第12話 十年後〜大人になりました!〜

 ──十年後。


 つんつんと頬をつつくくすぐったさで、シビラは起きた。


 中庭に注ぐ明るい朝の日差しに目を細め、シビラは寝ぼけまなこをこすりながらゆっくりと起き出す。


「ん……おはよう、ブルーちゃん」


 今ではマザーローズと同じ大きさにまで成長した青い薔薇の子、ブルーの花弁が挨拶代わりにパアッと花開く。


 成体となったブルーのつるは太くてしっかりしているが、シビラをつつくときはいつもソフトタッチで、痛くないよう気を遣ってくれている。


 確か昨晩は丁度いい夜風が吹いていて、中庭を住処としているブルーのところで一緒に涼んでいたら眠くなり、自室に帰る前に寝落ちしてしまったらしい。


 高い樹木の上で、シビラは寝ていた。


 といっても木の上でも寝心地がいいように、ふわふわの天然素材をたくさん敷き詰めてある。巨大な鳥の巣のような形状の、シビラ専用のベッドだ。


 ブルーはとても賢く器用な子で、素材集めも全て自身で行い作ったらしい。どういう構造かはわからないけれど、最高の寝心地と肌触りだ。


 ちなみにベッドまでは、ブルーがつるでシビラを持ち上げて、運んでくれる。


 他の幼体の子たちは、就寝時間になると習性で、ブルーの根元に集まってくる。木の上で寝る子は少ない。


 けれどこのベッドがある場所は、最初から地上よりかなり高い位置に設置されていた。


 人間のシビラが安心して休めるようにと、風通しをよくして、外敵からも身を守るためにそうしてくれたらしい。虫除けにもなって助かっている。


 ブルーの優しさは、十年たってサイズが大きくなっても変わらない。もちろん、興味津々にあちこちつるの先っちょでつつく癖も健在だ。


 そんなブルーだが、実は手放す予定だった。


 十年前、デザートローズたちを一人で世話しているロードを手伝いたいと、シビラはエミリウスに申し出て許可をもらい。それからシビラは掃除の合間に肥料をあげるなどしながら、最初はロードと二人でデザートローズを育てていた。


 当時は絶滅しかけていたデザートローズも、お世話の甲斐あってかなり数を増やし。二人だけで世話は大変だろうと、エミリウスが庭師などを呼び寄せてくれたのもあって、さらに個体数が劇的に回復した。


 今では捕食される心配のない成体を、年に数回、自然にかえしている。


 そこから先は完全にエミリウスの管轄かんかつで、自然にかえした子のその後の動向を探る保護活動も進めているそうだ。


 そして本当ならこのブルーも自然にかえす予定だった。


 けれど、別れを惜しみ、いざ外に放そうとしたところ……ブルーは城の門につるを引っかけ、踏ん張って抵抗した。


「絶対に出ていかない」という強い意志を感じたのと、そのままでは門ごと城を破壊しかねなかったので、ロードはやれやれと呆れ顔で自然にかえすのを中断。何となくそうなるのを想定していたらしい。


 ロードは早々に自然にかえすのを諦め、いかにも仕方なくといった様子でエミリウスへ相談。ブルーの永住権を取り付けてくれた。


 ブルーは正式に城の住人に認定され、こうして毎日会えるのも、ロードの尽力とエミリウスが許諾きょだくしてくれたお陰なのだ。


 ちなみにブルーはロードに恩を感じたらしく。それまでロードには全くの無関心だったのが、その件以来、見かけるたびにつるの先っちょでふわふわの毛並みをつんつんしている。


 中庭は、今では一番のシビラのお気に入りの場所だ。


 現在、シビラは十六歳。


 大人になったけれど、エミリウスとの関係は変わらない。


 昔からずっと、エミリウスはシビラを立派なレディとして、対等に見ているからだ。ただの人間でしかないシビラを契約者として大切に扱ってくれる。


 他にも十年前と比べて変化があった点といえば、シビラの着ている洋服だろう。


 名目上エミリウスの契約者であるシビラは、格好にも気を遣う必要があった。


 与えられる洋服や装飾品は全て高価なものばかり。


 けれどもロードからの指導もあり、エミリウスに恥をかかせないよう、それらを指示されるまま身に付けていたら……


 日を追うごとに豪華さが増していき、最終的には場違いなお姫様のようになってしまったため、シビラはおそるおそる改善を提案した。


 幸い提案は受け入れられ、掃除がしやすいように、洋服の型はメイド服と同じものになった。──が、


 メイド服とは名ばかりで、仕上がってきたものは、かなり上等なものだった。


 動きやすい機能性を持たせたまでは良かった。しかし……とシビラは改めて洋服の裾をつまむ。


 素材が最高級なのは一目瞭然。これではメイド服の形をしたお姫様のドレスと変わりない。


 けれどこの洋服は特注で作ったのだとかで、自分には分不相応だと感じていたが、今更この洋服もなしでとは言えなかった。


 それもロードさんじゃなくて、全て閣下がご用意されたのよね……


 結果、シビラは洋服を汚さないように、掃除のときは必ず前掛けをつけている。


 この十年、何となく思っていたことがある。それは──エミリウスは常に恐ろしいほど平等で、相手が誰であろうと、規律違反には容赦ない。けれども基本的に、女子供には別け隔てなく優しいということだ。


