第17話 溺愛する娘

 エミリウスがシビラを連れて戻った。そうロードが門番から連絡を受けたのは、シビラが城から消えて二時間ほどが経過した頃だった。


 事の顛末を確認するため、エミリウスの寝室を訪れていたロードは、普段とは違う主人の姿をの当たりにすることとなる。


「シビラ様は素敵なレディに成長しましたね。すっかり垢抜けて美しくなったと、近頃城の者たちが騒いでいます。他の高位魔族たちも興味を持っているようですよ」


 大魔王の最側近だった男が溺愛する人間の娘が古城にいると、噂になっている。


 それはそれは美しい娘で、マッドピエロが片時も離さないのだとか。


 さらには名前が託宣の巫女──聖女ということで、余計に輪をかけて噂が一人歩きしているらしい。


 メイドの服を着ているが、普通のメイドでないことは一目でわかるのだとか。それはそうだろう。メイドの服にしては素材が上等すぎる。


 その上、契約者なのだからと理由をつけて、エミリウスはシビラに一介の姫が教わる以上の知識と教養を身に付けさせた。


 あれでは人間、魔族にかかわらず、マッドピエロの溺愛する姫君として、誰もが欲しがるだろう。


 それほど美しい娘にシビラは育った。当人にはまったくと言っていいほど自覚はないが。


 けれども話を聞いているはずのエミリウスは、どこか物憂げに窓辺に座り、夕暮れ時が近い朱の空を眺めている。


 いつも抜きん出た才覚で他者の上位にいるのが当たり前の男が、いったいどうしたというのか。様子を見るロードに、エミリウスがようやく口を開く。


「怪我をさせてしまいました。人間はもろすぎて扱いが難しいですね」


 エミリウスがポツリと呟いたのを、なるほどなとロードは得心する。


 シビラを連れて帰ると、エミリウスは暫くたってから寝室に戻ってきた。


 何でもシビラが怪我をしたとかで、医師に治療を任せずエミリウス自らが薬を塗って、手当てしたそうだ。シビラは今、自室で休んでいる。


「あまり過保護にされますと、籠の鳥は逃げてしまうかもしれませんよ?」

「逃げる?」


 途端、エミリウスの緑眼が鋭い光を帯びた。


 一介の者ならばその眼差しだけで、硬直して許しを請うようなエミリウスの慧眼けいがんを、ロードは落ち着きいさんで見る。


「城の宝を持ち出そうとしたあの庭師のようにですか? あのときはデザートローズに始末をさせましたが、困りましたね。シビラさんはデザートローズたちとは仲が良いですし」

「……それは穏やかではありませんね」


 結局は飄々ひょうひょうと答え、シラを切られてしまう。軽い挑発くらいなら相手にすらされない。やはり簡単には尻尾をつかませてはくれないようだ。


 大魔王の古城に人間のシビラを置くには、相応の理由が必要である。


 当然、城に住む他の使用人たちにも、納得のいくものでなければならない。


 契約を結んでいるということはすなわち、エミリウスにとって特別な相手ということだ。


 禍根かこんを残さず城の住人も納得する理由として、シビラがエミリウスと契約を結んでいるのはうってつけだった。


 しかし問題は、城外の高位魔族たちだ。


 当初より、エミリウスにとってシビラはただの契約関係の人間、という立場でしかなかったなら、城外の高位魔族に何かしらの嫌がらせなどを受ける危惧があった。


 けれど、あれだけ周りから見てもはっきりとわかるくらい大切に扱っているシビラを、どうこうしようなどと考える者は皆無に等しい。とはいえ、魔族とは元来好戦的な種族だ。


 強者に従うのを常とするがゆえに、己の力を誇示しようと無謀に走る輩も多い。


 自身の力を過信した無知蒙昧むちもうまいな行為との自覚もなしに暴走する、抑制がきかない者も多く存在するのが実情だ。


 十年前にエミリウスがシビラを連れてきたとき、何となく片鱗はあった。だがまさかここまで大切にするようになるとはなと、ロードが思考していると──窓辺に座るエミリウスが瞠目どうもくし、何かにピクリと反応した。


