第14話 再来
「お、おかみ……さん……」
おかみさんは口を半開きにして、虚空を見つめていた。アノ人の良さそうな笑顔が、恐怖と苦痛で歪んでいる。
「な、なんで……」
「やっと見つけた」
聞き覚えのある声に、私は反射的に振り返った。
「まさ、か……」
急速に鼓動が高鳴り、視界が歪んでいく。予想していたモノが、そこにあった。
「こんなところに居やがるとはなぁ」
影だ。私を殺そうとした影が、暗がりの中で佇んでいる。全身黒づくめの彼は、その手にランタンと思われる小さな灯りを持っていた。
「あ、アナタが……彼女を……」
おかみさんを殺したの? そう言いたかったが言葉が出てこない。
「彼女?」
影は不思議そうに小首を傾げ、手にした灯りを掲げて見せる。
「誰のことだ?」
「っ⁉」
影の足元には人間が……いや、人間だったモノが転がっていた。それは、宿屋のスタッフであるおかみさんの家族。まさか、宿にいる全員を殺したの? 私一人を、探すために……。
「なんてことを……」
「さて、コッチの仕事も片付けるか」
影は灯りを床に叩きつけると、こちらに向かって歩き出した。影の背後で、ランタンの炎が遺体に燃え移るのが見える。
「まったく、こんな仕事に時間を使ってるほど暇じゃねぇってのによぉ」
影の苛立ちが伝わってくる。酷く身勝手で、一方的な苛立ちが……。
「今度は素直に殺されて……」
「くっ‼」
私は震える足を
「もう逃がさねぇよ」
出入り口の扉を開けた瞬間、私は背中に激しい衝撃を受けた。どうやら影に蹴られたらしい。
「いつっ⁉」
私は押し出されるように開放された扉を潜り抜け、目の前の道へと転がり落ちる。
「いった……」
すぐに立ち上がろうと思ったけど、背中の痛みが体を硬直させた。
「いい加減諦めな」
私を追って影が宿屋から現れる。
「誰が……諦めるもんか……」
私は何とか立ち上がり、その場から離れようとした。しかし……。
「まだ終わってないのか?」
それもまた、聞き覚えのある声。無機質で感情の読み取れない、機械的な声。あの時、影と一緒に私を殺そうとした、もう一つの影だ。二つ目の影が、私を通せんぼするかのように表れた。
「グズグズするな、さほど猶予は無いぞ」
「……そういうアンタは終わったのかよ」
不機嫌さを隠さない影に、彼の相棒は自分の後ろへ向けて顎をクイと動かした。私も無意識に、その先に目を向ける。
「……え?」
家が、燃えている? それも一軒や二軒じゃない。村にひしめく木造の建造物全てから、火の手が上がっていた。
「この村で生きているのは、この女だけだ」
ウソ……まさか全員? 宿屋だけじゃなくて、この村に居る人全員を……。
「そんな、そんなのって……」
私は
「へっ、さすが隊長さんだね。仕事がはえぇわ」
「……万が一にでも、身元に繋がる情報は口にするなと言わなかったか?」
軽口を叩く影に、隊長と呼ばれた影が鋭く釘を刺す。
「はっ、ビビんなよ。これから死ぬヤツに知られたところで、意味なんざ無いだろ?」
何なの……こいつらは何なの? 私一人を消すために、こんなことを……。
「あ、アナタ達は……誰? 何でこんな酷いことを……」
私は震える声を、なんとか絞り出した。
「悪いが、そりゃ言えないね」
影が半笑いで私の問いかけを突っぱねる。でも退けない。今は何でも良いから、突破口を……その糸口を見つけないと……。
「神殿の手先? 私の存在を知っているのは彼らだけだもんね。 でも、なぜ殺す必要があるの? 無関係の人を、こんなに大勢巻き込んでまで……」
「……言えねぇなぁ」
影が少しずつ間合いを詰める。ダメだ、聞く耳を持ってくれない。
「アンタにゃ悪いと思ってるよ。ただ、俺達もこうするしかないのさ」
「何よ、こうするしかないって……そんなことで……納得できるわけないでしょ」
「……納得してもらう必要はない」
私は横目で自然と二人との距離を測る。包囲を抜けられる可能性が、少しでも高い道を選ぶために。
