第10話 生け贄イベント
巨大なデザートローズは、胴体の幹も太く、手足の代わりの
とにかく全体的にデーンと重量感があり、大きい。
これが大人のデザートローズなのだろうか? 突然の出現に、シビラは我を忘れた。ただただ茫然と見上げる。
ロードが言っていた通り、地上五メートルほどはありそうだ。
「あれは母親です。仕分けのために私は『マザーローズ』と呼んでいるのですが、あそこまで成長すると、普通の魔物より強くなります。デザートローズは成長すると草食から雑食へ消化器官が変化して、捕食もできるようになります。といっても攻撃されない限り、自ら率先して襲うことはありません。観賞性が高く、基本的には土からの栄養と日光浴と水だけで問題ない、コストパフォーマンスに優れた魔物です」
なるほど、どおりで周りに群がっている子たちが、一様に見上げて「お母さーん」と手をフリフリ振っているわけだ。
シビラたちから離れた場所に散らばっている子たちも、同様にマザーローズを見上げて手をフリフリしている。
丁寧に教えてくれるロードの話を耳にしながら、シビラもまた、眼前のマザーローズを慎重に見上げた。
デーンと重量感のある大きな薔薇が前かがみになり、シビラを
シビラはマザーローズに向かい合うと、スカートの両端を摘まんで、丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは、綺麗な薔薇さん。これからお城をお掃除することになりました。シビラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
対するマザーローズは、先ほどからシビラをジーッと見ているものの、特にこれといった反応は起こさない。
どう対応したらいいのか、内心困り始めていた矢先──シビラの足元で様子を見ていた青い薔薇の子の手が、突如、ギュンッ! と伸びた。
「っ!?」
惑うシビラに向かって、伸縮性のある
体の形状を
まるで貴族が身に着ける精巧な作りの、高級な装飾品のようだ。
上から一連を見ていたマザーローズは、やはりこれといった反応を見せない。──が、
暫くしてマザーローズは前かがみだった姿勢を正すと、クルリと方向転換した。その動きに合わせて起こった、ザアッと一斉に葉や枝の擦れる音が耳に心地よい。
ズシン! ズシン! と響く音を立てながら、森と化した中庭の奥へ帰っていく。
その巨大な姿がすっかり森の奥に隠れ、見えなくなったところで、ロードが口を開いた。
「ふむ。シビラ様はマザーローズに気に入られたようですね」
どこをどうとらえれば気に入られたのか、シビラにはわからなかったが、嫌われなくて良かったと胸をなで下ろす。
「先ほどお話ししたとおり、あれは非常に臆病な生き物です。成体といえど、よほど心を許した相手にしか近寄るのを許しません。まして己のテリトリーへの侵入者には容赦しない。だというのに……」
「ロードさん?」
シビラを見るロードの金の瞳には、疑念が生じていた。
ロードは始終落ち着いた口調でいるけれども、お耳がピンと立っている。相当に気になる事柄のようだ。
灰褐色と黒と白が混じりあった、ロードの見事な毛並みが、朝の涼やかな風にふわふわとなびく。
誘惑に指先がそわそわして、触りたいなぁと眺めていたら、つんつんと何かがシビラの頬をつついた。
「青薔薇ちゃん?」
見ると、肩に巻き付いている青い薔薇の子が、
どうやら少しあきてしまったらしい。遊びたそうにしている。
シビラが肩の力を緩めて、
顔のパーツこそ見当たらないものの、何とも感情がわかりやすい。喜怒哀楽のはっきりしている魔物だ。とても可愛い。
新しい発見にシビラがワクワクしているそこへ、その様子を見ていたらしいロードの口から、溜息が漏れたのが聞こえてくる。
──しまった。青い薔薇の子に意識を取られて、すっかりロードのことを置き去りにしていた。
「まあいいでしょう。勤めていた庭師がいなくなってから、マザーローズは私以外誰も寄せ付けず、中庭はほとんど手が付けられずにいました。しかしシビラ様が中庭に自由に出入りできるのなら、掃除に関しても問題ないでしょう。それに幼体がそのように初対面の相手に巻き付くなど、これも普通はありえないのですが……」
