第10話 異世界の常識
私は子猫になったランスの先導で、森の中を歩き始める。正直、全身筋肉痛で立っていることも辛い。それでも私は歩き続けた。
だって少しでも弱音を吐くと、ランスが「おんぶしようか?」と聞いてくるからだ。
好意に甘えたい気持ちもある。でも、そこまで甘えるわけには行かなかった。甘え過ぎると、離れ難くなるから……。
それから度々休憩を挟み、私達は三日ほどかけて森の出口に辿り着く。その間も、魔物や猛獣に襲われることはなかった。人型になったランスに聞いても、やはり理由は分からないと言う。
「主が持つ、聖女の力かもしれない」
とランスは言うが、そもそも私は聖女じゃなかったわけで……。残念ながら、その線は無いだろうなぁ。まぁ理由は分からなくても、魔物に襲われないことはありがたい。そのおかげで、無事に森を抜けられたのだから。
「……はぁ」
開放的な空間を目の当たりした私は、思わず息を飲む。そこには、明らかに人の手が加えられたであろう、人工的な『道』があったからだ。
「にゃあ?」
前を歩いていた子猫のランスが、いつの間にか私の足元に擦り寄っていた。そして、心配そうな顔で私を見上げている。
「ごめんごめん、大丈夫だよ」
私はしゃがみ込んで、ランスの頭を撫でた。そうだ、気を抜いちゃいけない。まだ目的地に着いたわけじゃないんだから。
「よしっ! 行こうか!」
私はほっぺを両手で叩き、気合を注入する。そして再びランスの道案内で、街道を進み歩き出した……が。
「にぎゃあ!」
ランスが、とつぜん雄叫び上げる。そして見る間に人型へと姿を変えた。
「ど、どうしたの?」
「主、動かないで」
ランスが私を手で制しながら、まるで獲物を狙う獣のように姿勢を低くする。彼の背中から緊張感が伝わる。ただ事ではなさそうだ。
吹き抜ける風が、街道を挟む草木を揺らす。緑のざわめきが、張り詰めた空気を更に凍らせているような気がした。私はランスの下半身を見ないように、何もない街道と睨めっこを続ける。そして数秒後……。
「「ガァアアアア‼」」
左右の草むらから、同時に黒い影が飛び出した……と思いきや、目の前に居たランスの姿も消える。
「はぁ‼」
そして上空で何かがぶつかる音と、空気が震えるほどの雄叫びが響き渡った。
「上?」
私は反射的に上空を見るが、それとすれ違うように三つの物体が街道に落ちる。
一つは、猫らしく身軽な動きで音もなく着地したランス。残り二つは、黒い犬のような生き物。犬というよりは、巨大な狼と言った方が近いかも知れない。街道に叩きつけられた二体の巨狼は、喉元から鮮血を吹き出しながら、全身をビクンビクンと痙攣させていた。
「主、もう大丈夫」
振り返ったランスの顔は、鮮血で染まっていた。そのえも言えぬ迫力に、私は少しだけ体を固くする。
「ラ、ランス……それって……」
「ハーフウェイドッグ。この辺りに出る低級の魔物。二体くらいなら問題ない」
「低級……なんだ」
二体の魔物は、動物園で見たツキノワグマくらいのサイズがある。私一人で遭遇していれば、間違いなく殺されていただろう。いや、生きたまま食べられていたかもしれない……。
「……これが、魔物……」
体が震える。この世界には、こんな存在がゴロゴロしているんだろうか……。私は初めて目の当たりにする魔物の迫力に、ただ立ち尽くすしかなかった。
「主……」
「……え?」
いつの間にかランスの顔が、すぐ傍に有った。
「大丈夫?」
ランスはそう言って、私の頬をペロペロと舐める。
「ちょ⁉ く、くすぐったいよ、ランス……」
人型の時は止めて欲しいと言ったんだけど、やはり猫の本能は簡単に抑えられないらしい。特に今は、私を慰めるためにしてくれているんだろうし、無下にもし辛い。
「そ、それよりも早く出発しよう。また襲われても大変だし」
「うん、分かった。でもその前に……」
ランスは私から離れると、魔物の遺体に歩み寄る。
「ハーフウェイドッグの肝、売れる。持って行きたい」
