第11話 一時の安らぎ

「いらっしゃい!」


 扉を開けると同時に、元気の良い女性の声が私達を出迎える。続いてカウンターの奥から、人の良さそうな女性が現れた。女性は、かっぷくの良い『おかみさん』といった風貌ふうぼう。カウンターを挟んで、私達を笑顔で待ち受けている。半裸の獣人と異世界の服を着た私を見ても、おかみさんは眉一つ動かさない。プロだなぁ……。


 しかし、そんなプロフェッショナルな対応が、とても心地良く感じられた。今の疲れ果てた状態で、アレコレ詮索せんさくされても辛いだけだし。


「お泊りですか? それともお食事?」

「主、お金を用意しておいて」


 ニコニコのおかみさんに、無表情のランスが歩み寄る。


「食事付きで、とりあえず二泊」

「はいはい、食事と宿泊ですね」

「そう、それを一人分」

「え?」


 コインを取り出しながら、思わず声を上げてしまう。


「ちょ、ちょっと、一人分ってどういうこと?」

「ん? 主は別の宿が良いのか?」

「そうじゃなくて、私とランスで二人分でしょ?」


 ランスは不思議そうに眉をひそめる。


「奴隷が主と同じ宿に泊まる、ありえない。俺は外で良い」

「そ、外って……野宿ってこと? ご飯はどうするの?」

「主の余り物で良い、朝になったら貰いに行く」

「そんな……」


 そうだ、ランスはあくまでも奴隷。森での食事も、私が食べ終わってからじゃないと絶対に手を付けなかった。それは、奴隷として普通のことかも知れない。でも……。


「大丈夫、何かあっても、すぐに駆け付ける」

「そういう問題じゃないの!」


 私はランスの肩を掴み顔を寄せる。ランスは驚いて目を丸くした。


「子供が野宿しているのに、自分だけベッドで眠られるわけないでしょ!」

「で、でも……」

「お布団で寝ないと疲れが取れないんだから! ランスもちゃんと部屋に泊まるの! 食事も二人分! 分かった⁉」

「う、うん……」


 私の剣幕に押されてか、ランスはコクコクと何度も頷いた。


「おやおや、仲良しさんだね~」


 私はおかみさんの含み笑いで我に返り、慌ててランスを放す。


「それじゃあ二人分ね。ツインルームで良いかい? そっちの方がお得だよ」

「は、はい。それでお願いします」


 相部屋か……ちょっと気まずいけど仕方ない。ランスを一人にしたら、「俺、床で寝る」とか言い出しかねないし。私は小袋から、ツインルーム一泊分の料金を支払った。


「まいど、じゃあ部屋に案内するよ」


 おかみさんはカウンターを出ると、私達の先に立って歩き出す。


「夕飯はサービスするよ。実は最近お客さんがぜんぜん来なくて、材料が余ってるんだ」

「そうなんですか?」

「そうなんだよぉ、開業以来の大不況さ」


 おかみさんは大袈裟に肩をすくめて見せる。可愛らしい人だな。


 やがて おかみさんは、一番奥の部屋の前で立ち止まる。そして扉を開き、私に部屋の鍵を差し出した。


「夕食は部屋に運ぶから、ごゆっくり」

「はい、ありがとうございます」


 私が会釈をすると、おかみさんはランスに向かってニッコリと笑いかける。


「良かったねアンタ、良いご主人様に出会えて」

「……うん」


 ニコニコ笑うおかみさんと、俯いて頷くランス。何だか気恥ずかしい……。


「おっと、お邪魔しちゃ悪いね。じゃあ、また後で」


 おかみさんはそう言って、手を振り振りしながら店頭へと戻って行った。お邪魔って……語弊ごへいを生むような言い方をしないで欲しいなぁ。


「まぁ、っか……」


 深く考えても仕方がない。私はおかみさんの背中を見送ってから、改めて部屋の中へと足を踏み入れた。


「おぉ……」


 私は思わず息を飲む。


 部屋の中は、ツインとは思えないほどこじんまりとしていた。家具はボロボロのベッドと、小さな丸椅子が二脚。そして、椅子より少しだけ大きなテーブルが一つだけ。それらがギュウギュウに詰め込まれている。非常に質素で余裕がない。


