第13話 願いと命令
服屋を出た後、私はランスの案内で様々な店を巡った。旅に必要な物を揃えるためだ。バッグや野営道具、携帯食料や護身用の武器等々……。さすがに何店舗も見て回るのは大変だ。けれど、移動中ランスが自分の姿を見て微笑む姿は、私にとって最高の癒しだった。
全ての買い物を終えて宿に戻った時は、すでに夕方近く。おかみさんにお願いして、私達は少し早目の夕食を客室で
「はぁ、今日は充実した一日だった」
私はパンパンに張ったお腹をさすり、満足気に呟く。買い物は完了。ランスが仕留めた魔物の肝も売れたし、お昼に食べたこの村の名物『野草煮込みシチュー』も美味しかった。どの店も私達以外に客が居なかったため、ユックリできたのも幸運だったな。
「……主」
私がだらしなくベッドで寝転がっていると、食器を片付けてくれたランスが戻ってきた。
「……主、あの……」
「ん、なぁに?」
ランスは足元を見つめながら、ゴニョゴニョと呟く。良く聞こえなかった私は、ベッドから起き上がりランスに近付いた。
「服……ありがとう……」
ランスは顔を上げ、私にハッキリと聞こえるように感謝を告げる。私はランスの頭を優しく撫でた。
「良いんだよ。それは私がランスの仕事を評価した正当な報酬なんだから。気にしないで」
それは正直な気持ちだった。魔物から守ってくれただけじゃなく、村まで連れてきてくれただけじゃなく……。ランスが居てくれたこと自体、私は嬉しかった。その安堵感は、服一着くらいじゃ到底足りない。
「でも……この服、高過ぎる……」
「気にしなくて良いんだってば」
「……それなら、せめて……お礼……」
ランスはそう言って、ユックリと私に顔を近づけた。これがランス流のお礼。二人の唇が触れそうになった瞬間、私はランスの額を指先で止める。
「そういうお礼は、しなくて良いって言ったでしょ?」
ランスが悪いわけじゃない、そう教わって来たんだ。こうすれば女性は喜ぶんだって。きっと、キス以上のことも経験させられたはずだ。こんな子供に……。
「じゃあ、どうすれば良い?」
「どうすれば良い、か……」
お礼を封じられ、困り顔のランス。良い機会かな……。私は昼間に買ったランス用のリュックを持つと、それを彼の前に差し出した。
「ランスはこのまま、故郷に帰りなさい」
想像すらしていなかったのか、ランスは声を発することもなく私を見つめる。
「あるんでしょ? 故郷」
「そ、それは……」
ランスは答えに
ランスは奴隷になるまで、今と同じような服を着ていたと言った。それは幼少期のランスが、誰かの庇護下に居たことを証明している。普通に考えれば両親や家族だろう。それも、ある程度裕福な家庭だった可能性が高い。
「主として命令します、夜が明けたら故郷に帰りなさい」
「な、なんで……」
ランスの表情が、みるみる曇って行く。なんで……か。
「ここ数日、ランスからいろいろ学んだからね。もう一人でも大丈夫」
「でも、主は狙われてる……危険……」
そう、私は命を狙われてる。つまり私の傍に居れば、とうぜんランスも命の危険にさらされる。
「だ、だから護衛、必要……」
「その護衛に失敗して、前の主人は死んだんでしょう?」
痛いところを突かれ、ランスが泣きそうな顔になる。私の胸も、ズキンと痛んだ。
「断言できないけど……私を狙う暗殺者は、たぶん魔物より強いと思う。ランスが居ても助かる保証はない」
「で、でも……」
「逃げるだけなら一人で
私はあえて笑ってみせた。本当は逃げられる自信なんてない。敵にしてみれば一度逃した相手だ、今度こそ確実に仕留めに来る。
「だから護衛はここまで。私も明日には村を出るから、ランスも家族の下へ帰りなさい」
「でも……でも……」
子供を一方的に言いくるめるのは心が痛む。こんな物、腕力に任せた暴力と何も違わない。私は今、卑劣な手段でランスを傷付けているんだ。それでも……。
「言ったでしょう? これは命令なの。奴隷は必ず主の命令に従う……そうじゃなかった?」
「……ぐ……ぅ」
ランスのギリギリと歯を食いしばる音……そして拳を握りしめる音が聞こえる。それは私に対するやり場のない感情を、言葉以外で伝えようとするかのようだった。
