第6話 お城散策

 翌朝──というには早すぎる時間にシビラは起きた。


 まだ夜が明けていない薄暗い空を、窓辺から確認する。


 宿屋に住み込みで働くようになってから、朝は必ず誰よりも早く起きるのが、唯一の特技だった。どんなに疲れていても、それは変わらない。


 そうして起きたとき、昨晩の寝間着に続いて今度は新しい洋服や靴が一式、ベッド横のサイドテーブルに置かれていた。


 寝ている間に誰かが持ってきてくれたらしい。おそらくロードだろう。


 ……お会いしたら、ちゃんとお礼を言わないと。


 用意されていた洋服があまりに可愛くて素敵だったため、シビラは思わず感嘆の息を漏らす。


 こんな上等なお洋服、着たことがないわ。でも本当にいいのかしら? 私はただの掃除人なのに……


 悩んだ末に、シビラは思いきって着ることにした。ただの掃除人でも、きちっとした格好でいなければ、かえって失礼だと気づいたからだ。


 シビラが以前着ていた洋服は、ところどころ擦り切れているし、お世辞にも良いとは言えない。


 そんな格好で城内を過ごすのは、城の管理人であるエミリウスの顔に泥を塗ることになる。


 シビラは着替えをすませると、新しい靴に履き替えた。寝間着とこれまで着ていた洋服を畳んでベッドの端へ、その手前の床には穴の空いた靴を揃えて置く。


 朝起きたら必ずエミリウスに挨拶するようロードから聞いていたけれど、訪ねるにはあまりに早い。


 まだ辺りは薄暗いけれど、シビラは少し城の中を散策することにした。


 城の中はあまり灯りがついていないので、夜目がきかない人間のシビラが歩き回るのは大変だ。


 でもそれは昨晩、蝋燭ろうそくを持ち歩くための小さながついた燭台しょくだい──手燭てしょくをロードが持ってきてくれたのでなんとかなる。


 昨晩部屋へ案内されたとき、前を歩くロードの後を追っていたシビラは、灯りのない薄暗い廊下で何度も転びかけた。


 しょっちゅう足がつっかえたりしているシビラに、ロードは最初、不思議そうな顔をしていたが……


 やがて気づいて「魔族は夜目がきくが人間は見えないのだったな。不便だな」と無愛想に呟くと、さり気なく尻尾を振って、つかまるよううながされ。シビラはモフモフの尻尾を掴んだ。


 そうしてシビラが尻尾を頼りに部屋についた後で、ロードは手燭てしょくを持ってきてくれたのだ。


 他にも蝋燭ろうそくの予備を何本かと、火打ち石を一組渡された。


 火打ち石には炎の魔法がかけられているので、子供のシビラでも石を打ち合わせれば、簡単に火を起こせるすぐれものだ。


 それも、ロードの持ってきてくれた手燭てしょくは持ってみると軽くて、シビラの手にも丁度良くなじんだ。これなら子供でも使いやすいだろうと、わざわざ小さいのを選んでくれたらしい。


 モフモフの狼の獣人、ロードとのそんな昨晩のやり取りを思い出しながら、シビラはテーブルに置かれている手燭てしょくを手に取る。


 手燭てしょくは繊細な細工と彫刻が施されており、一見すると華奢だがとてもしっかりした上品な作りで、おそらくかなり高価なものだろう。


 ここは仮にも魔王の城。高価な物にあふれているのは当然で、掃除が終わるまでここで生活するのだから、こんなことにも早く慣れなければと心を落ち着かせる。──が、


 次第に探検心がくすぐって、シビラは好奇心が抑えられなくなり、予定通り散策へと足を進めることにした。




 