 しかし今の私にとって、これほどの快適空間はないだろう。スウィートルームと表現しても差し支えない……そう断言できた。


「あぁ……ベッド……ベッドだぁ……」


 ハラハラと涙があふれる。隣でランスが引いている気もするけど、私は感動を止めることができなかった。


「主、大丈夫?」

「うん、大丈夫。ちょっと嬉しかっただけ」


 私は頬を舐めようとするランスを押さえながら、袖で涙を拭った。少しだけ現代的な生活ができる。それだけで感無量だった。


「……ランス」

「んにゃ?」

「ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう」

「別に……それが俺の仕事、だから」


 ランスが俯いていしまう。照れてるみたいだ。こういうところは本当に可愛いなぁ。私は自然と手を伸ばし、目の前にあるランスの頭を撫でた。


「それでも、やっぱりありがとう」

「……にゃ」


 柔らかなランスの黒髪が、指の間を通り抜ける。その感触が妙に心地良い。しばらく撫で続けていると、部屋の扉がノックされた。


「食事ができましたよ~」


 おかみさんだ。再び私のお腹が鳴ってしまう。


「さ、ランス。今夜は沢山ご飯を食べて、ゆっくり寝よう。旅の疲れを癒さないとね」

「う、うん……」


 おかみさんが運んできてくれた料理は、味もボリュームも申し分ない物だった。最初の街の食堂で食べた定食よりも、よっぽど上等だったと思う。私は「主の後で良い」というランスに料理を勧めながら、久しぶりに人並の食事を堪能した。


 普通に食事をする……それが、こんなに幸せなことだなんて思わなかった。


 大満足の夕食後。ランスが食器を片付けてくれている間、私は何気なくベッドに寝転んだ。マットの感触を確かめるだけのつもりだった。しかし疲労困憊+満腹の私が、寝転ぶだけで済むはずがない。ベッドの上で膨れたお腹を擦っていた私は、知らぬ間に深い眠りに落ちていたのだった。


 そして、夢を見た。久しぶりの夢だった。森の中で、子供の頃の私を見て以来だったかな。その日の夢に私は居なかった。あの子もランスも居ない。ただ、誰かが居た。女性っぽいシルエットだが、全身が薄く発光しているためハッキリしない。


 女性っぽいと言うのも、ただの感想でしかない。ひょっとしたら男性かも知れないし、人間ですらないかも知れない。ただ嫌な感じはしなかった。彼女の発する光はとても暖かく、見つめているだけで心も体も癒されるような気がした。


 女性は、何かを話しているように見えた。しかし私には何も聞こえない。しばらくして彼女は眠る私に近付き、その手を私の額に当てた。温かいようで、それでいてヒンヤリとしているような不思議な感触。その間も、ずっと私に話しかけている気がしたが、やはり何も聞こえなかった。


 やがて女性の放つ光が薄くなり、そのシルエット自体が曖昧になってくる。女性が消えようとしているのか、私が目を覚まそうとしているのかは分からない。ただ彼女が消える瞬間、一言だけハッキリと声が聞こえた。


「……助けて」と。


「…………ぅ」


 薄っすらと開いた瞼の隙間から、眩い陽光が差し込む。私は瞳を光に慣れさせながら、ゆっくりと瞼を開ける。ぼんやりとした視界に、見慣れぬ天井が映し出された。


「そうだ……昨日は久しぶりに、ベッドで寝たんだっけ……」


 私は、すすけた天井に、夢で対面していたシルエットを投影する。アレはいったい、何だったんだろう……。


「……アレは夢……でも、あの光は……」

「にゃぁ」


 呆けた脳ミソで考え事をしていると、すぐそばから猫の鳴き声が聞こえた。声の主は、私のお腹の上で丸くなっている黒い子猫。


「おはよう、ランス」

「にゃぁ」

「ひょっとして、護衛してくれてたの?」

「にゃぅう」

「そっか、ありがとう」


 私はランスの小さな頭を撫でる。不思議なもので、最近はランスの猫語が分かるようになってきた。出会って数日だけど、それなりに信頼関係が築けている証拠かな? まぁ「隣のベッドで寝て」という、私のお願いは守られていないようだけど……。


「とりあえず、朝ご飯にしよっか」

「にゃあ」


 ランスが身軽に私のお腹から飛び降りる。一方の私は上体を起こし、力いっぱい伸びをしてからベッドを降りた。簡素なベッドだけど、やはり野宿より何百倍もマシだ。体の痛みが無くなった……とは言わないが、ずいぶんと楽になった気がする。元々外回りで歩くことには慣れていたしね。


「ねぇランス、食事が終わったら買い物に行きたいんだけど、案内してくれる?」

「にゃぅん!」


 ランスが元気よく返事をしてくれる。前の主人が商人だったらしいし、買い物は得意なのかも知れない。お金はあるし、この村でコレからの装備を整えよう。


 この世界で生きるための……一人で生きて行くための装備を……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る