第13話 契約の期限
エミリウスとの朝のやり取りから始まって、城の掃除と魔物たちのお世話が終わったのは、晩御飯の支度の匂い漂う夕暮れ時。
その日の夜は豪雨だった。
今では見慣れた古城の周囲には、昔と変わらず大きな岩があちこちに浮遊していて、激しい雨と落雷の音が聞こえてくる。
そんな自室の窓から見える夜の景色を、ソファーに寝そべるように腰掛け眺めながら、シビラは昔を思い出していた。
ここへ来た当初は、夜でも灯籠は最低限しか設置されていなかった。魔族は夜目がきくので、人間ほど灯りに
それが今では、ロードの計らいで人間のシビラが歩きやすいようにと、城の至るところに灯籠が設置されている。
シビラはとある機会に、昔のエミリウスについてロードに尋ねたことがある。
ロードの反応は淡白なもので、放っておいてもいずれシビラの耳に入るだろうし、下手に他の誰かから間違った情報を入れられるよりはいいかと結論づけた。
それからロードは当時子供だったシビラにもわかりやすいように、順序立てて教えてくれた。
*
エミリウスが
そして当時、「大魔王よりも強いのでは?」と噂されていた一人の青年がいた。
マッドピエロの異名で知られる、エルフから魔族へ種族転換した青年、エミリウスだ。
スラリとした長身に、女よりも白い陶器のような肌に映える銀髪緑眼。エルフだった頃の名残である先の尖った耳が特徴的な、とても美しい男。
大魔王の最側近で懐刀とも言われているマッドピエロは、元が長命のエルフということで、見た目の年齢よりも遙かに歳を重ねているのは周知されていた。
一見すると無害のようでいて底が見えない、不可思議で人を惹きつけずにはいられない性質。そして見目麗しい青年の姿に、誰もが魅了された。
しかしそこは力こそ正義の魔族の世界。
異色ともいえる魅力もさることながら、そんな透明感のある美青年にそぐわない残忍さを、魔族であるマッドピエロもまた例外なく持っていた。
ただの一度でも刃向かう意思を見せた者は、敵味方を問わず極限まで恥辱を味わわせ、いたぶり殺すのが趣味の極悪非道のサディスト。
大魔王最側近の地位を狙ってきた者たちなど、己に害をなそうとする相手は容赦なく叩きのめし潰す。
魔族の中でも群を抜く冷酷さと圧倒的な強さ。マッドピエロはそのカリスマ的魅力と力で多くの信奉者を有する裏ボス的存在だった。
口元に笑みを
マッドピエロとの戦いに敗れ、どうにか難を逃れ生き延びた者たちは、皆こぞってこう言う。
甘いマスクに騙されてはいけない。あれは青年の皮を被ったずる賢く
しかし絶対的な地位に君臨したマッドピエロは、決戦に勝利した勇者が大魔王の古城を去ると、玉座の前に虫の息で倒れている大魔王を
そうして人間はおろか、同族からも恐れられていたマッドピエロが世間から姿を消して百年たった今でも、人々の間では多くの推測がまことしやかに囁かれている。
マッドピエロは人間に混じって暮らしているだとか、
エルフから魔族へ種族転換する過程で手に入れたと言われている「次元操作能力」を
実は大魔王とマッドピエロは恋仲で、姿を消したのは恋人だった大魔王の生まれ変わりを探すためだとか言われている。そして今もなお、恋人を探し続けているそうだ。
一部の王侯貴族などの有権者を除き、人間の世界ではマッドピエロが古城に戻ったのを知らぬ者たちが多く、そういった噂話は後をたたない。
そんな、まるでおとぎ話のような青年の物語を、シビラは大人になった今でも時折思い出しては考える。
ロードは話してくれたとき、エミリウスが直接手を下した部分などをそれとなく濁しているのに、シビラは薄々気づいていた。
今の今まで噂にある残忍性を、エミリウスはシビラに微塵も見せたことはない。
けれども当時マッドピエロと恐れられた存在であるエミリウスが、その地位に上り詰めるまでにどれほどの苛烈な道を歩んできたのか、もう多少なりとも想像できない子供ではない。噂通りの残忍性を持っているかもしれないことも、シビラはちゃんと理解していた。
今ある己に辿り着くまでに、エミリウスはいったいどれほどのものを犠牲にしたのだろうか。
きっと、エミリウスの過去にはたくさんの秘密と、決してシビラには教えてくれない闇がある。
だがそれを知っても尚、シビラにとってのエミリウスは、ただの人間でしかない自分を育ててくれた、とても大切で大事な人なのだ。
血の繋がりもなく、まして人間と敵対している魔族にそんな義理はないのに。
本当は十年前に死んでいたかもしれないシビラが、ここまで無事大きくなれたのはエミリウスのお陰なのだ。
誰も、エミリウスの代わりになることはできない。
そして、理想や綺麗事でそれらの感情を片付けることも、もうできなかった。
だからこそ、シビラには近く迫った契約の期限が来る前に、以前より考えていたことを実行すべく、エミリウスに告げなければならない。
──人間の世界に、一度でいい。シビラには戻ってしなければならないことがあった。
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