見捨てられた少女は、裏ボスがほだされているのに気づかない

薄影メガネ

第1話 死の花畑

 六歳の誕生日を迎えた日の朝。シビラは住み込みで働いていた宿屋を追い出された。


「ほらほら、もうウチではあんたを雇えないんだよ! さっさとどこかへ行っとくれ!」

「でも私行くところがないんです。ここを追い出されたらどこへ行けばいいのか……」


 周りを行き交う人たちが何事かと、通り過ぎざまにちらちらシビラを見ている。


 すると、人目を気にした女将さんの声が一層大きくなった。


「可哀想とは思うけどね。そんなの知ったこっちゃないんだよ! こっちも生活がかかってるんだ!」

「あっ、あの! でも……っ!」

「それになんだい? この粗末な花は? お高く気取った貴族様じゃあるまいし。部屋に勝手に花なんざ飾り付けて、お上品ぶってるんじゃないよ! こんなものを摘んでくる時間があるなら仕事しろってんだ! ったく、使えない子だね!」

「それはお父さんとお母さんにお供えしているお花でっ」

「はぁ? ああ、そうか今日はお前の両親の命日だったね。ふんっ! でもそんなのもうこっちにはどうでもいいんだよ!」


 シビラの両親は二年前に貴族の馬車に引かれて亡くなり、その命日が丁度今日だった。そして同時にシビラが産まれた日でもある。 


 孤児になったシビラは生きていくために、親戚が営む宿屋に住み込みで働かせてもらっていて、最近ようやく慣れてきたところだった。


 本当はちゃんとお墓参りに行きたかったけれど、両親の埋葬されているお墓は遠くの町にあって、子供の足ではいったい何日かかるか……。


 仕事を放り出してお墓参りにいくわけにもいかず、ならばせめて花くらいは部屋に飾って両親の死を悼もう。


 そう考えたけれど、お金もないシビラにとって、売り物の花はとても高価なもの。


 だから今日はいつもよりもっと早起きをして、仕事が始まる前に町の外へ花をつみに行って戻って来たところだった。 


「とにかくさっさと出て行かないと自衛団に来てもらうよ!」

「っ!」


 つんできた花を適当なサイズの容器へ移し、お水を入れて飾っていると、突然女将さんがやってきて今に至る。


 始終おどおどしているシビラに、女将さんは花と、最後のお給金代わりだとカチカチのパンを一つ地面に放り投げ、勢いよくドアを締めた。


 バタンッ! 


 立ち止まって高みの見物をしていた人たちは、下手に関わらないようにと思ったのだろう。


 シビラの鼻先でドアが閉まったところで、バラバラとそれぞれの生活に戻っていく。


「これから、どうしよう……」


 あまりに突然の出来事に呆然としながら、とりあえず辺りに散らばった花を、一つ一つ地面に両膝をついて拾っていく。


 不格好になった花を拾い終える頃には、ようやく放心がとけていた。


「どこへ行けばいいの?」


 途方に暮れ、手元の花を見る。今シビラにあるのはこのつんできた花と、地面に落ちている土とほこりまみれのパンだけだ。


「お花……そっか、そうよね。私……」


 表面についた汚れを手で落としながら、パンを大事に拾う。すると、足元からニャーと鳴き声が聞こえてきた。


 目が緑で毛並みが銀糸みたいに輝いている白猫ちゃん。この子は野良で、宿屋で働き始めてから友達になった子だ。


 とても人懐こく、休憩中は宿屋の裏手で日向ぼっこしながら、シビラたちはよく一緒に過ごしていた。パンを少しちぎっておすそ分けする。


「あのね。女将さん新しい人を雇ったんだって。元冒険者で、腕も立つから宿屋の用心棒にもなるし、私は必要ないみたいなの。ごめんね。折角仲良くなれたのにもう一緒に遊べないの」