「大丈夫、私も死ぬつもりは無いから」
通常、奴隷契約は上書きできない物らしい。つまり私が生きてさえすれば、ランスが誰かの奴隷になることは無い。例え離れ離れであったとしても。そして私が死ねば……。
「ランス……」
「…………」
「改めて命令します。アナタは故郷に帰りなさい。そして子供らしい、幸せな生活を送るの。それが、私に対するお礼になるから……」
私は手にしたリュックをランスの胸に押し付けた。中には日用品の他、旅費としていくらかのお金を入れてある。
しかしランスはリュックには触れようとせず、全身を震わせていた。怒りなのか、失望なのか、悲しみなのか……私には分からない。
「元気でね、ランス……」
「…………っ!」
ランスはとつぜん振り返り、外へ向かって駆け出してしまった。猫らしからぬ、ドタバタとした大きな足音を鳴らしながら……。
「ランス……」
私は足音が聞こえなくなるまで立ち尽くした。やがて室内に静寂が訪れると、手にしたリュックを床に置き、ベッドに倒れ込む。
「子供を泣かせるなんて……ダメな大人だな、私は」
ランスは私とは比べ物にならないくらい強い。この世界の知識もある。そして私との奴隷契約により、他人に縛られることもない。足手まといが居なければ、きっと故郷に帰ることができるはずだ。少なくとも、命を狙われる危険は無いだろう。
「ありがとう、ランス……」
たった数日。でも、とても濃密な日々だった。その中で、ランスは本当に私の癒しになってくれた。私のせいでランスが死んでしまったら、私は私を許せなくなる。ただでさえ、すでに見ず知らずの人が殺されているんだから。
私は逃走中、影に殺されたと思われる人影を思い出した。
「…………くっ」
視界がにじむ……。私は目頭を押さえる代わりに、固い枕に顔を押し付けた。あの時、何をすれば良かったかなんて分からない。ただ、私の存在が人の死を呼んだことは間違いない……。
「……ごめんなさい」
枕に顔を埋めたまま、無意味な謝罪を口にする。あふれる涙と共に、徐々に意識が薄らいでいくような気がした。そして知らぬ間に、私は夢の世界へと誘われて行った……。
そう、これは夢の世界。目の前には、先日と同じく私に向かい声をかける女性がいる。ただし、先日と少し様子が違う。声をかけているというより、声を荒げていると言った表現が似合う。それくらい鬼気迫るものを感じた。
私は彼女の声に耳を傾けた。少しずつ、彼女の声が鮮明になる。そして一際大きくなった声が、私の脳裏に響き渡った。
「逃げて!」
瞬間、跳ねるように起き上がる。私は全身に汗をかきながら、ベッドの上で上体を起こしていた。
「今のは……」
確かに聞こえた、「逃げて」と。そして気が付いた、周囲の異変に。
室内は暗闇に包まれている。月明かりの差し込み方から、夜になったばかりだと思う。見た目に異常はない。ランスも、もういない。ただ静かすぎた。昨日は夜遅くまで、おかみさんが廊下を行き来する足音が聞こえていたのに……。
私は急激に増幅する緊張感に、ゴクリと喉を鳴らした。そして静かにベッドを降り、昼間購入した動きやすい服に着替える。更に貴重品と護身用のナイフだけ身に着けると、深呼吸をしてから部屋を出た。
廊下の壁には、等間隔でロウソクが立っている。私は床板を鳴らさないように、ランスばりの抜き足差し足で廊下を進んだ。
やがてフロントに辿り着くと、その異常さに顔をしかめる。ムワッとして、そして顔に纏わりつくような粘着質な空気を感じたからだ。その原因はすぐに察せられた。これは臭いだ。つい先日も嗅いだ、溢れたばかりの血の臭いが漂っている……。
果てしなく嫌な予感がする。それはもう、確信に近い物だった。それでも私は気のせいであって欲しいと願い、カウンターを覗き込む。きっと おかみさんが、台所でお肉でも
しかし、その願いが叶うことは無かった。
「うっ‼」
思わず口を押さえる。カウンターには、おかみさんがいた。椅子に座り、全身を脱力させ、口から大量の血を溢れさせた……物言わぬ おかみさんが、そこに居た……。
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