「──こんなところで寝ていては風邪を引きますよ?」

「え?」


 噂をすれば陰で、下から声がかかった。


 そろそろと枝の隙間から下をのぞき見るようにする。


 十年前から変わらぬ容姿の美しい人が、樹木の上にいるシビラを見上げていた。


 中庭でシビラが寝ているところにエミリウスがやってくるのは、実はよくある光景だ。


 この城に来てからというもの、シビラは城の掃除に加えてデザートローズのお世話もするようになってから、部屋に帰らないことが多くなった。


 それも、わざとではないのだが、ご飯を忘れてついつい熱中してしまい……。働き過ぎだとロードに注意されるを繰り返していたら、とうとうエミリウスに知られてしまった。


 自分ではどうにもならんと、ロードからエミリウスへ報告が上がったらしい。


 以降、ご飯の時間になると、エミリウスが迎えにくるのが日課になってしまった。


 シビラはたいてい中庭にいるか、掃除をしているかなので、すぐに見つかってしまうのだが。魔族とは意外に世話好きらしい。


 今では完全に城の管理人に復帰したエミリウスと、ご飯の時間に顔を合わせるのが習慣となり、シビラは毎日とても規則正しい生活を送っている。


「隠れんぼですか?」


 いつまでも木の上から下りてこようとしないシビラに、エミリウスは穏やかに笑う。


 最近は通り雨が多い。肌寒さを時折感じるのを、エミリウスは気にしているのだろう。


 といっても、人間より体の作りが強靭な魔族には、多少の気候変動などほとんど影響しない。人間にとっては暑い日でも、魔族は涼しい顔をして過ごしているくらいだ。


 人間は魔族と違い、風邪を引いたりすぐに熱を出したりしやすいのを、この十年でエミリウスはすっかり学んでいる。


 人慣れし過ぎている魔族など聞いたことがない。


 それも、裏ボスと言われるほど強いはずの人が……普通の魔族ならしない気遣いを、当たり前のようにするエミリウスに、シビラはふふっと笑みを零す。


 すると、再び声がかかった。


「楽しそうですね。何かありましたか?」


 最近は話しかけられても、シビラは静かになりがちなときがある。


 けれどエミリウスは多少のぎこちなさなど気にせず、辛抱強く温厚な態度を崩さない。


 優しい声色こわいろに、シビラはエミリウスを見つめ返す。


 昔からエミリウスは冷静沈着で、未熟なシビラに注意をうながすことはあっても、苛立つような言動がほとんどないのだ。


 魔族とは元来好戦的な種族ではなかったか。不思議に思って、シビラはロードにそれとなく尋ねたことがある。


 返ってきた答えは肯定だった。やはり魔族が好戦的な種族という認識は、間違っていないようだ。


 ということは、エミリウスが例外的に優しい魔族ということなのだろうか?


 十年たった今でも、エミリウスが怒りを露わにする場面を目にしたことがない。おそらく滅多なことでもない限り、見られない気がしている。


「もし下りられないのでしたら、そこまで迎えに行きますが……」

「!」


 エミリウスが考えるような仕草をした。口調はいたって穏やかなのだが、その内容も含め、かえって慌ててしまう。


 シビラは大急ぎでブルーに下ろして欲しいとお願いする。ブルーはつるを使って丁寧にシビラを地面に下ろしてくれた。


 一呼吸置くと、シビラはスカートの両端をつまんで挨拶する。


「おはようございます、閣下」

「おはようございます。朝食ができていますよ。今日は料理長がフェアリーレン産の魚介を仕入れたとかで、腕を振るったそうですから、あまり待たせないうちに行きましょうか」

「まあ! それは楽しみです」


 フェアリーレンはシビラの生まれた地方の名で、亡くなった両親の墓がある場所だ。


 故郷を懐かしみ、シビラは頬を緩める。


 そしていざ、エミリウスの後に続いて歩きだそうとしたところで、シビラは自分が裸足であることに気づいた。


 そういえば昨晩はブルーに靴を隠されてしまって、それで木の上でお泊りすることになったのを思い出す。


 シビラがもじもじと動かずにいると、エミリウスが不思議そうな顔をした。しかしすぐに異変の原因に辿り着く。


「デザートローズたちに何かされたのですか?」

「いえ、特に何も……」


 口ごもるシビラの足元に目をやり、次いでエミリウスはブルーに視線を向けた。


 魔物のブルーには、裏ボスのエミリウスの強さがわかるらしい。視線を向けられた途端ビクついた。


 それに相性というのがある。


 ブルーは昔からエミリウスを怖がっている。それをエミリウスも察しているのだろう。基本的にはどちらも無関心で、無干渉を貫いている間柄だ。


 だからこそ今起こっている事態に、内心シビラの焦りは増しているも、しかしエミリウスの対応はどこまでも大人だった。


「シビラさんは優しいですね」


 全てを悟っているのに、口には出さず、エミリウスはシビラと目を合わせるだけで甘く笑う。


 エミリウスがゆっくりと近づいてきた。


 行動の意図が読み取れずにいるシビラと触れ合う距離までくると、一旦足を止め。エミリウスはシビラの腰に手を回し、抱き上げた。


「閣下?」


 ふんわりと抱き上げられて、シビラはエミリウスの緑眼を見つめる。


「裸足では怪我をしますので」


 エミリウスが数段大人の落ち着いた口調で語りかけてくる。


 どんな場面でもエミリウスは上品で、あまりにもスマートにこなしてしまう。だからシビラは昔からエミリウスのすることにはどうにも逆らえない。人生経験の差がありすぎるのだ。


 手のやり場に困って、シビラは最終的に目前のエミリウスの胸元にそっと手を添えた。


 シビラは契約者とはいえ、人間だ。人間と関わりになりたがらない魔族の方が多い。


 けれども胸元の衣服に触れられたエミリウスからは、拒絶や嫌がる様子はなく安心する。


 次いでそろそろと身をゆだねるのをエミリウスは確認すると、ゆっくりと歩き出した。


 そうして大人しくお姫様抱っこされているシビラの後ろでは、「またね」と手代わりのつるをふりふりしているブルーの姿があった。

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