 パンを咥えながらシビラの足にすりすり擦り寄っている白猫ちゃんの頭をポンポン撫でて、気遣ってくれる相手がいたことにホッとする。けれど……


 これからどうしよう……とさっきは呟いたけれど、シビラには本当は自分の置かれている状況がわかっていた。


 どこへ行けばいいの? とさっきは呟いたけれど、シビラには本当はどこへ行くべきか、わかっていた。


 そしてこれからどうするべきかも、本当はわかっていた。


 答えはとうに出ていたのに、すぐにそうと踏み切れなかったのは。ただ少し、心を整理する時間がほしかったからだ。


 ここは人目が多すぎるわ。とりあえず宿屋から離れることにしよう。それから……


「じゃあね。白猫ちゃん。元気でね」


 シビラに残された選択肢はとても少なく。決めるのにそう時間はかからなかった。


 唯一の友達にお別れをして、町の門をくぐり、シビラは外へ出た。


 それから草地を歩いて歩いて歩いて歩いて。


 やっと辿り着いたときには、朝に町を出てから半日以上が経過していた。


 歩きすぎた足はガクガクと震え、筋肉が強張り、靴もすり切れていた場所に穴があいていた。


 靴の穴から小さな足の指がのぞいている。


 それに、たくさんお腹も空いていた。


 少し肌寒さを感じて、自分で自分を抱き締めるようにしながら、シビラはそこから見える景色を眺める。


「綺麗な場所……」


 辺りはすっかり日が落ちていた。


 けれど夜なのに、目の前には明るさすら感じる、一面、白い花で埋め尽くされていた。


 白く輝く花が咲き乱れ、ときおり吹く風が花びらを散らす。幻想的な美しさだ。


 ここは魔族と人間の土地の境界線。


 百年前の勇者と大魔王の決戦で多くの人と魔族が血を流し、この地で亡くなった。人間は決して足を踏み入れてはならないと言われている、禁断の地だ。


 死者の魂を慰める穏やかな風が吹き、供花の白い花が一年中咲き乱れる。


 今ではこの場所は「死の花畑プラチナガーデン」と呼ばれていて、この土地に近付いた人間は、番人を務める「境界線の悪魔」の異名を持つ上級魔族に喰い殺されてしまうという話だった。


 本来ならこんなちっぽけな小娘には到底近付くなど出来ない恐ろしい場所だが、今のシビラにはこの上なく安らぎを与えてくれる唯一の場所であった。


 頼りになる大人も仲間もいない。六歳になったばかりの子供のシビラにいたのは、白猫ちゃんだけだった。


 物乞いになるか、身売りするか、何かしらの方法で生き延びたとして、それはきっと亡くなった両親に誇れる生き方ではないだろう。


 どう考えても真っ当に一人で生きていくことはできない。


 だから、シビラは両親のいる場所にいくことにした。


「ごめんなさい。お父さん、お母さん」


 両親と最後に話をしたのは、シビラが四歳のとき。なので、二人の顔はボンヤリとしか思い出せない。


 それでも二人がシビラにとても優しかったのは覚えていた。


 パンを持つ手にポタリと涙が落ちて、荒れた指先にヒリヒリと少ししみた。


 住み込みで働いていた間中、重い物を毎日運んだり、お掃除をして、慣れないお手伝いを必死に頑張ってきた手はボロボロで。みっともなくてとても人には見せられないものだった。


 服も、靴も、腰まである髪も、顔も、肌も薄汚れていたシビラは、最近は裏で仕事をして過ごしていた。


 毎日怒られて、ご飯を何日ももらえないこともあったけれど。すり切れた毛布に包まって縮こまりながら、屋根のある場所で眠れるのはとても嬉しかった。


 仕事をした報酬にもらったご飯を白猫ちゃんにもおすそ分けすると、美味しそうに食べてくれるのを見ている時間はとても幸せだった。


 花畑の中に一つ頭が飛び出た碑石があったので、その前まで行くと、シビラは花をそなえてお願いした。


「魔族さん、お願いです。私にはこの花とパンしかお供えするものがありません。でももしいらしたら、どうか私の願いを叶えてください。私を食べて、私の魂を両親のいるところへ連れて行ってください」 


 しかし返事はなく。


 そこで何度か同じ言葉を繰り返した。──が、


 やはり返事が戻ってくることはなかった。


 シビラはしゅんっと落ち込んで、その場に座り込んでしまった。半日以上空腹で歩き続けて、もう足にも体にも力が出なかったからだ。


 とうとう涙がポタポタと流れ落ち、シビラの小さな頬を濡らした。


「お父さん、お母さん……」


 どうやったら二人のところにいけるんだろう。方法がわからず泣いていると──突然、頭上からえもいわれぬ美しい声が聞こえてきた。


「おやおや困りましたね。こんな場所に人間がくるとは」


 碑石の上にいつの間にか一人、男の人が座ってシビラを見下ろしていた。

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