あしたのために(その49)ぼくのともだち
未来にどんなことが起こるのか、多分これからも、ぬるっと平和に生きていくんだろうな、そんなふうに西河が思っていた頃のことだ。高校を卒業し、推薦で入った教育大学で、教職取得を一応の目標にして、暮らしていた。
将来教師になるかどうかもわからなかった。とりあえず、資格はとっておいたほうがいい、そのくらいのノリでしかなかった。
デニーズ世田谷公園店は、まだ二十四時間営業で、深夜に暇な客が、眠い目を擦ってぼんやり朝を待っていた。
「そっちのキャンパスライフはどうよ」
西河は、中平に半笑いで訊ねた。会うたび繰り返される思い出話のストックも、本日分が底を尽いたところだった。
「おもんね、つーかさ、高校、楽しすぎた」
中平はだるそうに答えた。中平は高校を卒業してから、目方がずいぶん増えた。昔の面影は、顔のパーツくらいしか残っていない。西河は会うたびに、「運動しろよ、せっかくあの監獄から自由になったのに」と忠告したが、中平は曖昧に笑うだけだった。
「まあ、これからっしょ」
「教職取れそう?」
「赴任するなら女子高がいいな」
「犯罪者予備軍なんてどこも雇わねーし」
「ゆーとけゆーとけ。実は最近仲いい女の子がいてさ。もそしかして、二人で京都旅行とかしちゃうかもしれん」
「なにどれ、写真見せろ」
「『ラブジェネ』の頃の松たか子さんそっくりじゃね?」
「お前ほんと好きな。高校のときもパン祭りのシール集めてたし」
「あれはオフィシャルグッズみたいなもんだから、お前の界隈みたいに充実してないんだよ」
「ぜってえバカにしてるだろ、俺のさっしーを。選抜総選挙で使い果たして、こっちは金ねえんだよ。ここのドリンクバー、お前奢れよ」
「金ないなら、夏休みお台場でバイトせん?」
「一緒にやるならいいけど」
中平は気のない返事をした。
「決まりな」
「マジ高校楽しかったわ」
「なんで優勝できんかったんだろ。頑張ったで賞みたいなのいらねーし」
「パフォフェスにヲタ芸って、色物扱いされるの初めからわかってたじゃん。学校に内緒で出場したから、バレて大騒ぎになっちゃったもんな。学校の要請で俺たちが出てたこと、ホームページから抹消されたし」
「俺さ、教師になったら生徒にヲタ芸やらすわ」
「うわーっ生徒不憫すぎるだろ」
「優勝させて俺の青春も塗り替えるんだ」
「なんだそりゃ、自分のために生徒利用すんな」
「俺たち最高に楽しかったじゃん。俺たまに思い出すもん、最強の思い出さえあればいつだって楽しいんだよ。だから、もしやりたいってやつがいたら、さ」
西河の言葉を聞いて、中平は目を細めた。
「……まあ、いいんじゃないすか」
「だいたいお前、小説書く書く言ってて、ずっと書いてねえじゃん」
「高校のときに教師どもに俺の才能を潰されて以来、スランプだから」
「ああ、あのモンハン」
「自分にオリジナリティがないってことだけはわかったよ」
「え、あれギャグで書いたんじゃないの?」
「……ああ、冗談に決まってんじゃん」
中平は、窓の向こうを見た。真っ暗な世田谷公園が見えるだけだった。
遺書
たぶんこれからいいことないし、どうせ俺ダメだし。迷惑かけないやり方で死にます。
西河、蔵原、達者でな。
中平イチゾウ
大学四年生の夏、友達が突然首を吊って死んだ。
中平にとって、一緒に踊ったことは最強の思い出なんかではなかったのか。
通夜の夜、西河は中平の母から、大学には行かず、ずっと部屋に引きこもっていた、と聞かされた。そんなこと、中平は西河の前では決して打ち明けなかった。友達に、自分がだめになっていることを見せたくもなかったし、恥ずかしくて相談できなかったんだろう、と中平の母は泣いていた。
「あの子、いつも話していたのよ。西河くんは学校の先生になるって夢があるけれど、自分はなにもなれない。怖くて怖くてたまらないって」
三月三十一日。西河はかつての担任とイチ高の校舎を歩いていた。自分が通っていたときと、なにも変わっていない。変わったのは自分の立場と内面だった。
「まさか実の教え子、しかもお前が同僚になるとは」
元担任は困った顔をしていたが、おかしくてたまらないらしかった。
「お世話になりまーす」
「生徒の顔と名前、ちゃんと覚えろよ」
「そう考えると先生ってすげぇな」
「やっとわかったか。特にお前らの代はあれだ。オタクのあれ」
「ああ」
「許可も得ずにやるわ反抗ばかりして、あれから校外活動は顧問の許可を徹底してるんだぞ」
「後輩に迷惑かけちゃったな」
「ああ、お前はうちの学校の黒歴史だ」
「なのに採用してくれて、感謝しかないっす」
元担任が立ち止まった。窓の向こうで理事長が花の手入れをしていた。入学してくる生徒のために、校内の植物を自ら丁寧に世話をしている。
自分が学生のときは、まったく気が付かなかった。
「中平のこと、よく頑張ったな」
その言葉に、西河は喉を鳴らした。
「あ、そうだ。ボーナスって前借りできませんか。あいつの代わりに指原莉乃に投票しないといけないんですよ」
半分冗談で、自分をごまかすために、言った。
「お前は本当に、昔っからばかだ。もう一度、この学校でやり直せ」
元担任は、持っていたファイルで西河の頭を叩いた。無理して笑おうとしているのが見え見えだった。
「中平、高校卒業してからブクブク太って。気にしてしばらく写真撮ってなかったから、遺影、高校の卒アルだったじゃないですか。計算高いんだから、葬式までに痩せとけよ。大学で生徒のSOSのサインがどうこうって習ったけど、友達死のうとしてんのに俺気づかないとか、やばすぎませんか? こんなのが教師とか生徒可哀そうすぎません? もう俺、なにもわかんないんですよ。人の気持ちとか、人がなにを考えているかが。怖いんですよ、ほんとに、怖くて、自分が情けなくて」
理事長が、西河のほうを向いて、笑いかけた。
しばらくして、夜の学校で太った幽霊が歩いていた。そんな噂が立った。
「はんかくせえ」
そんなふうに思いながら、近所の神社で買った札を部室の掃除用具入れに貼った。
学生時代、中平は掃除用具に隠れて、人を驚かしては大喜びしていた。
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