第6話 権大納言の車の内にて
酔いつぶれた
「夜更けの往来は物騒だ。
権大納言が何故か上機嫌で声をかけてくる。牛車を引き出してきた従者らは怪訝な面持ちで、主の顔と幸親を見比べる。
酔って気が大きくなっているらしい幸親は、つい言葉に甘える事とする。従者らの目が白い。この
正二位権大納言と
「御身は、
車が進み始めると、砕けた言葉遣いで権大納言が言う。この人の北の方は、その道雅の妹だ。偶然などではない、明らかに誰かに仕組まれている。酔いの醒めていない頭で思う。
「親交などとは恐れ多い、幾度か御声をかけて頂いたに過ぎませぬ」
狭い車の内には、酒臭い息を消すように、頼宗の
「いやいや、あれの力になってくれているようだね」
「私の力など及ばぬに等しい事です。誰ぞ、有能な者を紹介する御役には立てると思うております」
「何を謙遜されるか」懐から扇を取り出しながらも笑う。
目立たない振りをするが、権大納言も例にもれぬ食わせ者だ。兄の
「兄上様が心配だと、
口元を扇で隠して言う表情は、さほど辛そうには見えない。この人が左中将の妹を正室にした経緯は知らない。自らが追い落とした者の娘を息子の妻に入れた、御堂様もむごいお人だ、揶揄する声も聴く。一方では、父親や異母兄弟への当てつけに、頼宗自身が
「一刻も早うに、道雅の夢に毎夜現れるとかいう女を、取り除いてはくれまいか」
この言葉で、一気に酔いが醒める。
「夢に……
「おや、知らないのかね」扇の陰で権大納言は笑う。
本当に内室の兄を心配しているのか。いずれにしても、初めて聞いた事だ。
「先だっての
俺一人ならばどうでも良いが、
「鬼の夜行と言われますが、私の伺うた様子では目くらましに過ぎませぬ。あのようなもので、人を殺めはできますまい。しかし、脅しには充分になる。心の弱い者ならば、病みつくやもしれませぬが」
目を上げて言えば、頼宗は恐れるふりを扇越しにする。いちいち癇に障る。この雅な男どもがつくづく苦手だ。
「目くらましとは、誰ぞ
「あり得ることです、生霊の女との関りは知れませぬが」
祖父や曽祖父は
「その女の正体を
「御身は聞いておられないのか」言いにくそうな問いが返る。
「太皇太后様の女房の事ならば多少とも」
「そうか、
「よもや、その御方は、噂に囁かれる皇女にございますか」覚悟を決め声を落として幸親は問う。
「やはり存じておられるか」扇の陰で答える。
「関白様もその御方に通われていると言われていました」
「関白のみではない。他にも名を出せぬ相手が何人かおるようだ」
「しかし、左中将様が身を引かれたいと思われた訳は、その事のみではありますまい」
「わかっているのなら話は早い。あの女性は父院の血を引いておられるのだろう、恐ろしゅう感が強い。何かが憑いておるのか、元々、常人と生まれが違うのか。並の者には扱い難い。関白が手を引きたいと言うも、その辺りにあろうな」
関白の立場から言えば、長姉である太皇太后に仕える女房に手を出したに過ぎない。権大納言にしても、兄弟、従兄弟の内でのもめ事と思っていたかもしれない。問題は、取るに足りないと思っていた女房が、その程度の相手ではなかった事だ。
「幸いにして女は道雅に執心している。関白の名が立つ前に、女を何とかしたい。我が家に関わる醜聞として、人の耳に入れとうはない。御身とて公家の端くれ、分かるであろう」
その端くれに何を頼むのか。命令する方が、この男には楽だろうに、次第に腹が立ってくる。
「
「滅多な物言いをするではないよ。先の陰陽頭の身内を怒らせるような、恐ろしい事をしたい訳ではない」
頼宗が大げさに袖を振ると、黒方の香が更に立つ。
「我が家など、御見様方の恐れる対象ではありますまい。指を上げて命じるだけで動く者です」
「なるほど、
顔も知らない曽祖父の名など出してくれるな、噂など信じてはいない。次第に怒りすら虚しくなる。
「御見様方に打つ手立てはございますか」
「御身の言う通り、人を遣りて口を封ず程度であろうな」
苦笑交じりの答えからは、いかにも人の命の遣り取りに慣れている様が窺える。
「では、その様になさって下され」
「何とも釣れないことを言うてくれる。時に御身、
「名前くらいは存じております。播磨より来た法術に長けた法師だとか。この一年二年の間に、都でも名が知れるようになりましたので」
「信じるに足る噂のようだ。
その坊主が目くらましの鬼の夜行を見せた張本人か。
「人を遣るにも、その者が厄介と言われますのか」
呪師には呪師をとでも言いたいのだろう。為政者らが欲しいのは、
「飲み込みが早いうて嬉しい事よな。関白に頼むまでもない、姉上の許には私が御連れ申そう。凱子様の顔となり声となり、とくと拝見するがよかろう」
扇の陰から忍び笑う目元がのぞく。関白や左中将の笑みにもよく似ている。
「御心遣い、痛み入ります」
遠くに
「御身が素直でいてくれるなら、御父上や兄上にも得となる。関白もそのように取り計ろうて下さろう」
笛を奏すのは公卿たちか。俺はそれに従い、
それにしても腹の立つのは左中将だ。一度締めあげて、洗いざらい事情を吐かせてやろうか。俺はまだ、酔っぱらっているようだな。幸親は車の揺れに身を任せて瞑目する。
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