい……ごめん、なさい」


 繰り返す謝罪。ランスには聞こえていたはずだけど、彼は何も言わずに私を背負って走り続けてくれた。私が気を失っても、ずっと……。

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