第3話 魔族の住処

 夜闇にも白く輝いている花畑に座り込み、辺りを眺めること数分がたった。


 綺麗な場所だからだろうか、一人でいるのも案外怖くない。


 そう思っていると、ふと視線を感じたような気がして、シビラは首を傾げる。


 あれ? もしかして……


 そろそろと見上げると、まだ境界線の悪魔は石碑の上に座っていた。シビラを淡泊な様相で見下ろしている。


 いなくなったんじゃなかったんだわ!


「あの、どうされましたか?」


 ちょっぴり嬉しくなって、思わず最初に話し掛けられたときの台詞を真似てしまったシビラの前に、境界線の悪魔はトンッと下りてきた。


 一切、無駄のない美しい身のこなし。シビラは息を凝らし、その動向を見つめる。


 最初は自分のことにばかり必死で、余裕がなかったけど。私、こんな綺麗な方、初めて見たわ。


 近くで見ると、エルフのように耳の先が少し尖っているのに気づいた。それがまた神秘的で、悪魔と呼ばれているのに神々しさすら感じてしまう。


 互いの距離が近くなり、探るような目を向けられる。


 シビラがドキドキおどおどしているのを見て何と思ったのか、境界線の悪魔は暫く無言で凝視してから口を開いた。


「まあいいでしょう。ここ数十年ずっと同じ景色ばかり見ていて、退屈していましたし」

「では、私を食べてくれるのですか?」

「はい。ただし条件があります」

「条件……?」

「私は住処を離れ、長い間この地の番人として過ごしていました。しかしそろそろ後任を立てて、元いた場所へ戻ろうかと思っていたところです」

「元いた場所?」

「ええ、留守にしていたので修理も必要ですし、だいぶ荒れています。そこであなたには、掃除の手伝いをお願いしたいと思っているのですが」

「境界線の悪魔さんのお家をお掃除すれば、私を食べてくれるのですか?」

「はい」


 条件というからには相当難しいのを出されるかもしれない。そう思っていたので、掃除とわかってシビラは心底安心した。


 良かった。それなら私でも一生懸命頑張ればちゃんとできそうだわ……。


 と安心しているのもつかの間だった。


 シビラが少し考え込んでしまったのを、境界線の悪魔は躊躇していると勘違いしたのかもしれない。


「どうしますか? もしこのまま衰弱死するとしたら、死ぬまでに相当苦しい思いをされると思いますよ。心臓が止まるまでに幾つか段階があります。まず意識が朦朧として現実と妄想の区別が付かなくなり、独り言を話し始め。それから肺機能が低下し、呼吸困難に陥り……ああ、それ以前に私がこの地を去ったら動物も魔物も寄ってきますからね。後任の者がくるまでに、生きたまま食われるかもしれませ……」


 ひっ! とシビラは悲鳴をあげた。背中を押すにしてはとんでもなく怖いことを言われて、即答で頭を下げる。


「おっ、お掃除頑張りますので、よろしくお願いいたします!」

「おや、良い返事ですね」


 にこりと笑った境界線の悪魔は、優美で隙がない。


 満足そうにしているのを見ているだけで、幸せを感じてしまう。そんな心惹かれる美しさだ。


 こうしてシビラは食べてもらえるのと引き換えに、境界線の悪魔と取引をした。


 

☆☆☆



 将来の夢ではなく、命の期限が決まったシビラは、将来の不安から解消されて、すっかり明るい気持ちになっていた。


 生きていられるのはお掃除が終わるまでの短い期間だけれど、先ほど境界線の悪魔に怖い話をされたのもなんのその!


 お掃除を手伝う期間限定とはいえ、新しい家で暮らせるなんて、最期にいい思い出ができそうだ。


 ところで、魔族のお家ってどんなところなのかしら?


 子供のシビラにも高貴な方とわかるくらい、紳士な境界線の悪魔は、きっと魔族の中でも相当に地位が上の人だ。


 住んでいるところは大きなお屋敷でしょうか?


 そうして少し前までわくわくしていたシビラは、目の前にある巨大な古城に口をアングリと開けていた。


「お城……? お屋敷ではなく?」


 いったいどうやって連れてこられたのか。あまりに早く、一瞬のことでわからなかった。


 境界線の悪魔がシビラの体をマントのような何かに包み込んで、それから──気づいた時には花畑はなくなっていて、別の場所に連れてこられていた。


 夜間で辺りは薄暗い。けれど、少したつと目が慣れてきた。


 大きな岩があちこちに浮遊しているその中心に、堂々とした佇まいの巨大な古城が建っている。


 わずかな星の光に照らされた全貌に、シビラはただただ圧倒されるばかりだ。

 

「ご説明がまだでしたね。ここはシャングリラと呼ばれる魔族の土地で、歴代の魔王が統治する場所です。あの中心に建っているのが百年前に大魔王がいた古城です」

「大魔王の古城……」 

「はい」


 大魔王の古城で暮らしている……ということは、境界線の悪魔さんは魔族の王子様? もしくは……魔王!?


「ですが私は魔王ではありません」

「魔王ではない」


 考えを読まれていたようだ。聞くまでもなくあっさり否定されてしまった。


 そんなにわかりやすく悩んでいたかしら?


 先ほどから茫然としてオウム返しに話すしかないシビラを、境界線の悪魔は小馬鹿にするでもなく、忍耐強く丁寧に説明をしてくれた。


「私は大魔王の後任を引き継ぐ魔族が出てくるまでの代役。ただの管理人です。それがなかなか、我こそはという者が現れず困っているのですよ」

「…………」


 魔族の世界にも人手不足の悩みが!


 話の流れ的にシビラは真顔で聞きながら、心の中では境界線の悪魔への妙な親近感が湧いてきていた。


「さて、さっさと要件をすませましょうか。少々気難しいですからね」

「?」


 境界線の悪魔が独り言のように呟くのを聞きながら、その長身を見上げていると……またシビラの体をマントのような何かが包み込むやいなや、次の瞬間には古城の中へと移動していた。

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