第7話 昔話・八条への途上にて

 昔語りが言う。

 花山かざんの主上が出家を決意したのは御年十九の時、御寵愛の女御にょうごに先立たれて嘆かれた末の事だった。御堂みどう様の兄上の道兼みちかね様は、ともに髪を下すからと誘われたものの、寸前に姿をくらませた。

 この事件の兆候を、天文博士てんもんのはかせ安倍晴明あべのはるあきらは星に見ていたが、関わるのが面倒だと放っておいた。この御仁には、多分にそういうところがあった。

 さて、出家をされて院となった御方だが、その若さで大人しく仏事に励まれるようなたちではない。むしろタガが外れたか、天性の奔放さに任せて、何人もの女性にょしょうの許に通い始める。

 御母上の妹君の九の御方、乳母子めのとご中務なかつかさ、中務の娘の平子たいらこなどを御気に召し、傍近くに召し出させ給いた。こうして生まれた御子は、男子が四人に女子も四人。男子は御父上の冷泉院れいぜいのいんの許や御寺に御預けになられた。女子の内の三人は花山院が崩御された時、後を追うように夭折された。

 ただ一人残された姫君は、兵部命婦ひょうぶのみょうぶという方の養い子として成人あそばされた。そして今は、太皇太后の藤原彰子ふじわらのあきこ様の許で女房にょうぼうとして御出仕されている。

 彰子様とは一条天皇の中宮であられた御方で、御堂様の一の媛君ひめぎみとして御生まれになった。御美しく聡明で、情にも篤く理知にも優れた女性だった。中宮にもなった優れた御方とは言え、どこまで行っても臣下の媛に、皇女として御生まれになった御方が仕えるとは、なんと哀れな事なのか。


 別の語りが言う。

 一人残された姫君は、中務の生んだ妹宮だった。内親王宣下はおろか、父院からも我が子と認められなかった。

「おのが子にせよ、我は知らず」

 院から命じられた命婦は、中務の叔母だとも聞く。誰も姫君に自らの生まれを知らせず、受領ずりょうか中級役人の娘として女房仕えをさせておくのが幸せだろう。早い内に養女に出された。

 ところが人の口に戸は立てられぬ、宮仕えを始めて間もなく、噂は次々の姫君の耳に注ぎ込まれる。姫君の御心は次第に乱れ、おかしな挙動と素行が見受けられるようになる。

 冷泉院、花山院、そしてこの姫君、未だに大納言藤原元方ふじわらのもとかたの御霊は、この血筋に祟っているのか。入内させた娘の生んだ親王が皇嗣こうし争いに敗れ、大納言は失意の内に亡くなって怨霊となった。皇嗣に選ばれた冷泉院は、殊にその霊に悩まされたという。しかし花山院の崩御で、この呪にも幕が引かれた。そのように思うのはお門違いか。


――*――*――


 黒鹿毛くろかげの愛馬の手綱を取り、西洞院大路にしのとういんおおじ安倍幸親あべのゆきちかは南へと向かう。

 三条大路を過ぎた辺りより、公家の屋敷は少なくなる。四条大路の周辺は町屋がひしめく。五条を過ぎれば、麦の穂が一面に揺れる畑が広がる。かつての六条河原院ろくじょうかわらのいんを始めとした公卿の大きな邸宅も姿を消し、東西の鴻臚館こうろかんも寂れ、七条に立つ市もとうの昔に廃止された。遠望する八条辺りは南東に東寺とうじ伽藍がらんが見える。畑を営む者も少なく、廃屋と思しき屋敷の影がいくつか見える。

 道を西にとって朱雀大路すざくおおじに出てみたが、光景は大して変わらない。ここに比べれば、洛外の白河辺りの方が家も多く活気もある。朱雀大路を横切り右京に入れば、もはや都とは思えない殺風景な荒れ地が広がる。

 供に連れた乳母子の兄、芳紀よしのりは栗毛の鞍の上で周囲を見回す。この何もない所が良いと、生来の肝の太さを見せて言う。左京の北辺で育った幸親にしてみれば、公卿らの屋敷は馴染みでも、ここまで辺鄙な風景は不安になる。夜には物の怪とはいわず、盗賊や流人が跋扈しそうだ。そちらの方がかえって物騒だ。

 左中将藤原道雅ふじわらのみちまさの本宅は、右京東端、八条大路に面して南北二町を占有する。周囲に家らしい家も少なく、それ以上の広さに見える。しかし、東面築地ついじの一部は倒壊して、仮の木塀が巡る。応急処置をしているだけ、幸親の家よりもましかもしれない。

 左中将は常より、この本宅にいる訳ではない。大概は三条坊門さんじょうぼうもんの屋敷にいる。今は物忌ものいみ中という事で、人がまず訪ねて来ないここに籠っている。物忌みの者を訪ねたところで、会える確証は小さい。ところが南の正門には物忌み札の一枚も見当たらない。それどころか、閉ざされてすらいない。ただ引き籠っているだけか。

 芳紀が声を張り上げて案内を乞うが、誰も出てこない。仕方なしに門を潜り、冬枯れの庭を馬を曳いて進む。両脇に簡素な塀と掘立の家や畑が覗く。管理する者は住まわせているようだ。その内に、使用人らしき若い男が現れて用向きを尋ねる。文を遣わせた安倍幸親だと名乗ると、更に何人かの下男を呼んで馬を預かる。

 通されたのは西対にしのたいの主殿だった。幸親がひさしで、芳紀がえんで待っていると、家司いえつかさらしい男を伴って、道雅が透渡殿すきわたどのから現れた。使用人を連れて居るという事は、明らかに物忌みはしていない。

 家司が若い者を呼んで円座わらうだやら火桶ひおけを用意させる。その後、半蔀はじとみを下ろし始めるので芳紀も手を貸す。そして道雅が下がれと命じると、家司らについて退散した。

 上座に着いた道雅が母屋もやに入れと言うので、下座に置かれた円座に腰を下ろす。どちらの前にも火桶が置かれている。ありがたいと思いつつ、改めて主に向かい頭を下げる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る