第16話 道中での会話

 エミリウスに痛みを伴う回復魔法を使うか、それとも一時的にハンカチで包んで城で薬をもらうか聞かれ、シビラは痛みのない方を選択した。


 エミリウスが胸元のポケットからハンカチを取り出し、手慣れた様子でシビラの手の平に巻いていく。


 簡易的な傷の手当が終わると、エミリウスは先にシビラを馬に乗せ、続いて後方に騎乗した。


 そうして愛馬のリンダリオンの手綱を取るエミリウスと二人、草原を進むことかれこれ十分ほどが経過したのだが……シビラは困った状況にあった。


 実は、騎乗してからまだ一度もエミリウスと目が合っていないのだ。 


 確認するようにシビラがチラリと後方を見るも、良い姿勢で手綱を握るエミリウスは、いつも通りの涼しい顔で遠方を眺めている。


 どうしよう……やっぱり少しも目が合わないわ。 


 エミリウスはシビラの後ろに騎乗しているのだから、なかなか目線が合わないのは当然で。謝罪のタイミングを探しているシビラにとって、きっかけを持つことができないこの状況は自業自得であり、責めるべきは自分自身に他ならない。


 けれどと、手の平に巻かれているエミリウスのハンカチに視線を落とす。


 このまま何事もなかったようにやり過ごすなんて、いくらなんでも虫が良すぎるわ。許してもらえなくても、まずはちゃんと謝らないと……。


 シビラはハンカチの巻かれている方の手を握り、前方の草原を向いたまま、俯きがちに尋ねた。


「怒っていますか?」


 十年前に見た景色が全く違って見えるほど、シビラはエミリウスにたくさんの幸せを与えてもらった。だというのに……


「私はこれまで閣下に十分すぎるほど良くしていただきました。なのに恩を仇で返すような真似をしてしまった……お叱りを受ける覚悟はできています」


 エミリウスの整った唇から紡がれる言葉を待つも、続く沈黙にシビラは涙ぐむ。


 もう、人間の世界に行くのは諦めないと。これ以上この方を失望させてはいけないもの。


 先刻の、これまで築き上げてきた関係を壊しかねない緊迫した空気を思い出すだけで、体が震えてしまう。


 震えをエミリウスに気づかれぬよう、片手で体を必死に押さえながら、シビラは意を決して後方を振り返る。


 エミリウスはゆっくりと馬を進めながら、シビラを見下ろしていた。


 感情の希薄なエミリウスからは、やはり何も読み取れない。


 同時に、人のものではないあまりに整った透明感のある美しさに、こんなときなのにシビラは思わず魅入ってしまう。


 反省の色を濃くして目をらさないシビラを、エミリウスは淡白な表情で静観していたが、やがて動きがあった。


 エミリウスがシビラに手を伸ばし、涙に濡れた目元を指先で拭ったのだ。


 驚くシビラに、エミリウスが表情を緩める。


「やっとこちらを見ましたね」

「!」


 そこでようやく、目を合わせるタイミングを外していたのはシビラの方だったことに気づく。


 嫌われていたらどうしようと直に気持ちを確かめるのが怖くて、シビラが何度も盗み見るようにしていたのを、エミリウスはちゃんとわかっていたのだ。


「さすがに今回は柄にもなく焦りました。ですが、出会ったときからシビラさんの行動力は折り紙つきですから」


 ため息混じりに、それも自嘲気味に仕方ないと語るエミリウスの声は穏やかで優しい。


 半泣きで呆然としているシビラを慰めるように、先ほど目元を拭った手をスルリと頬に添えられる。


「置き手紙も拝読しました。しかし確か荷造りをするのは明日と言っていたように、私は記憶していたのですが」

「そ、それはその……少し事情があるのです」

「事情ですか」

「はい」


 おもむろに聞かれ、シビラは答えに詰まる。


 連れ戻されないために善は急げで行動したからですとはさすがに言えなかった。


 それに昔からシビラの嘘が下手なのは、出会ったときにバレている。エミリウスには下手な言い訳もできない。


「そもそも人間の領域に着くまで馬に乗っても一ヶ月はかかります。その間そんな軽装でどうやって過ごすつもりだったのですか?」

「え?」


 かかっても一週間くらいと思っていた。だいたいこのくらいの距離かな? と勘だけで食事もお金も多くて二週間分ほどあればいいと、そんなには用意していなかった。

 

「一ヶ月!? そんなにかかるのですか!?」

「はい。往復ですと正確には二ヶ月かかるかと」


 ギョッとする。気まずさも忘れて息巻くと、エミリウスは「おやおや」といった様子で目を瞬いた。


 何故か興味深げに見られている気がするけれど、今はそれどころではない。ダラダラと出てきた冷や汗が背中を伝う。


「私もロードも地名についてはお話ししましたが、正確な距離の測り方や地図の読み方までは教えていませんでしたからね」

「…………」


 冷や汗の次は羞恥心に襲われた。頬が火がついたように熱い。


 どうりで普段冷静なエミリウスが慌ててやってくるわけだ。


 エミリウスに指摘されて、自分がとんだ箱入り娘だったことに気づかされる。


 ううっ、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだわ。


 おそらく今、シビラの顔は真っ赤な果実のようになっている。


 あまりのことにシビラは姿勢を前に戻す。そうしてエミリウスに背を向けるも、背中には未だエミリウスの視線を感じていて、見下ろされているのに馬上では逃げ場がない。


 少しだけ背後のエミリウスから体を離すようにしたら、危ないからちゃんと寄りかかるよう片手で軽く引き戻されてしまった。


 温かいエミリウスの腕に抱かれながら、シビラは耳まで熱くなった顔を両手で覆いたい衝動をこらえ、途方に暮れる。


 シビラが再び背中をエミリウスに預けると、それまで雰囲気を読んで止まりがちだった愛馬のリンダリオンが、再び古城に向かってゆっくりと歩き始めた。

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