「勝手なことを言わないで……私は、諦めるつもりも、殺されるつもりも……無いんだから!」
そして意を決し、影の脇をすり抜けようと駆け出した。
「あめぇよ」
私が影の脇を抜けようとした瞬間、影の手が私の後ろの襟を掴む。
「もう二度と逃がすわけには……」
ここまでは予想通り。私は襟を掴まれたまま強引に振り返ると、素早く影の腕を掴んだ。そして影の腕を抱えるようにしながら、体を捻り、腰を跳ね上げる。
「白帯なめんなっ‼」
幼い頃、唯一柔道の先生に褒められた一本背負いだ。影の体がフワリと宙を舞った。良し、このまま影を地面に叩きつけて、村の外まで走るんだ。私は全身に力を込め、影ごと上体を振り下ろす。
しかし、不意に相手の重さを感じなくなった。まるで重力が無くなったような感覚に、私は思わず上空を見上げる。直後、私の視界を遮るようにして、影の体が私の眼前に着地した。そして影は、着地した瞬間に右足を振り上げる。
「うぐぅ‼」
影の右ひざが、私のお腹に叩き込まれた。私は激痛に
「うげぇ‼ げほっ‼ げほっ‼」
嘔吐物ではなく、真っ赤な血が私の口内から吐き出された。
「言っただろ、あめぇってな」
影は地面を転がる私の胸ぐらを掴むと、片手で軽々と持ち上げる。私の足は地面を離れ、宙ぶらりんの体勢になった。
「何度も言わせるな、いい加減諦めな。みっともねぇ」
影は私の胸ぐらを捩じ上げ、蔑むように吐き捨てた。
「みっとも……ない?」
「あぁそうだよ。だらしなくてみっともねぇ。最後くらい潔く……」
「…………うるさい」
私は影の言葉を遮って呟いた。
「何が、みっともないよ……弱者は、抵抗しちゃいけないわけ?
悔しさに涙があふれてくる。
「私には。生きる権利がある……あの子にだって、彼にだって、普通に生きていく権利があった……。弱いから生きちゃいけないなんて、誰が決めたの?」
そうだ、私は死ねない。少なくとも、彼が故郷に帰るまでは。
「死に方を選べなくたって……それに抗う権利は、誰にだってある。その権利を、アナタなんかに……否定されるいわれはない……」
「……何だと?」
「アナタにどう思われても、周りからどう見られても……私の命は、私の物だ……抗ってやる……どんなに惨めで、カッコ悪くても……」
世の中が理不尽なことは分かってる。それはきっと、避けられないんだろう。でも、それでも……。
「私を諦める権利があるのは……私だけだ!」
私は涙と鼻水と血で顔をグシャグシャにしながら、影を睨みつけた。
「……そうか」
影は小さく呟くと、右手を振り上げる。その手にはアノ時と同じく、月光に輝くナイフが握られていた。
「悪かったな、アンタの言う通りだ」
「ぐ……うぅ……」
「せめて、苦しまないように殺してやる」
影のナイフが、私の首に照準を合わせる。ナイフのヒンヤリとした感触が、首筋に伝わって来た。全身が粟立つほどの悪寒が、体の隅々まで駆け巡る。
「う、ぐぐぐ……」
私は影の手を掴んで引き剥がそうとした。しかし彼の手は微動だにしない。
「……あばよ」
影が右手を引く。ナイフの刃を、私の首に当てたまま。終わった……そう思った。どんなに抵抗しても、やっぱり強者にはかなわないの? 私は無意識に、両の瞼をギュッとつぶった。無情な現実から、目を背けるかのように。
「うっ‼」
その時、苦悶の唸り声が響いた。そして次の瞬間、私は全身に不思議な浮遊感を覚える。更にドスンと言う音と共に、お尻に鈍い痛みが走った。
「いづっ‼」
どうやら、お尻から地面に落とされたらしい。なに? 何があったの? 私はお尻を押さえながら顔を上げた。そこには……。
「てめぇ……」
「ウガァアアアア‼」
見慣れた小さな背中があった。その背中がにじむくらい、再び涙があふれてくる。
「……ランス」
人型の獣人ランスが、私と影の間で怒号のような唸り声を上げていた。
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