第9話 信じられる者

「はぁ……」


 抜けるような青空の下、私は座り込んだまま盛大な溜息をついた。とにかく色々なことがあり過ぎて、脳ミソが追い付かない。


 聖女召喚、暗殺者の襲撃、生ゴミまみれの逃走、そして……奴隷契約。


 この世界が異世界ファンタジーだとは理解している。だとしてもイベントを詰め込み過ぎだろう。こんなの、誰だって混乱するよ。


「…………」


 私は、目の前に座る黒髪の少年をチラリと見た。


 ついさっきまで私にディープキスをして、脇腹をまさぐっていたランス君。彼は今、主人である私の命令を聞いて素直にお座りをしている。


「奴隷は、主の命令に従う、当然」っと言っていた。しかし、せわしなくシッポを振り振りしている所を見ると、大人しくしているのは苦手なのかな?


「……ねぇ、ランス君」

「呼び捨てで良い」

「そ、そう……じゃあランス。ランスは私の奴隷……なんだよね?」

「うん、そう」

「じゃあ、私の味方だよね?」

「味方というか、所有物。どう扱っても、構わない」


 所有物か……どうしても、その感覚が分からない。人を……しかも、こんな子供を所有物だなんて。しかも本人が認めるなんて……。


「主は、不思議なヒトだ」

「え? そ、そう?」

「奴隷に同情してる……そんな主人、初めて」

「同情、なのかな? って、ランスは以前も誰かの奴隷だったの?」

「うん、主で三人目。さっきのお礼は、最初の主人に、教わった」

「そ、そう……なんだ……」


 奴隷がどう扱われるのか……私は物語の中でしか知らない。それでも、今までの主人がランスをどう扱ってきたのか……何となく想像ができてしまう。きっと本人は、アレがどういう行為かも分かっていないんだろう……。


「主? どうかしたか?」

「う、ううん……何でもない」


 私は熱くなった目頭を慌てて拭った。ランスの過去を勝手に妄想して、勝手に同情するのも彼に失礼だ。妄想は胸の中に秘めて、私は過去の主人を反面教師にすれば……って、アレ?


「そういえば……私と契約を結んじゃったわけだけど、前の主人との契約はどうなったの? ひょっとして上書きしちゃった?」

「いや、前の契約は、解除されていた」

「へぇ、解除とかも出来るんだね」


 それなら、私とランスの契約も解除しちゃえば……。しかしランスは静かに首を横に振る。


「普通は、できない。契約が解除されたのは、前の主人が……死んだから」

「……へ? 死んだ?」

「うん、この森で。魔物の群れに、殺された……」


 私は急に怖くなって、周囲を見渡した。


「この森って、危険なの?」

「俺以外にも、たくさん護衛がいた。でも魔物、数が多かった……主人も従者も傭兵も、全員殺された」

「じゃあ、ランスが倒れていたのは……」

「頭を殴られて、気絶してた。目が覚めたら、誰も居なかった。死体もなかった。たぶん、魔物が持って帰った。自分の巣に」

「魔物の巣に死体を? それってまさか……」


 私は「食料にするため」と言う言葉を必死に飲み込んだ。


「ランスは、よく無事だったね」

「ヤツラ、猫肉が嫌いで、人肉が好物だっただけ……かも」


 私はゴクリと喉を鳴らした。ここって、そんなに危険な場所だったんだ……。


「俺、安全な場所に、逃げようとした。でも力尽きて、ここに倒れてた。他の魔物に殺されなかったのは、ただのラッキー」

「そ、そうなんだ……」

「だから不思議」

「な、なにが?」

「なぜ主は無事?」


 確かに……。私は少なくても二度、この危険な森で無防備に眠り込んでいる。人を襲う魔物がいるのなら、なぜ私は無事なんだ?


