第9話 第一居住区──中庭。

 大魔王の部屋を出た後。


 来た道を戻り、シビラとエミリウスが廊下を歩いていると、前方からロードがやってきた。


 狼は嗅覚が鋭い。ロードはシビラとエミリウスがどこにいるか、顔を合わせる前からすでにわかっていたようだ。


 少しの驚きも見せず、ロードはエミリウスへ書類を渡し、用を済ませる。


 そこでシビラは、用件の終わったロードに、まずは洋服を用意してくれたお礼を言い、


 次いで先日エミリウスに言われた通り、実質的な城の管理人であるロードに、どこから掃除を始めればよいか相談した。


 ロードはモフモフの尻尾を動かしながら、真面目な顔で返答する。


 まずはこの城に慣れるのが先だろうということになり、隣で話を聞いていたエミリウスもそれに同意した。


 とりあえずシビラが朝食をすませてから、ロードが城の居住区を案内してくれると決まったところで──エミリウスは事務仕事が大量にあるとかで、自室へ戻っていった。


 それから用意された朝食を食べ終わる頃には、薄暗かった空はすっかり明るくなっていて、シビラはロードが待つ中庭へ向かった。





 第一居住区フロア──中庭。


 それにしても……思いも寄らなかった。まさか、各居住区に魔物が住み着いているなんて!


「これは、いったい……」


 茫然と呟き、シビラは前方を見る。


 そこにはたくさんの雑草が生い茂り、さらには巨大に成長した樹木で、城の中に森があるような状況だ。


 お城というだけあって、あらゆる種類の植物が植わっている。


 特に、数にしてゆうに百は超えるであろう、色とりどりの薔薇がたくさん咲いているのだが……


 この薔薇たち、みんな人間みたいに根っこを足のように動かして、二足歩行であちこちに「わー!」「きゃー!」といった具合に、手代わりのつるを二本、バンザイするように上げながら、散り散りに辺りを走り回っている。いや、逃げ回っている。


 隣で腕を組んでたたずむロードを見上げ、シビラは話しかけた。


「ロードさん、もしかしてこの辺り一帯の薔薇は全部魔物なのでしょうか?」

「はい、シビラ様。この辺りの薔薇は全てデザートローズという名の魔物です」


 魔族の城は、どこもこうなのかしら?


 エミリウスと偶然出会った今朝方に訪れたときは、薔薇が動く気配すら感じなかった。朝といっても早すぎて、おそらくまだ寝ていたのだろう。


 それが、突然人間が現われたので、ビックリしたらしい。


「あの、ロードさん」

「何でしょう、シビラ様」


 ロードから再度敬称で呼ばれて、シビラは遠慮がちに話しかける。


「やっぱり『様』はつけなくても……言うなれば私はただのお掃除係です。そこまでしていただける者ではないのです」

「いえ、シビラ様はお館様と本契約を結ばれた方ですので、主人の正式な契約者へ失礼のないよう、ご対応させていただくのは当然の責務です。シビラ様が気に病む必要はございません。元よりお館様にも、よく言い含められておりますので」


