第4話 契約の印(証)

「あの、お館様? いったい何を連れ帰っていらしたのですか?」


 突然、古城の中に現れたシビラたちに驚いた顔をしているのは、灰褐色と黒と白が混じりあった、毛並みの良い狼の獣人だった。


 金目にピンとしたお耳。とてもキリッとしたお顔立ちで、ふわふわのモフモフの毛並みは、触ったら気持ちよさそうだ。


 それも、シビラが片手にすっぽり収まるくらい、ものすごく大きい。


 獣人は町中でもたまに見かけることはあったけれど、こんなに大きくて立派な狼の獣人を見るのは初めてだ。


「今回は拾いものをしました」

「人間の子供に見えるのですが……」


 呆れ口調のモフモフに咎められても、境界線の悪魔は涼しい顔だ。


「そうですね。私にもそう見えます」

「お館様!」


 境界線の悪魔をお館様と呼んで、いかにも忠実な配下といった感じの狼の獣人が、声を荒げる。


 シビラは軽くスカートの端を両手で摘まみ上げると、丁寧にお辞儀をした。

 

「はじめまして、獣人の方。私はシビラと申します。これからお家のお掃除をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」

「おや、そういえば名前をまだ聞いていませんでしたね。あなたはシビラというのですか?」


 境界線の悪魔がシビラに問い掛ける。


「はい。両親が付けてくれました」

「シビラは託宣たくせんの巫女という意味があるそうです」

「巫女?」

「神の言葉を伝える聖女ですよ」

「聖、女……」


 これほどボロのシビラに似合わない名前があるだろうか。


 今のシビラには分不相応なほど立派すぎた。けれど、亡くなった両親が付けてくれた名前は、シビラに唯一残された形見のようなもの。


 響きを聞くだけで温かい気持ちになれる。シビラは自分の名前が大好きだった。そして意味がわかって、ますます好きになった。


「教えてくださりありがとうございます。境界線の悪魔さん」


 ニコニコお礼を言うと、境界線の悪魔は何がそんなに嬉しいのかと不思議な顔をした。


「な、なんですかお館様に向かってその呼び方は! せめて様を付けなさい」

「えっ? えっ? す、すみません!」


 わぁ! モフモフが怒ったー! でも何だか可愛い! ではなく、ごめんなさいっ!


 反射的に謝ったものの。


 ワンちゃん、いえ、狼が喋っているなんて……何て可愛いのかしら。


 怒られているのもそっちのけに、シビラはモフモフの毛並みに魅入ってしまった。


「相変わらずお堅いですね、ロードは。私はもうただの城の管理人ですよ? 新しい魔王が現れたらここはさっさと明け渡しますし、未練はありません。しかしどうしてこうも新しい魔王候補が現れないのでしょうか。城をあけて花畑で過ごしている間も、特段変化はなかったようですね」

「それはみんな、お館様にかなうわけがないと、尻込みしてしまったからですよ。お忘れですか? 大魔王様が亡くなった後に、魔王選出の儀で候補に上がった魔族を、お館様がことごとくのしてしまわれたのを」

「あんな弱い者たちを次代の魔王と認めるわけにはいかないでしょう」

「お館様が単に強すぎるのですよ」

「私が現役げんえきを引退して百年もたつというのに……まったくだらしのない」


 モフモフ、狼の獣人の名前はロードというようだ。


 よし、しっかり覚えました。


 それにしても、現役を引退したとはいったいどういうことなのかしら? それに……


「魔王候補を倒した……?」

「お館様は大魔王様のかつて懐刀と呼ばれた側近中の側近。魔族の貴族階級のなかでも最高位に君臨するお方です」

「!」


 境界線の悪魔が、ロードに向けていた視線をシビラに移す。


「マッドピエロ、そう呼ばれていたときもありました」

「マッドピエロ、さ、ま? 大魔王の、側近……それって……」


 それはあまりに有名で、人間にとって伝説の一部であり、おとぎ話のようなもの。そして魔族の世界ではあまりに多くの功績を残した名前でもある。


「ああ、そうでした。まだ自己紹介をしていませんでしたね。私はかつて大魔王の側近をしていたので、マッドピエロというのはその時の呼称です。少々おふざけの過ぎた時期がありましたもので、かつてはそう呼ばれていました。今は境界線の悪魔が私の呼称ですが、本名はエミリウス・ラダールと申します。どれでも好きに呼んでいただいて構いませんよ」


 自分の名前の意味を知って喜んでいたのが、ちっぽけに思える。そんな衝撃だった。


 世界の覇権を巡る戦いで、勇者と大魔王が決戦したのは、シビラが生まれる百年以上も前のことだ。


 それも大魔王の側近、マッドピエロといえば、「大魔王よりも強いのでは?」と噂され、裏ボスとも言われて怖れられていた、魔族の大貴族ではありませんか!


 ……それにしても、この方の年齢はいったいいくつなのかしら?


 大魔王がいたのは百年以上も前。でも見た目は十代後半の青年に見える。


 …………ん? あれ? この方もしかして、数十年じゃなくて百年くらいあの花畑にいたってこと!?


 魔族は長命と聞いたことがある。年数を正確に数えるとかには、頓着とんちゃくしないのかもしれない。


「王子様でも魔王でもなく、境界線の悪魔さん、あ、様が裏ボス……!」

「元、ですがね」


 いえいえ、今もしっかり現役ですよ。という、ロードの嘆きに似た呟きが聞こえてくる。


「そう呼ばれるのは久しぶりですが。それにしても裏ボスですか。少々品性に欠けるような……」

「あ、あの。やっぱり私、花畑に戻っ」

「りませんよ。生きたまま食われたいのですか? まだ私の代わりの後任も着いていないのに。そもそも、あなたには私のしるしがついているのに、今更契約は無しでは通用しませんよ?」


 言われた通り。シビラの胸元には、契約した証である魔族の印が赤々と輝いている。


 普段は光ったりしないのだが、今光っているのは境界線の悪魔の意思が反映しているらしい。


「それに契約の無効には相応の対価が必要となります。覚えておいてください」

「はい……」


 いつもより低い声でしっかりと釘を差され、シビラは己の浅はかな振る舞いに恥じ入り、肩を落とす。──と、


 そんなシビラを尻目に、境界線の悪魔は元の調子で話を再開した。


「さて挨拶はすみましたし、夜ももう遅い。掃除の手伝いについてはまた後日、取り決めることにしましょう。それではロード、シビラさんに入浴の用意をしてあげてください」

「かしこまりました」


 しゅんっと落ち込んでいたら、久しぶりに人から名前を呼ばれて、シビラはハッと顔を上げる。


 宿屋でも「おい」とか「お前」しか呼ばれなかったのに!


 途端、喜びに目を輝かせたシビラの反応に、境界線の悪魔は元の落ち着き払った様相で、一呼吸置いてから尋ねてきた。


「これは失礼しました。あなたのことはこれから名前でお呼びしても構いませんか?」

「はい! もちろんです!」

「そうですか。それは良かった。ああそれと、名目上この城の管理人は私ですが、名ばかりでして。これまで実質的な城の管理をしてきたのはロードです。ですので何か入り用の際は、彼に何でも申し伝えてください。ロードもそれでいいですね?」

「は!」


 良い返事をすると一礼してロードは場を離れた。


 ──それから一時間ほどが経過して、


 お風呂を出たら、寝間着が用意されていて着替えると、ロードが部屋まで案内してくれた。


 その日シビラは、就寝までに広々とした部屋で一人、窓辺から夜闇の空を見上げて過ごし。いつの間にか眠りに落ちていた。

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