第11話 魔族と人間

「──お二人共、随分ずいぶん仲良くなられたようですね」


 話をしていたシビラとロードの後方──中庭に面した石畳の廊下には、いつからいたのか、エミリウスが立っていた。シビラたちのいる中庭からは、若干距離がある。


「閣下?」


 城へ戻ったからには復帰し、エミリウスは城の管理人としてその業務をこなさなければならない。そのため、仕事が溜まっているとかで、自室へ戻っていた。


 いったいどうしたのかと、シビラは首をかしげる。


 そうして考えている合間にも、エミリウスは石畳の廊下から中庭へと、迷いなく足を踏み出した。驚くシビラの手前まで来て、止まる。


「こちらをお渡ししようと思って、持ってきたのです」


 小さな小瓶をエミリウスは懐から取り出し、シビラに手渡した。


「これは何ですか?」

「手に塗る軟膏です」

「手?」


 それからエミリウスは、小瓶を持っていないシビラの他方の手を、そっとつかんだ。


 手の状態を確認されている。


 シビラは何が起こっているのかわからず、パチパチと目を瞬かせた。答えを探して、エミリウスを見上げる。


「回復魔法も使えますが、治るときに痛みを伴うので……悪化するようでなければ、こちらの方がいいでしょう」


 水仕事などで荒れているシビラの手を、エミリウスが気にかけていたのに驚く。


「掃除の前に、まずはこの手を治してからですね。それと、掃除をするときは必ず手袋をつけてやるように」

「…………」

「どうしました?」

「いえ、あの……」


 おもむろに問われて、シビラは返答に迷う。あまり格好の良いものではないからだ。


「こういうことをしてくれたのは、お父さんとお母さんが亡くなってからはあまりなくて……本当にありがとうございます」


 シビラは急ぎ頭を下げる。


 そのためエミリウスの表情は見えなかったが、「そうですか」と変わらぬ大人の口調で返されて、シビラはえも言われぬ安心感に満たされた。


 否定でも肯定でも、まして憐れみでもなく。ただあるがままを受け入れてくれたように思えたからだ。


 次いでエミリウスは、シビラたちの横で控えていたロードに声をかける。


「少し話があります。見学が終わったら部屋へきてください」

「かしこまりました」


 改まってロードが返答すると、エミリウスはきびすを返す。


 本当にただ薬を渡しに来てくれただけらしい。シビラは急いで頭を上げ、去って行く後ろ姿を見送る。


 いつも子供のシビラに合わせて、エミリウスは前屈み気味に話をしてくれていたから、思っていたよりも背丈があるのに気づかなかった。


 エミリウスの上背うわぜいのある、上等な貴族の服に身を包んだ肢体はしなやかで美しく。肩で切りそろえられた白銀の髪が風にサラサラと流れて、朝の日差しで艶やかに輝いている。


 宿屋に住み込みで働いていたときは、怪我をしても特に心配されることはなかった。


 手荒れくらいでは、女将さんは目に止めることもなかったのに……


 親戚でもない。全くの赤の他人のシビラに、エミリウスは仕事を中断して、わざわざ軟膏を持ってきてくれたのだ。



☆☆☆☆☆



 朝方から夕刻まで、ロードはシビラを連れて城を案内して回った。


 最初に向かった中庭以降は軽く流し見るような形で見学を進めたが、さすがに全部は回りきらなかった。


 辺りが暗くなり始めたところで続きはまた後日と一旦解散して、シビラを自室まで送ると、ロードはエミリウスの部屋を訪れた。


 入室してから、管理業務の引き継ぎについての話し合いが終わると、ロードは今朝方の出来事を話した。


「そういえばデザートローズの幼体が、マザーローズからシビラ様を庇うような行動を取りました」

「庇う、とは?」


 それまで椅子に腰を落ち着けて城の財務書類に目を通していたエミリウスが、手元の書類から一旦目を離し、机に置いた。


 一息つくつもりなのだろう。


 机に両肘をつけながら手を顔の前で組み、眼前に立つロードの話に興味津々と耳を傾けている。


 しかしそれにしても、この方が他人の話題に興味を持つなど珍しいなと、ロードは内心怪訝けげんそうに眉をひそめる。


「はい、お館様がいらっしゃる前に、幼体の一匹がシビラ様の腕に巻き付いて好意を示したのです」


 シビラは肩に巻き付いている青い薔薇の幼体に気を取られて気づいていなかったが、実は足元ではさらに別のことが起こっていた。


 それまでシビラを突っついていた他のデザートローズの幼体たちもが、青い薔薇の幼体と同じ行動を取っていたのだ。


 各々、己のつるをシビラに巻き付け、くっついて固まって。幼体たちはまるで、マザーローズに「食べないで」と訴えているように見えた。


 あのときのデザートローズたちの行動に、不意を突かれていたのはシビラだけではなかった。ロードもまた、驚きに目を丸くして、その光景を見ていたのだ。


「それは興味深いですね。基本的にデザートローズは同族以外に心を許さないはずですが」

「はい。私もマザーローズを保護して城に連れてきてから慣れるまでに、十年近くかかりました」


 続いてロードは一呼吸置くと、確信に触れる。


「お館様は、何かご存じなのではないですか?」

「それはどういう意味でしょう?」

「大魔王様と同じ名を持つ子供を連れ帰り、契約を結んだ。そして魔族にすら懐かないはずのデザートローズが人間の子供を庇っただけでなく、自らのテリトリーへの侵入を許した。これが全て偶然だと?」

