第2話 境界線の悪魔

 人間のものではない身軽さと、どこか妖艶で知的な雰囲気。石碑の上に座っていたのは、とても綺麗な男の人だった。


 目をパチクリしながら、シビラは男の人を見上げる。


「どうされましたか?」

「白猫ちゃんに、似てる……」

「ん? なんですか?」


 品があって、貴族のように洗練された柔らかな物腰に背格好。しなやかさのなかに強さが垣間見える。


 この方、本当は芯のあるとても強い人だわ……。


 白猫ちゃんと同じ色合いのプラチナブロンドの真っすぐな髪は、肩の高さで切りそろえられている。新緑を思わせる緑の目のこの人が「境界線の悪魔」だと、シビラは直感する。


 ……境界線の悪魔というより、白銀はくぎんの悪魔の方があってるわ。そっか、だからここは白い花畑プラチナガーデンと呼ばれているのね。


 てっきり花が白銀はくぎんに輝いているからだと思っていたけれど、それも含め、主体はこの人の髪色を模して付けられたと考える方がしっくりくる。そんな印象深い景色だった。


 そして不思議と恐怖はなく、白猫ちゃんと似ているこの人が探していた境界線の悪魔だとわかって心が安らいだ。


 親しみと妙な安堵感に、「ふふっ」とシビラが小さく笑ってしまったのを見て、男の人が「おや?」とした。


 話を続ける前にシビラは軽く身なりを整え、目元の涙を拭う。


 お腹が空いていて、体も疲れ切っていたけれど、立てるくらいには気力が回復していた。


 立ち上がり、軽くスカートの端を両手で摘まみ上げると、シビラは極力失礼のないように丁寧にお辞儀をする。

 

「はじめまして、こんばんは。とても綺麗な方。あなたは魔族さんですか?」

「そう見えますか?」

「はい」

「あなたはここが何と言われている場所なのか、そして私が何者かを知っていていらしたのですか?」

「はい」


 このときシビラは誰かと話ができることに喜びを感じていた。嬉しくて、思わずニコニコと話をしていたら、男の人が怪訝そうにしている。


「もう一度お聞きします。あなたはここが何と言われている場所なのか、そして私がどのように呼ばれているかも知っていてこの場所へ来たと?」

「はい。あなたは境界線の悪魔さんですよね?」

「…………」


 だとしたらどうするつもりかと、目だけで問われて、魔性のような緑の瞳の美しさにドキッとする。


 沈黙は肯定の表れ。そう思ってシビラは胸の前で両手を握りしめ、祈るように境界線の悪魔を見上げた。


「お願いです。どうか私を食べてください」


 話を続けると、境界線の悪魔は一瞬、驚いたように軽く目を瞠った。それから目を細め、シビラを静かに見下ろした。


 これで楽になれる。穏やかな心境でいるシビラに、しかし境界線の悪魔は淡々と言葉を返した。


「何故?」

「えっ?」

「何故そう願うのですか? 人間は命を惜しむものと思っていましたが」

「それは……」


 ただ食べられて終わるものだとばかり思っていたのに、理由を聞かれるのは想定外だ。


 これはもしかして……


 宿屋の女将さんがよく言っていた。上流階級の人たちは、食料の農産地や生産者に特にこだわりをもっていて、知りたがるものなのだと。それが信用に繋がるのだとか。


 その日暮らしのように生きてきた、食べられれば何でもいいシビラには、ちょっぴり不思議な話だ。


 境界線の悪魔は紳士で、見た目も中身も上流クラスの人であることは疑いようがない。


 つまりこれは、人間の上流階級の方たちが食料のあれこれにこだわるのと同じ心境……だとしたらちゃんと伝えた方がいいだろう。


 シビラはこれまでの経緯いきさつをかいつまんで話した。


 すると、境界線の悪魔は「そうですか。なるほど」と落ち着いた様子で返してから、心底申し訳ない口調で述べた。


「残念ですが、私はあなたが望むのとは真逆の者です」

「真逆……?」

「私は魔族ですから、人の望みを叶える者ではありません。人間の望みを叶えるのは、魔族の主義に反するのですよ。むしろ、命を捧げるとおっしゃるあなたを私は生かすことで楽しむ。それが魔族です。他の魔族なら口を揃えて言うでしょう。命を惜しんでいない人間の命を奪う行為のどこに、楽しみがあるのかと」


 シビラは自分の顔がサアッと、急激に青ざめるのを感じていた。ようやく自身の愚かさに気付いたのだ。


 それが境界線の悪魔にも伝わったのだろう。


 シビラを淡々と見下ろしながら、さらりと話題を切り上げる形で告げられる。


「せっかくの申し出ですが、お断りします。私も魔族ですので」


 興醒めの顔をしていなくなろうとした境界線の悪魔を、シビラは必死に呼び止める。


「あっ、あのっ! 待ってください!」

「まだ何か?」

「では私が命を惜しめば、境界線の悪魔さんは私を食べていただけるのですか?」

「それはそうですが。あなたは命を惜しんではいないでしょう?」

「…………」


 ああっ、どうしよう! 咄嗟に呼び止めちゃったけど、何もいい考えなんて浮かびそうにないわ!


 でも境界線の悪魔さん、ぎりぎり待っていてくれている……やっぱりこの機会をどうしても逃したくない!


「じ、実は私まだ生きていたいなと思っ」

「魔族を騙そうとしても無駄ですよ?」

「うっ、すみません」


 当然といえば当然なのだが、見抜かれてギクリとする。


 シビラはあまりにも単純な嘘しか思いつかない自分のダメさ加減に少し落ち込んだ。


「まったく、くだらないですね。そんなやり方で呼び止められたのは初めてですよ」

「本当にすみませんっ!」


 ひゃぁっ! 今度は怒らせてしまった!?


 綺麗な人の不機嫌な返事とは特に恐ろしいものなのだと、シビラは生まれて初めて知った。


 ため息を吐かれ、咄嗟に頭を下げる。すると──くらりと視界がゆがんだ。


 あ、れ……?


 再びペタリと地面に座り込んでしまい。足腰に力が入らない。


 両手を地面につけてへたりながら、シビラは考えた。


 そっか、このままここにいればいいんだわ。そうすれば……


 手を下してもらう必要もないくらい、シビラは自身で思っていた以上にずっと弱っていた。それが幸いした。


 境界線の悪魔が放っておいても、このまま何も食べられなければシビラはいずれ衰弱死する。


 それにここは境界線の悪魔を怖れて、人間はおろか、魔族や動物さえも近付かない場所だ。これほど安全に、そして静かに逝ける場所が他にあるだろうか。


 良かった──これで私は、自分の命の始末を、ちゃんと自分でつけられそうだわ。そのうえ、こんな綺麗な場所で逝けるなら……


 石碑からシビラを見下ろしている境界線の悪魔を、改めて見上げる。

 

「境界線の悪魔さん、もう大丈夫です。呼び止めてしまってすみませんでした」


 さっきはみっともないことをしてしまったと、シビラは猛省もうせいする。


 話ができなくなるのは少し寂しいけれど、自分の都合でこれ以上この綺麗な方に迷惑をかけるわけにはいかない。


「本当に、ありがとうございました」


 感謝の気持ちをありったけ込めて、笑いかける。これが今のシビラに出来る精一杯のお礼だった。


 さて、気持ちも決まったことだし、あとはこの綺麗な景色を、ずっとただ眺めていよう──

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