「どうかされましたか?」

「……ネズミが一匹入り込んでいたようです。城に張った結界内部から、無理に次元を切り裂いてシビラさんを迎えに行ったときを狙われたようですね。私としたことが、油断しました」


 バタバタと複数の足音が部屋の前の廊下から聞こえてくる。


「大変です! シビラ様の部屋に何者かが侵入しました! お姿はなく、おそらく眠っている内にさらわれたのだと……」

「っ!」


 次の瞬間、報告を聞くロードのすぐ後方から、窓辺に座っていたはずのエミリウスの声がした。急ぎ振り返り、たたずむエミリウスに目を向ける。


「これは私の責務です。あなた方は手を出さないように。と言っても、あれはすでに暴走しているようですが」


 エミリウスが指示するのと同時に、中庭の方からズシン! ズシン! と振動が起こった。


 窓辺からその音の正体が見える。


 おおよそ百を超える怒り狂ったデザートローズの成体、幼体の群れが砂埃を上げ、すさまじい早さで城壁に向かって進行していた。


「デザートローズたちは地中に根を張ることさえできれば、他の植物を介して仲間と意識を共有できますからね。おそらくシビラさんと一緒にいる幼体が居場所を教えているのでしょう」


 そう語るエミリウスの刃のごとく鋭い眼光に、ロードはゴクリと息を呑む。


 漆黒の闇に似た、どす黒い感情を押し殺したエミリウスの暗く禍々しい、隠しきれない怒気がその体を中心に渦巻いている。


 やれやれこれは……相手は到底無事ではすまないな。


 ロードは後始末に終われる己の姿を想像し、深い溜息を吐いた。





 ぴちょんぴちょんと水の落ちる音が聞こえて目を開けたとき、シビラの視界は薄暗く、見えたのは鉄格子の先に広がる星の光のみだった。


「ん…………ここは……?」


 体を起こすと、ギシッとベッドが軋むような音がした。それまで横になっていた場所を手探りで確かめる。


 城のベッドとは違う、あまり触り心地の良くないゴワゴワとした古い布の感触。久しぶりの手触りに、昔宿屋で働いていた頃を思い出す。


 シビラは古いベッドに寝かされていたらしい。


 城の自室で寝ている間に、別の場所に連れてこられてしまったようだ。


 就寝で靴は脱いでいたため、シビラは裸足だった。


 おそるおそる床に足を下ろす。硬い冷えた床は石でできていた。


 段々と暗さに目が慣れて、冷えた石の床に立ち、シビラは辺りを見渡す。すると、つんつんとシビラの足首を誰かがつついた。


「ジュニアちゃん?」


 ひび割れて石の床から地面がむき出しになっている場所に、ジュニアが根っこを生やして植わっていた。


 ここはどこかしら? 早く閣下の元に帰らないと……


 一人じゃないことに安心するシビラに、どこからか声がかかる。


「大人しくしていろ。話が終わればあんたに用はない」

「誰? どこにいるのですか? それにここはいったい……」


 出入り口の格子を掴んで、シビラは辺りを見渡す。けれど、星の光も届かない前方の廊下と思しき場所にいる相手の姿は、闇に慣れた目でも見つけることはできなかった。


「ここは地下の牢獄だ。マッドピエロの後ろ楯を持つあんたに危害を加えるつもりはない。ただ、確認がしたいだけだ」


 おそらく自分は攫われたのだろう。けれども事情を知らないシビラは、惑いながら暗闇を見つめ返すしかなかった。


「確認……? あのっ! ちょっと待ってください!」


 しかし相手は呼びかけに答えず、気配が遠のいていく。


 それから再び静かになった牢獄で、シビラは地面に根付いているジュニアの隣に座り込む。


 魔族は夜目がきく。ここはシビラのために灯籠が設置された大魔王の古城とは違う。別の魔族の城だ。


 さっきから、宿屋で働いていた頃に戻ったような感覚が続いていた。


 不安に、自分を自分で抱き締めるシビラの体の中心は、酷い動悸でドクンドクンと脈打っている。


「エミリウス様……」


 心細さに呟くと──大丈夫だと励ますように、胸元の契約の印がぱあっと光を帯びだした。

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