 態度を崩さないロードに、シビラは困惑しきりだ。


 しかし、主人であるエミリウスの指示にロードが従っているというのなら、これ以上言及するのは野暮というものである。それは主従関係に口出しするのと同義だからだ。


 ロードは元よりシビラも口をつぐむことにした。


「わかりました。この件に関して、私が口を出す事柄ではありませんでした。以降はロードさんのご厚意に甘えさせていただきます」

「ご理解感謝いたします。今後は、何なりとお申し付けください」


 ロードは畏まってシビラに頭を下げた。


 エミリウスに命ぜられたとはいえ、ここまでちゃんと丁寧に扱ってくれるロードの主人への忠義は本物だ。それに、とても真面目な人なのだなと、シビラは思った。


 一方、そんなシビラたちの会話には、薔薇たちは目もくれない。


 目の前で起きている蜂の巣をつついたような騒ぎに、シビラは意識を戻す。


 目をこらし、薔薇たちをよくよく観察する。


 人間と同じような四肢の形状で、短い手足に大きな頭。胴体にあたる部分は幹、手はつるで足は根っこでできている。


 その肢体に、頭とおぼしき大きな花弁──薔薇がついていて、背丈はシビラの半分ほどしかない。小さな人間の子供のような魔物だ。


 頭とおぼしき花弁部分には、人間のような目や鼻はなく、表情がわからない。けれども慌てふためいているのは明白だ。


 混乱している。そしておそらく、怯えている……。


 中には自ら土を掘り起こし、根っこを埋めて、普通の花に擬態化している子までいる。あきらかに不自然な場所に埋まっている子もいるが、それどころではないらしい。


「みんな怖がっているような……」

「基本的に、デザートローズは臆病ですから。その名の通り、他の魔物に食べられることが多いので、近くに自分より大きな生き物がいると──ああして幼体のうちは、普通の植物みたいに擬態するんです」


 根っこを地面に埋めた子を指差して、ロードは淡々と述べる。


「幼体のうちは普通の植物と同じで、水と栄養を土から吸収して育ちます。しかし捕食されすぎて一時期全滅しかけたので、やむなく城で保護しました」


 捕食されやすい分、繁殖力もあるのだが……幼体は弱いのに加えて、旨すぎて、狩られすぎてしまったらしい。


 何でも、デザートローズという名の通り、果実のような味がするそうだ。


 つまりみんな、「狩られるー!」「食べられるー!」といった具合に逃げ回っている状況のようだ。


 ちなみに城の中では魔物に捕食される心配がないので、普段は日向ぼっこしたりあちこちお散歩したりして、のんびり過ごしているとのこと。 


「幼体のうち? ではこの子たちはみんな子供で、成長したらもっと大きくなるのですか?」

「大人は全長五メートルほどになりますが、大きな個体だと稀に十メートルクラスもいます。そこまでになると、魔族の我々から見ても化け物クラスですが」


 当然と返されたシビラの視線の先には、先刻から変わらず「わー!」「きゃー!」と薔薇たちがあちこちに走り回っている。


 色も赤、白、黄色等々さまざまだ。そしてなかでも一際目に入ったのが──


 すごい! こんな綺麗な色の薔薇、見たことがないわ!


 他の子たちを見渡しても、同じ色の個体はいないようだ。珍しい青い薔薇の子が、ちょこんと一匹。シビラの足元に短い足でチョコチョコやってきた。


「こ、こんにちは?」


 青い小さな薔薇が、シビラをジーっと見上げている。


 見ているということは、どこかに目がありそうなのだが……やはり見当たらない。


 頭とおぼしき花弁部分には人間のような目や鼻はなく、どこについているのかわからない。


 おそらく人間でいうところの、手と同じ形状のつるの先っちょで、シビラをつんつん突っついている。


 安全かどうか確認しているらしい。


 この青い個体は、他の個体と違って好奇心がまさっているようだ。野生下ならまっさきに捕食されやすいタイプともいえる。


 暫くすると、青い個体が突っついているのを見て、大丈夫と思ったのだろう。他の薔薇たちもわらわらとシビラの周りに集まってきた。


 みんな興味本位で青い子を真似して、シビラをつるの先っちょで突っついている。


 けれども棘つきのつるで突かれているのに痛くない。不思議に思ってつるをよく見てみると、棘が無くなっている。


 ロードが言うには、猫の爪のように棘の出し入れが自在なので、今は棘を引っ込めているらしい。


 とても優しい生き物のようだ。だから弱い幼体のうちは簡単に捕食されて、絶滅に拍車がかかったのかもしれない。


 そうして突っつかれるくすぐったさをえていると──


 ボコ、ボコボコボコボコボコボコ! …………ズシン! ズシン! ズシン!


 土の中から何かがい出るような音がした。


 続いて起こった突然の地鳴りに、シビラは森と化した中庭の奥を見る。


 木々をなぎ倒して出てきたのは、頭部にあたる赤い花弁だけでもシビラの倍はある、巨大なデザートローズだった。

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