 手燭てしょくを持ち、城の中をあちこち控えめに歩き始めてから、そこそこの時間が経過した頃。


 少しずつ明るくなり始めている空をチラ見する。


 といってもまだ足元は暗く、蝋燭ろうそくの灯りを頼りに、中庭に面した硬い石畳の廊下を歩いていると──突然の異音がした。


 きゅーるる〜……


「あっ」


 お腹が鳴った。


 そういえば、パンはエミリウスとの契約で渡してしまって、昨日は朝に宿屋を追い出されてから何も食べていなかった。


 エミリウスに挨拶するときにお腹が鳴るのはさすがに恥ずかしい。とりあえず、お水で空腹を紛らわそう。


 お腹を押さえて、シビラは井戸はないかと、中庭の方をキョロキョロ見回す。


 そうして探していると、丁度シビラがいる後方──硬い石畳の廊下の奥、その暗がりから、カツン、カツンと足音が聞こえてきた。


 音のする方を振り返り、シビラはハッと息を詰める。


 ゆっくりとした歩調で近づいてきた相手は、やがて廊下の奥の暗がりから姿を現した。


 ──白銀の髪に緑眼の青年、エミリウス。


 魔族の裏ボスと言われているエミリウスは、こんな時間にシビラが廊下にいる不審に驚くでもなく、ニコリと優雅に話し掛けてきた。


「おはようございます。というにはまだ日の入りが遅いようですが……」


 チラリと中庭の上空を見てから、エミリウスは昨晩話したときと変わらぬ調子で、ゆっくりとシビラに向かって歩いてくる。


 …………え? ど、どうしよう!? 本人が来ちゃった!


 そして、内心慌てふためいているシビラの数歩手前で足を止めたエミリウスは、相変わらず見目麗しく目の保養である。


 エミリウスの常人ならざる美貌と雰囲気は、出会った当初から感じていた。しかしそんな表面的な言葉だけでは足りなくなると、人はただ魅入ってしまうものらしい。


 返答を忘れて綺麗だなと見上げていたシビラだったが、エミリウスが「どうしました?」とわずかに首をかしげたので「ぁっ」と我に返った。


 うっとりした心持ちで見上げてしまっていたのを悟られないよう、最速で気持ちを切り替える。


 シビラは手燭てしょくを持っていない他方の手で新しい洋服のスカートの端を摘まむと、頭を下げた。


「おはようございます。閣下」

「昨日はよく眠れましたか?」

「はい。とてもよく眠れました」


 好きに呼んで構わないと言われていたけれど、エミリウス様と名前で呼ぶのはあまりに恐れ多い。


 シビラは昨晩、部屋に案内してくれたロードに相談して、魔族の間でエミリウスは閣下と呼ばれていると教えてもらい、それに習うことにした。


 エミリウスもロードからの入れ知恵と気づいているのだろう。しかし特に何を言うでもなく、自然にシビラからの呼びかけに答えている。


 たったそれだけのやり取りだったが、シビラにはエミリウスが見た目だけでなく、中身もとても魅力的にうつった。


「こんなところでお会いできるとは思いませんでした。人間は魔族よりも睡眠が多く必要と思っていましたが」

「早起きは得意なんです。それとこれからお掃除させていただくので、お城の中を少し見学していました」

「それは良い心がけですね」


 エミリウスはシビラの話に朗らかに相槌を打つ。その様子には少しの嫌味もない。


 子供でただの人間のシビラにも、エミリウスは驚くほど対等に、丁寧に対応してくれる。これまで会った人の中でも圧倒的に大人だった。


 人を引き付けるカリスマ性というのだろうか。


 人間の世界では裏ボスと恐れられるエミリウスが、とても気さくで身近に感じられるのだから不思議だ。


 実際、百年ほどあの花畑にいたのだから、もしかしたらあまり物欲がなく、自然を好む素朴な人柄なのかもしれない。


「ところで、閣下はこれからどちらへ?」

「私もあちこち見回りをしていたのです。ここへ戻ったのはおおよそ百年ぶりですから」

「見回り? ひょっとして、お城の中を全部ですか?」

「はい。といっても、全て確認するのに数日はかかりますから、これから行く場所で今日は一区切りするところでした。私が不在にしている間に、他にも事務仕事が溜まりに溜まっていると、昨晩はロードから小言を受けたもので」

「閣下がロードさんからお小言……」


 シビラの頭にモフモフの狼の獣人がポンッと浮かぶ。昨晩、暗い廊下をロードの尻尾を頼りに歩いていたのを思い出す。


 モフモフにまた触りたい……と切ない気持ちでいると、そんなシビラを眺めながら、エミリウスが少し考えるように間をあけた。そして改まった様子で話を再開する。


「シビラさんも見学されているということでしたら、今日は次に行く場所で最後になりますが、よろしければご一緒にいかがですか?」

「はい!」


 エミリウスからの思いも寄らないお誘いに、シビラは一も二もなく答えていた。

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