第5話 従者と主人の密談

 主人であるエミリウスの要望通り、シビラを部屋まで送り届けると、ロードは書斎へ向かった。


 エミリウスが花畑に引きこもること百年ほどが経過して、ようやく城へ戻ってきたと思ったら、まさか人間の子供を連れてくるとは。とんでもないものを持ち込んでくれたものだ。


 ロードは、苦い顔で城の廊下を足早に歩く。


 獣人の寿命は人間とそう大差ない。七十年から八十年といったところだ。


 百年というと普通の獣人であれば、とうに寿命が尽きている。


 しかしロードは、狼の祖である神獣フェンリルの血を引いている。


 神獣の血を引く純血種の末裔まつえいであるロードの寿命は長く、体格も他の狼の獣人に比べて圧倒的に大きい。


 そういえば、シビラもロードの大きさに驚いていたなと、思い起こす。


 始終、目が合うたびに「おっきいワンちゃんだ!」と目を輝かせて、触りたそうな顔をしていたが、おそらく当人は無自覚だろう。


 考えが全て顔に出てしまっているとは、つゆほども思っていない様子だった。


 ロードはそのあまりの大きさに、同族からも恐れられ、避けられている。


 目が合うだけでビクつかれるのがほとんどで、そんな嬉しそうに反応をされたのは初めてだった。


 むず痒いような、なんとも言えない不確かな感覚につける名前もわからぬまま、ロードは書斎の前までいく。


 く気持ちを抑えて、エミリウスのいる書斎のドアをコンコンと叩いた。


 程なくして「どうぞ」と返答があり、ロードはドアを開けた。


「ただいま戻りました」


 書斎に入っていくと、本棚の前には、手にした本に目を通しているエミリウスがいた。


 話をするのに程よい距離まで行き、ロードは足を止める。


「お館様の言いつけ通り、お部屋までご案内いたしました。今後はその部屋で過ごすよう、申し伝えてあります」

「ご苦労さまでした」

「湯船に浸からせたところ、汚れが落ちたら見違えるようになりましたよ。黒曜石のような黒髪に黒い瞳で、だいぶ見れるようになりましたし、案外可愛らしい顔をしています」

「そうですか。それは明日会うのが楽しみです」


 そつなく返事をしている間も、エミリウスは本棚に向かい、手元の本に目を通している。ロードは極力抑揚よくようを抑えて、話を切り出した。


「それにしても……大魔王様の古城に人間を連れてくるとは、いったい何を考えていらっしゃるのですか?」


 すると、おもむろに本から顔を上げたエミリウスは、何を言うでもなく、丁寧な動作で本を閉じた。何かしらのお小言があると見越していたらしい。


 エミリウスは本を棚に戻すと、ようやくロードの方へ体の向きを変え、普段と変わらぬ余裕のある顔付きで微笑する。


「考える、とは?」

「何かたくらんでいらっしゃるのでは?」


 いつもなら、エミリウスのとぼけた返答を軽く受け流すロードだが、今回ばかりはそうはいかない。


 咎めるロードに、エミリウスはやれやれと慣れた様子で読書を諦めると、部屋の奥にある机へ移動する。ロードもそれに追従した。


 エミリウスは机の下に収納されている椅子を引き出し、腰掛けると、両肘を卓上につけて、指と指とを組み合わせるようにした。そして追ってきたロードを正面から眼差まなざす。


「私は何も企んではいませんよ。普段からあなたもおっしゃっていたじゃないですか。人手が欲しいと」

「それは! お館様が城の使用人をほとんど追い払ってしまわれたからではありませんか! 城を管理しようにも、残りの使用人だけでは全てに手が回らないのは、元よりご存知だったはずです! 第一、いくら人手が欲しいといっても、私はあんな子供に任せるのは反対です」


 ここは仮にも魔族の土地。人間の、まして子供が大魔王の城にいるなど、他の魔族に知れたら……不信感が募る一方で、反発の声が上がるのは避けられない。


「何も、人間の子供を使わなくてもよいのではありませんか?」

「色目を使ってあわよくば正妻の座を狙ってくるような妖魔や、警備兵とは名ばかりで頭の回転が低い、力ばかりが自慢の馬鹿は必要ありません。それに比べたら、人間の子供の方が遙かに害が少ないでしょう。なにより私が不在にしている間、万一にも城に手を加えられたくはありませんからね」