「それは良いけど……どうやって取り出す……」
私が言い終わる前に、ランスは魔物の腹部に向かって手刀を振り下ろす。手刀の軌跡をなぞるように魔物の腹部が割れ、バッと鮮血が飛び散った。
「……うっ」
魔物の割れた腹部から、ドロドロと内臓が
私は漂う血の臭いに顔をしかめながら、ランスの作業が終わるのを待った。
「主、終わった」
しばらくすると、ランスが私の下へ駆け寄ってきた。その手に、二つの内臓を持って。
わざわざ見せなくて良いんだけど……。確か猫って、狩った獲物を飼い主に見せる習性があるんだっけ? ひょっとして褒めてもらいたいんだろうか。
「そ、そう……頑張ったねランス。エライよ」
私がそう言って頭を撫でると、ランスはシッポをクネクネと振る。表情はあまり変わってないが、何となく嬉しそうだ。
ランスはその後、二体の死骸を街道から離れた場所へと移動させた。他の魔物が血に誘われて、街道に近寄らないようにするためらしい。
「それじゃあ……」
行こうか、と言いかけて思い直した。
「まず、近くの水場で体を洗おうか」
私はランスの案内で水場へ向かう。そして辿り着いた川で、子猫になったランスの体を洗ってあげた。赤黒い獣の血が、清流のような川の流れに溶け込んでいく。ランスの体は、あっと言う間に元のキレイな毛並みを取り戻した。
「これで良しっと。さぁ、街道へ戻ろう」
「……にゃあ」
私はキレイになった子猫のランスと一緒に、再び街道を進む。街道には人通りが全く無かった。それどころか魔物にも全く出会わなかった。一応警戒していたんだけど、
そして約半日は歩き続け……。
「あ、あれは……」
私は薄暗くなった道の先に、夕日や月とは異なる明かりを見付けた。人工的な灯りだ。それも一つや二つじゃない。あの場所に、間違いなく人間の集落がある。
「主、もう少し」
「はぁ、はぁ、も、もう少し……」
私はフラフラになりながらも、何とか自分の足で光源まで辿り着くことができた。
そこは、簡易な木造の柵で覆われた小さな村。名をハベス。私が召喚されたゼブルスに比べると、明らかにローカルな風情を感じる。石やレンガで出来た建物は無く、全てが木造。行き交う人々も、どこか質素な
でも、今はそんなことどうでも良い。私は、ようやく
「主、お
「…………」
「……主?」
「へ? あっ、あぁお金だね。ごめん、今出すから……」
呆然と村を眺めていた私は、ランスの一言で我に返る。この世界では、町や村へ入るために身分証が必要になるらしい。しかし私は、そんな物持ってない。奴隷であるランスも同様だ。
そこで必要になるのが通行料。通行料を多めに支払うことで、身分証明を免除される場合があるという。簡単に言えば
まぁ、ランスいわく……この村の囲いくらいなら簡単に超えられるし、衛兵の目を盗んで侵入することもたやすいらしい。でも、わざわざトラブルの火種を作ることもない。今回は素直に通行料を払うことにした。
ランスは私から受け取った銀貨を持って、村の門へと駆ける。そして衛兵と一言二言話をした後、私に向かって手招きをした。どうやら許可が下りたようだ。因みに今のランスは、腰に私のスーツを巻いている。子供とは言え、全裸だと衛兵に止められると思ったから。
私は最後の力を振り絞って足を運ぶ。そしてランスの後を追って入村を果たした。
「あぁ……村だ……」
本当に久しぶりに、人の集落に足を踏み入れた。途端に暖かな風が吹き抜け、香ばしい匂いが
ぐぅうううう~。
盛大にお腹が鳴る。果物も美味しかったけど、やはり人が手を加えた料理が恋しい。私は無意識に、匂いのする方へと進んでしまう。
「主、そっちじゃない。こっち」
「あ、ちょっと……ランス……ちょっと待って……」
しかし無情にもランスに腕を引かれ、私は村の中央にある一件の宿屋に連れ込まれることになった。
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