「主の、魔法かと思った。でも、魔力を感じないし……」

「魔法?」


 空想好きの本能が、魅力的なワードに反応する。


「待って! この世界には魔法があるの⁉」

「う、うん……もちろん」


 ランスが怪訝そうに眉をひそめる。「当たり前だろう?」と言わんばかりだ。そうか、この世界では常識なんだ……。


「やっぱり、このままじゃダメだ……」


 私はこの世界を知らな過ぎる。生きるための常識すらも……。


「ねぇ、もう一度訊くけど……ランスは私の味方だよね?」

「味方じゃなくて、所有物……」

「私を裏切ったり……しないよね?」


 私の震える声に何かを察したのか、ランスは表情を引き締め直した。


「大丈夫。契約をした奴隷、主人を傷付けられない。主人に悪意を持てば、厳しいペナルティを受ける。奴隷契約とは、そういう物。それに……」


 ランスが言葉を詰まらせ、私をジッと見つめる。


「……それに?」

「何でもない。とにかく大丈夫、俺が、主を裏切ること、絶対にない」


 ランスの力強い言葉に、私は覚悟を決めた。


「それなら、ランスに聞いて欲しいことがあるの……」


 私は意を決して、これまで起こった全てを伝えた。私の身に起こった全てを。


「……そうか」


 全てを話し終えた後、ランスは難しい顔で唸る。戸惑っているんだろう。


「っと、いうわけで……ランスには、この世界のことを教えて欲しいの」

「もちろん、主の命令なら。でも俺、奴隷だったから、普通の人のこと、分からないかも」


 それはそうだろう。あの『お礼』を体感すれば、何となく分かる。


「ランスが分かることだけで良いよ」

「分かった。それなら、とりあえず森を出る」

「え? 森を出る?」


 ランスはコクリと頷いた。


「主が魔物や、猛獣に襲われない理由、分からない。一時的なモノかもしれない、今の内に、森を出た方が良い、と思う。人の集まる、安全な場所へ行こう」

「でも、私は誰かに命を狙われて……」

「ゼブルスとは、逆方向に行く。前の主人、商人だったから、一緒にいろんな町へ行った。この辺りのことには詳しい。ゼブルス以外の、町や集落も知ってる」

「そ、そっか……」


 私の脳裏に、あの影に追われた時の光景が思い出された。正直、人に会うのは少し怖い。でも今はランスの言葉を信じよう。それが最良……のはずだ。


「そ、それじゃあ早速……」

「ちょっと待って」


 私が立ち上がろうとすると、ランスが片手を上げてそれを止める。


「まずはご飯。主、お腹空いてない?」

「そういえば……」


 とたんにお腹が鳴る。そうだ忘れてた、私って二日以上何も食べてないんだった……。


「ちょっと待ってて、何か、取ってくる」

「あ、無理しないで良いよ……」


 立ち上がるランスに声を掛けようとした私は、次の瞬間 首がねじ切れそうな勢いで顔を背けた。だってだって、立ち上がる時にランスの……小ランスが見えちゃったんだもん。


 座ってる時は足で隠れてたから、すっかり油断してた。ランスって全裸だったんだ……。


「どうかしたか?」

「な、なんでもない! 気を付けて行ってらっしゃい!」

「う、うん、行ってくる……」


 ランスは怪訝そうに返事をすると、一瞬でその場から消えてしまう。私はランスが居なくなったことを確認してから、大きく溜息をついた。


「ダメだ、心臓に悪い……」


 移動中は子猫の姿でいてもらおう。それなら全裸でも気にならない。会話ができないのは不便だけど……。


 それからほどなくして、ランスは両腕にいっぱいの果物を抱えて戻って来た。リンゴや野イチゴ、柿やオレンジに似たような果実もある。甘さより酸味の強い物が多かったけど、それはそれで美味しく感じられた。果物とは、糖度の高さが全てでは無いんだな。


「よし、それじゃあ出発しようか」


 お腹を満たした私達は、短い食休みを取った後で一番近い村を目指すことにした。もちろん、ランスには子猫の姿になってもらう。


「なぜ?」「人型の方が、護衛しやすい」と言うランスを説得するのは、少し骨が折れたけど……。

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