「では今からでも新しい使用人を厳選されてはいかがですか? お館様が戻られたのですから、誰も無断で手を加えようなどとは思わないでしょう」

「そうですね。それは考えておきます」


 チッと、ロードは心の中で舌打ちする。


 考えておくといいながら、いったいどこまで真面目に聞いているのやら。きっと流すつもりに違いない。


 そもそも、手の入らない城が荒れ果てるのは当たり前だ。


 百年程前の当時、大魔王が勇者に敗れて亡くなると、エミリウスはその後行われた次代魔王選定の儀で、参加した候補者をことごとく倒してしまった。けれど自ら魔王に名乗りを上げるでもなく、すぐに城を出ていった。


 エミリウスの行動を制限できるものはおらず。それから現在に至るまでの百年間、エミリウスはただの一度も新しい住人を受け入れることなく、入城も許さなかった。


 人間のみならず魔族からも恐れられている、実質的な魔族の無類の王たるエミリウスの関心は、花畑にしかなかった。


 それがようやく戻ったと思ったら、どこの者とも知れぬ、人間の子供を連れてきたのだ。


 ──高位の魔族にさえ城への立ち入りを許さなかったのが、こうも簡単に人間の子供に入城を許すとは!


 エミリウスの気まぐれには慣れていたはずのロードも、さすがに驚きを禁じえなかった。


「それにしても、あなたは随分とシビラさんに気に入られたようですね」

「!?」


 唐突に痛いところを突かれて、ロードはグッと息を詰める。くすりと笑みを浮かべるエミリウスの視線。


 この、羊の皮を被った狼め。


 静観するエミリウスの緑眼は、悪戯をする子供のような無邪気さと、危険を孕んでいる。


 ……これは、からかわれているな。


 まったくこの方にも困ったものだと、ロードはコホンッと咳払いして、話題を切り替える。


「ところでお館様、先ほどから気になっていたのですが、そこに置いているパンと花はいったい何ですか?」


 横長の机の上には、端の欠けたカチカチのパンが一つと、しおれた花が数本置いてあった。


 どちらも高貴なエミリウスには不釣り合いな代物しろものだ。


 パンの欠けている箇所は、食いかけにしては歯形も付いていないので、おそらく手でちぎったのだろう。


「これは契約の一部です」

「パンと花が契約の一部? からかうのもほどほどになさってください」

「からかう? 私は冗談など言っていませんよ?」


 馬鹿を言え。契約にパンと花を使うなど聞いたこともないぞ。


 そう口から出かかった台詞をどうにか呑み込む。


 この男は、己の立場も魔族もどうとでもなると思っているのだろう。事実それだけの力を持っているだけに、エミリウスにとっての危うさとは、一般人の考えるものと天と地ほどの差がある。


 そうして苦虫を噛み潰したような顔でいるロードに、やれやれとエミリウスが追加の説明をした。


「納得していないようですね。シビラさんは私に命を終わらせてほしいと望みました。だから生かしました。それは魔族として当然の選択では?」

「彼女と契約を結ばれたのは、本当にそれだけの理由なのですか?」

「おや、命を惜しんでいない人間の命を奪うことのどこに楽しみがあるというのですか?」


 いつもながら釈然しゃくぜんとしない返答に、しかしロードとて、わざわざ主人であるエミリウスの不興を買いたくはない。相手は獣人の一人や二人、片腕一つで事足りる男だ。


 神獣フェンリルの血を引いているとはいえ、ロードも例外ではない。


「いいえ、失礼いたしました。何も異論はございません」


 これ以上異を唱えるのは危険と判断したロードの答えに、エミリウスは卓上で組んだ指に顎を乗せ、満足げに微笑する。


「これでシビラさんの処遇に関するあなたの悩みも解決しましたね。彼女は私の正式な契約者です。あなたもそのように扱うように」

「かしこまりました」


 下された命に、ロードは身を硬くして頭を下げた。

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