第15話 お礼
「なんだぁ、コイツは……」
「ニギァアアアアアア‼‼」
炎で彩られた月夜に、獣の咆哮が響き渡る。
「ランス……何で……」
……何で戻って来たのか。それは訊くまでもない。ランスが優しい子だから……それだけで充分に説明がつく。
「仲間か……そんな話聞いてねぇぞ」
影が左手を腰に当て、もう一本のナイフを取り出した。それに合わせて、隊長と呼ばれた影も二つの獲物を構える。
空気が変わった。二つの影は、明らかにランスを障害と認識している。そして私の時と異なり、全力を持って排除しようとしている……。
「ランス! 逃げて!」
敵わない……そう直感した。
私は町道場で、習い事として武道を経験した程度。命懸けの戦闘なんて未経験だし、実力差なんて分からない。ただ感じた。ランスは二人に敵わない……殺される……と。
「ランス!」
「シァアアアアア‼」
ランスは振り返る事無く、影に向かって吠え続ける。私の声が届いていない?
「ランスっ! お願い逃げて!」
「止めとけ、無駄だ」
手を伸ばそうとした私を止めたのは、影だった。
「アンタらの関係は知らねぇけど、ずいぶんと信を置かれているらしい。こうなった
「
二つの影が腰を落とす。
「……気を抜くなよ」
「相手がガキだからって、獣人相手に油断するヤツは三流だろ」
ランスを前にした影には、油断もおごりもない。
「ランス……」
空気が張り詰める。街道で魔物とエンカウントした時とは、比べ物にならないくらい空気が重く感じる。
「……行くぞ」
「……おう」
「ニャガァアアアアアア‼」
周囲の炎が一陣の夜風に煽られた瞬間、目の前に居た三つの人影が消えた。そして始まった。一方的ではない、殺意を盛った者同士の殺し合いが……。
「フギァアアアアアァアアア‼」
夜空に響き渡るランスの咆哮。そして背景の炎が揺れる度に奏でられる金属音。
影達はナイフで、ランスは爪牙で。互いを打ち倒そうと、各々の獲物を振るう。でも、私はそれを視認することができない。ただ瞬くように散る火花を、かろうじて視界に捉える程度だった。
これが、この世界における私という存在。非力で、無力で、ただ守られるだけの……口先だけの存在。ランスに「幸せに暮らして欲しい」なんて言いながら、今の私は彼を逃がすどころか、盾にすら成れない。
「く……そぉ……」
どうして私は、ここに居るんだろう。私がさっさと村を出ていれば、おかみさん達が殺されることも、ランスが戦うこともなかった。そもそも私が不用意にランスを奴隷にしなければ……あの森で死んでいれば……ランスに……出会わなければ……。
「ギ二ャァアアアアアア‼」
「……えっ?」
反射的に振り返る。視線の先には、宿屋の壁に叩きつけられ、ぐったりと
「ランス‼」
私は痛む体に鞭を打って、ランスの下へと駆け寄った。
「ランス! しっかりして!」
「……あ……ある、じ……」
ランスは弱々しく顔を上げ、小さく唸る。彼の全身には、数え切れないほどの切り傷が刻まれていた。致命傷は避けているようだけど、このままでは失血死してしまいそうだ。
「早く……早く止血を……」
「無駄だよ」
全身に鳥肌が立つ。私はランスを庇うように、両手を広げながら振り返った。
「この場で手当てなんて意味がねぇ」
二人の影が、ユックリと私達に向かって歩み寄る。
「手当ならせめて、俺達から逃げおおせてからにしねぇとな」
「……我々を相手にして、良くもった方だ……褒めてやると良い」
今の影は、私を嘲笑ったりしない。ただただ現実を叩きつけてくる。そうだ、影から逃げなければ……いや、逃がさなければ……ランスのことを。
「ランス……
私は腰から護身用のナイフを取り出した。
「……ある……じ……ダ、メ……」
人に刃物を向けたことなんてない。勝てるとも思ってない。でも、やるしかない。
「う……わぁあああああああ!」
私はナイフを腰に当て、影に向かって駆け出した。多分当たらない。それでも避けようとはするだろう。そうしたら影に掴みかかってやる。そしてしがみ付いて、縋り付いて、足止めするんだ。ランスが逃げるまで……。
でも今の私には、そんなことすら出来なかった。
「おせぇよ……」
影は避けるどころか私に向かってくる。そして走るファームの延長のように、右の拳をアッパー気味に繰り出した。
スローモーションのように、影の拳が私の腹部にめり込んでいく。さっき膝蹴りを喰らった場所と全く同じところを、寸分の狂いもなく。
「……うぐ‼」
激痛と共に、再び熱い物が込み上げてくる。口内に鉄の味を感じたと同時に、私の体は軽々と後方へ飛ばされた。地面に叩きつけられた私は、そのままゴロゴロと転がっていく。
「……あっ……ぐ‼」