「ロード、あなたはいったい何が言いたいのですか?」

「っ!」


 エミリウスの緑眼が鋭い光を宿した。慧眼けいがんにロードは息を呑む。


 無謀にもエミリウスの心の内を探ろうとしたロードへの、警告の意味もあるのだろう。言葉の端々はしばしに、不快感を滲ませている。


「確かに私も、あなたと同じことを思いました。この子供は大魔王の転生体なのではないかと。しかし違ったようです。契約を結んだときに、相手の性質は確認できますから」


 ただの人間には無理だが、契約を結んだ相手の能力を、魔族は知ることができる。


 そもそも契約を結ぶには、双方共に魔力が必要となる。


 ゆえにシビラのように魔力を持たない相手と契約をする場合、魔力持ちの方が全面的にその契約に伴う魔力を担うため、並みの魔族では魔力を持たない人間と契約することはできない。何かしらの魔具を用いて、というならありだが。


 魔族は皆、生まれながらにして魔力を持っている。


 つまり契約とは、魔族から派生したものであり、本来魔族同士が結ぶものなのである。


 だがエミリウスは魔力を持たない人間と契約を交わしたにもかかわらず、心身への負担どころか少しの影響もないようだ。


 元大魔王の側近という肩書きは伊達じゃない。当人はとうの昔に一線を退いたつもりでいるようだが……。


「だからシビラ様に興味を持たれたのですか? そして今も確信が持てずにいるからこそ、契約を結び傍に置くことにした。私にはそのようにうつるのですが」


 大魔王の転生体の可能性がある相手を、この男が見逃すような真似をするはずがない。


 詰め寄るロードに、しかしエミリウスは落ち着き払った様相で、どこまでも腹の底を見せない。


「シビラさんは誕生日に世話になっていた宿屋を追い出されたそうですよ。友達は町にいた白猫だと言っていましたが、おそらくご両親が事故で亡くなってから、人間の友人はいなかったのでしょう。保護者代わりであった大人たちからも見捨てられ、人間と敵対関係にあるはずの魔族にしか救いを求められず。命を終わらせてほしいと私に願い出た。あの子は、相手が人間だろうと魔族だろうと、平等に挨拶をする。ただの人間の子供ですよ」

「…………」


 頼る先として選んだのは同族ではなかった。


 それが何を意味するのか、わからぬロードではない。シビラはずっと孤独だったのだ。


 シビラは時折、酷く達観していて、大人びたことを言う。それは誰かに頼りたい年頃に、甘えが許されなかった子供によくみる特徴だ。過酷な環境で育った影響だろう。


 それにしても、こんなにもエミリウスが他人に関心を抱くのは、いつぶりだろうか。


 ロードは城の管理人を代行で任されていたが、その間も基本的に行動の制限はかけられていなかった。


 城外に臨時の警備兵を配置するなどして、相応の準備をしておけば、多少の外出も出来る。


 そうして定期的に、魔族と人間の土地の境界線へ、ロードは様子を見に行っていたのだが……エミリウスはいつも一人静かに花畑を眺めていた。


 今でこそ穏やかな青年貴族のていを装っているが、


 エミリウスは百年前の勇者と大魔王が決戦した、世界の覇権を巡る戦いが起こった当時、畏怖いふの象徴そのものだった。


 己に逆らう意思を見せた者は、同族にも容赦なく。人間、魔族に関わらず、一族もろともに滅ぼした。


 いくつもの国を破壊し亡国の民となった者たちを従え、大魔王の側近たる地位にいたエミリウスは、さながら恐怖の魔王そのもの。


 人間のみならず魔族も未だ、力による支配を体現したエミリウスを崇拝し、恐れている。多くの魔族に影響力を持つ存在だ。


 それが人間の子供を拾ってくるとは、いったいどういう風の吹き回しか。


 大魔王の古城に人間を招き入れることで起こりうる多くの反感を、想定できぬはずがなかろうに。


 まったく、この方は怖いものなしだな……恐怖という単語を知らないのか?


 一筋縄ではいかない相手だけに、問いただしても、エミリウスは決して本心を明かしはしないだろう。──だが、


 戦場でもないのに、久々に魔族の残忍な血が騒ぐ。


 ロードは己の主である男を見据みすえ、忍び笑う。


 だからこそ、シビラとの契約の期限を迎えるとき、いつも冷静なこの男がどのような反応を見せるのか楽しみだ。

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