「そうなのですか?」
どこか呆れ口調で語るロードは、追求を諦めたらしい。
金目が元の穏やかなものへと戻っている。
首を
ちなみに肩に巻き付いている青い薔薇の子は、ロードと話している間に、再び装飾品に擬態していた。
シビラの肩をよっぽど気に入ったらしく、そこから離れようとしないので、ロードが「取りましょうか?」と提案してくれたのだが、
ロードの発した「取る」という単語が聞こえた途端、青い薔薇の子は、しゅんっと落ち込んだようにしおれてしまった。
あまりに悲しそうな様子に、無理に引き剥がすのも可哀想に思えて、シビラはそのまま好きにさせることにした。
特に支障があるわけでもないしと結論したところ、青い薔薇の子の花弁がピンとする。
次の瞬間には、しおれていたのがポンッと開花して、生き生きした様子に戻った。安心したらしい。
「そういえば、以前いた庭師の方はどうされたのですか?」
「マザーローズに捕食されました。代わりの者を探していたのですが、城にいる使用人は全員捕食されかけたので、今は私が代わりに飼育をしています」
あまりの内容に脳内処理が追いつかず、何かすごいことを言っているなと聞いていたシビラは、続く話にギョッとする。
何でも、庭師が姿を消した翌日に、マザーローズが腕の一部を吐き出したのだとか。庭師が捕食されたと、その日は城中大騒ぎだったらしい。
それをロードは何でもないことのようにサラリと話したけれど、シビラは人生経験の少ないただの人間の子供だ。長命の魔族と違って、荒事にはそこまで免疫を持っていない上に、経験値が違いすぎる。
ロードのとんだ回答に、人間と魔族の命に対する感覚の違いを改めて認識して、シビラはダラダラと汗をかく。
守ってくれるとはいえ、もしかしたら危うく「デザートローズに食べられる」と題した、生け贄イベントが発生するところだったのだ。祭日でもないのに。
でも、「攻撃されない限り、自ら率先して襲うことはありません」とロードは言っていたのに……。庭師はいったいマザーローズに何をしたのだろう? それも、ロード以外の他の使用人たちも寄せ付けないとは。
それにしても──シビラは中庭から辺りをぐるりと見渡す。
まだ第一居住区しか見ていないのに、この城はあまりに広すぎる。
他の居住区もこれから見て回るにしても、あといったいいくつ居住区があるのだろう。
他の居住区にも、デザートローズのように、魔物が住み着いているというし……
「お掃除が終わったとき、私がしわしわのおばあちゃんになっていても、閣下は食べてくれるでしょうか……」
警戒がすっかりとけて、デザートローズのチビちゃんたちが楽しそうに遊んでいる中庭を眺めながら、シビラは素朴な疑問を
「食べるとは? ああ、それが契約の内容なのですね」
「はい。お城のお掃除が終わったら、閣下は私を食べてくれると約束してくれました」
シビラの唐突な話を、ロードは即座に理解した。
エミリウスの前では、そのトリッキーな人柄に始終振り回されて、慌てる姿を目にしやすいけれど。
一を聞いて十を知る。こちらが本来のロードなのだろう。
いつも落ち着いていてとても頭の回転が早い。
そして、他の話をしていたときよりも、何となくリアクションは薄いが、ロードはシビラの疑問にちゃんと答えてくれた。
「では余計な心配は無用です。お館様は必ず約束を守るお方ですから(棒読み)」
「あ、それか私が魔族に転化して、夜通しお掃除すれば早く終わりませんか?」
「人間ほど必要ないとはいえ、魔族も睡眠は取ります。いつ寝るおつもりですか」
「…………」
淡々と返されて、シビラは地道に頑張ることにした。
そうして話していると、ふいにロードの動きが止まった。お耳がピクッと何かに反応している。
シビラが声をかけようとした刹那、別の声が割り入った。
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