息ができない。意識がハッキリしているせいで、痛みと息苦しさが同時に襲い掛かってくる。
「ある……じ……」
微かにランスの声が聞こえる。擦れた視界に、苦し気な表情をしたランスが見えた。自分が苦しいからじゃない、私が傷付いているから あんな顔をしているんだ。
「ランス……」
気が付くと、私は
私が這いずっている間も、影達は警戒しながら近づいてくる。私は体を砂まみれにしながら、何とか影よりも先にランスの下へたどり着いた。ランスは未だ動けないようだ。
「ラン、ス……ごめんね……本当に、ごめん……」
私はランスを抱きしめた。愛しいから……と言うよりも、彼を守りたかったから。例え、無駄だとしても……。
「なぜ、主が、謝る?」
ランスは意識が
「謝るの、俺、主、悪く無い……」
「ううん……私が、ランスを巻き込んだから……」
「俺……お礼、できなかった」
ランスの瞳が、にじんでいるように見えた。
「命、助けられた……服も、買ってくれた……」
「そんなこと……」
「それに……生きろって……言ってくれた」
倒れていたランスを介抱していた時、確かに私は言った。「生きて」と。
「奴隷になって……初めて言われた……。怪我しても、死にかけても……言われたこと……なかった」
「ランス……」
「……嬉しかった……なのに、お礼……できなかった」
私は気軽に「お礼なんてしなくて良い」と言った。けれど、お礼はランスにとって とても重要なことだったんだ。それなのに私は、それを拒否してしまった。勝手な『大人の対応』で、突っぱねてしまったんだ。私がお礼を受け取っていたら、ランスは逃げてくれたのだろうか?
「主……ごめんなさい……」
「謝らないで、ランス……」
影の足音が近づいてくる。このまま私が盾になってもランスは守れない。きっと二人とも殺されるだろう。ならば、せめて少しでもランスの想いに応えるのが、主人である私の責任。
「ランス……本当に、ありがとう……」
この行為が正しいとは言えないかも知れない。ただこれで、少しでもランスの無念さが晴れてくれれば……。
私はランスに顔を寄せ、静かに唇を重ねた。ドラマやマンガのようにロマンチックな代物じゃない。互いに傷だらけで泥だらけで、息も絶え絶えの中で交わされた不格好なキス。それでも、最後に彼の熱を直接感じられたのは嬉しかった。
数秒後、ユックリとランスから唇を離す。そして最後の力を振り絞り、立ち上がった。
「……まだ諦めねぇか」
「言ったでしょ……私を諦めて良いのは、私だけ……」
「だったな……」
影がナイフを握り直す。私もまた、護衛用のナイフを握り直した。
この世界に本当に神様がいるのなら、聖女召喚に巻き込まれた私に少しだけ同情して欲しい。そして百分の一……千分の一……いや、万分の一の確率で良い。私にアイツらを……アイツらと刺し違える奇跡を起こさせて。このハズレ聖女に、一度だけ力を貸して。
「行く……ぞ」
まずは隊長と呼ばれた影に突っ込むんだ、差し違える覚悟で。私は意を決して両足に力を込めた。しかし……。
「なんだ……アレは?」
呟いたのは隊長だった。隊長は私を……いや、私の後ろを見ているような気がした。私は敵に隙を見せる危険を分かっていながら、隊長の視線を追った。
「……えっ」
私の後ろにはランスが立っていた。さっきまで身動き一つ取れなかったランスが、私の後ろに立ち影達を睨みつけている。
「ラ……ランス?」
違う……何かが違う。今までのランスと、雰囲気が全く違う。見た目は変わらないのに……そう、まるで子猫じゃなくて猛獣の前に立っているような、そんな威圧感を感じる。
「……なんだ、その瞳は?」
隊長が再び呟く。
「……瞳?」
改めて見ると、黒だったはずのランスの瞳が深紅に変わっていた。
「ランス……いったい何が……」
「なぜだ!」
私の声を掻き消したのは、隊長の怒号だった。
「なぜ貴様が! ソレに成れる‼」
それまで機械的だった隊長の激昂した姿。それは相棒である影が驚いて動きを止めるほど、意外なモノだった。
「……主」
背後からランスの声が聞こえる。
「ランス……大丈夫なの?」
振り向いた眼前にランスの顔があり、私の胸が場違いに高鳴った。ランスは瞳が深紅になった以外、外見に変化はない。それなのに、なぜかとても大人びて見えた。
「主、もう大丈夫、休んでて」
「もう大丈夫って……なんで?」
「分からない、でも大丈夫」
ランスは、そう言って私の前に出る。不思議と、あれほど酷かった出血が止まっているように見えた。
「負ける気、しない……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます