episode #33

 美鈴は目を開けると、視界は真っ白だった。

(ここ、何処だっけ?……私は何を……)

 視界だけで無く、頭の中まで真っ白になってしまったようだ。瞼はまだ重い。もう一度目を瞑って寝てしまおう。美鈴はあっさりと目を閉じた。何も無い暗闇にそのまま意識も溶けていきそうになったその瞬間、美鈴の脳裏にアーサーの顔が浮かんだ。

(アーサー?……そういえば私、アーサーと一緒にナンバー五十九をやっつけて、女の子を……)

 そこまで思い巡らして慌てて美鈴は目を開き、体を起こした。

「っいた」

 その衝撃で美鈴の肩に鋭い痛みが走った。見ると肩に包帯が巻かれている。それを見てこの傷が女の子を庇って出来たものだったと思い出した。あの子はどうしただろう。みんな、大丈夫だろうか。ぐるぐると考えが頭を巡る。少し体を動かしてみた。肩は包帯で固定されているし、何より痛みで簡単に動かせそうにない。だが、幸いそれ以外の体のどの部位も動かせるし、肩の傷に影響も無さそうだ。もしかしたらこれもこの屈強な体のポテンシャルかもしれない。ならば、尚更こんな所で寝ては居られない。美鈴がベッドから足を下ろそうとした時だった。

「何をやっているの!」

 鋭い声に美鈴の足は空中でピタリと止まった。そんな美鈴にツカツカと早足で寄ってくる白衣の女性。美鈴が隣に着た彼女を見上げるが、見覚えの無い人だ。眼鏡に口元のホクロ、まるで漫画のセクシーな女医、と一瞬考えて美鈴は思わず手で顔を覆った。自分自身の思考に自分で恥ずかしくなってしまったのだ。

「ホラ、早く横になりなさい」

 どこか真面目そうな命令口調に美鈴は素直に従った。彼女は美鈴の目を覗き込むと、すぐに納得したように頷いた。

「熱は三十七度二分、血圧上百百十七下七十六、呼吸、脈拍正常。まぁ、こんな所でしょう」

 そう言って彼女は手に持ったバインダーに書きつけ始めた。

「とにかく、まだ安静にしてて。肩の傷かなり深いんだから。それに……」

 そこで言葉を切ると、彼女は優しく微笑みかけた。笑う顔はとても人懐こい。

「この世界に来てからまともに休んでないでしょう? 今は少しでも寝て体力回復に努めた方がいいわ」

 そう言って布団を掛け直した。それを見つつ美鈴が声を掛けた。

「あの、測らなくても分かるんですか?」

「えっ?」

「さっきの。熱とか血圧とか」

 最初は何事かと眉を潜める彼女だったが、美鈴の言葉を聞いて直ぐに表情を崩した。

「そうね、そう云う能力だから」

「アーサーと同じような力って事ですか?」

「それは違うわね。私のは対象の健康状態や病気の有無が見えるの。けれど、アーサーのは対象の本質や正体みたいなものが見えるのよ。彼の目はとても特殊だから、誰も代わりはいないわ」

「特殊……なんですか?」

「あら? アナタ知らないの? アーサーの力の事」

「はい」

 美鈴が少し首を傾げると、彼女は眼鏡のブリッジ部分を指で押し上げてため息を吐いた。

「リチャードだわ。まったく、あの男ったら職務怠慢もいい所ね。今すぐとっちめてやりたいわ!」

 憤慨した様子で捲し立てる彼女に美鈴は面食らって、ただその顔を眺めるしか無かった。

「私の所にも顔を出させないんだもの! ……待って、という事はアナタ私の名前も知らないのよね?」

 美鈴が頷くと、彼女はがっくりと肩を落とした。

「本当にもう! えっと、順番が前後してごめんなさい。私はレベッカ、でもみんなベッキーと呼ぶから、アナタもそう呼んで」

 ベッキーはそう言うと右手を差し出した。

「あの、私、美鈴です。よろしくお願いします、ベッキー……先生」

 おずおずと差し出されようとした右手を優しく掴んだ。

「よろしくね、美鈴」

 その人懐こい笑顔でベッキーは笑った。

「それにしてもアナタ本当に十代の女の子なのね。あ、誤解しないでね。別に疑っていた訳じゃ無いんだけど、こうして話すのは初めてでしょう? 異世界から来た、なんてここでは珍しいを通り越して有り得ない事だったから」

「それ、他の人達も言っていました。この世界では多元宇宙論は完全に否定されてるって」

「そうなの。私は専門外だからあまり詳しくは無いけど、時間は一定方向に流れるって言う事を数学的に解明したドガース博士の論文からこの宇宙には外部と繋がるような歪みは一切確認出来ないと言う研究結果になったの。まだ一般には全く普及していないとはいえ、宇宙に行く事が当たり前になった今だから言えるって部分もあるけどもね」

 ベッキーはそう言うと腕組みをした。

「私のいた世界では宇宙に行けるのは宇宙飛行士の人が殆どですし、月にすら片手で数えるくらいしか到達してないんです」

「なるほど。未発達は世界での常識がこちらの現実を凌駕してる。この矛盾は歴とした歪みって事よね……」

 何やら思案顔でベッキーは俯いたが、程なくして顔を上げた。

「貴重な意見ありがとう。大分話が逸れちゃったけど、あの職務怠慢ダメ男のせいでアナタが苦労してるって話よね?」

「えっと……それよりもアーサーの力の事が聞きたいです」

 美鈴がそう言うとベッキーはあからさまに残念そうな顔をしたが、すぐに美鈴に向き直った。

「ミュータントの能力は制約がある程強力になるって聞いた?」

 その言葉に美鈴は首を横に振った。流石にもう慣れたのかベッキーは特に愚痴を言う事も無く話を続けた。

「簡単な事よ。例えば同じようなパンチ力を増幅する力があったとして、常時使える人より一日に五分しか使えない人の方がパワーは格段に上よ」

 美鈴は頷いた。頷きながら、美鈴にはこれからベッキーが言う事が何となく予想出来た。

「アーサーはね、生まれつき目が見えないの。でも本質を見通す能力が彼の目の代わりになっているのね」

 それは美鈴の予想通りの答えだった。と、美鈴の中にもう一つの疑問も生まれた。

「あの、アーサーが車椅子なのは……」

「あれは子供の頃の事故だったみたい。でもその事故以降、彼には人工物のみを対象にしたサイコキネシスが発動した」

 美鈴は目を瞑った。目と足の代わりに力を持ったアーサー、その人生はきっと美鈴には想像もつかないものなのだろう。想像もつかない苦労の連続だったのだろう。美鈴はアーサーを想って少しだけ涙が滲んだ。ベッキーは黙って美鈴を見守っていたが、ふと思い出したように言った。

「そういえば、アナタの能力が分かったわ」

「私の能力……」

 美鈴は右手を見つめた。アーサーの助力で自分に何かしらの能力があった事は分かったが、結局これはなんだったのだろう。

「あの、この力って、なんなんですか?」

「アナタのは、天候を操る能力よ」

「天候……ですか?」

 あまりピンとこない美鈴が首を傾げた。

「アナタがナンバー五十九を吹き飛ばしたのは、アナタを中心とした極小の竜巻を発生させていたからなの。あ、極小と言っても威力は本物の数倍上よ」

 美鈴は目を丸くした。天候を操るなんて、なんだか壮大な話だ。

「……と言う事は雨を降らせたり、晴れにしたりも」

「勿論、可能よ」

「凄い……」

 驚く美鈴にベッキーは楽しそうに目を細めた。

「ミュータントの能力は意思の力が大きく作用するの。だからアナタが雨を降らせる気持ちで力を使えば雨が降るのよ」

「私が、ミュータント……意思の力……まだ全然実感が湧かないです」

 美鈴の言葉にベッキーは頷いた。

「最初なんてそんなものよ。私だって使いこなせるまで苦労したわ。それにしてもアーサーのやり方は大分荒っぽいわね」

 ベッキーが口をグッとひん曲げた。それに美鈴は慌てて弁解した。

「あの、アーサーは私が元の世界に一日でも早く帰れるように考えてくれているんです。自分の力を使いこなしてヒーローになれれば、インサイダーに会う機会が増えて、そうすれば私を元の世界に戻せる能力者にも出会いやすくなるって」

 美鈴がそう説明すると、ベッキーはまたため息を吐いた。

「アーサーの言う事が全く分からない訳じゃないけど、やり方ってもんがあるでしょ? そもそも力を使うってとても大変な事だから、普通はゆっくり慣らしていくものだし。戦場に何も知らない女の子を連れ出すなんてどういう事? それとも身体的な頑強さに全て賭けた? にしたって精神的なリスクは?……」

 すっかり自分の世界に入り込んでブツブツと呟きだすベッキーに美鈴は慌てて声を掛けた。

「あの、あの……私、ドジでよく失敗するんです。ここに来たのも、道路にいた猫を助けようとして転んでしまって、トラックに撥ねられたのが発端で。もっと足の速い人にお願いするとか、見捨てる……は流石に出来ないですけど、そもそも転ばなければ良かっただけで、えーと、だから……アーサーにも失敗する事はあると思うんです。私の為に何かしようと思ってそれで判断ミスをしてしまったと言う……か……」

 そこまで言って、これではアーサーが美鈴を大事にしているように聞こえる事に気付き、顔が一気に熱くなった。アーサーに想って欲しいと言うのは美鈴の願望で現実ではないのだ。それが口をついて出てきてしまった事が恥ずかしくて仕方なかった。

「なるほど、それもそうね。アーサーは十七歳。大人びてるけど十分に子供だものね。その判断全てが最適解なんて有り得ない事だったわ」

 ベッキーはそう言うと表情を和らげた。それを見て美鈴も安堵した。たったの一日程度しか一緒にいないとはいえ、美鈴にはアーサーの優しさが身を持って分かっていた。アーサーは穏やかで理知的で物凄く真っ直ぐな人だ。そんな人だから美鈴はアーサーの事が気になるのだ。

 気が抜けるとまた眠気が襲ってきた。手で隠しはしたが欠伸を抑えられなくなっている。

「やだ私ったら! 休めって言っておきながら話に熱中してしまって。ごめんなさいね。今度こそ良く休んで」

 ベッキーの手が美鈴の額に触れる。暖かくて優しい手だった。

「ありがとうございます……」

「でも、腕時計はもう外しちゃ駄目よ?」

「はい、すみませ……」

 言い終わる前に美鈴は夢の世界へと落ちていった。

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