第5話 高陽院にて
四方を池に囲まれた寝殿を持つ大邸宅は、実に四町を占有し、馬場までを備え、天皇の行幸時に
この最高権力者の屋敷を見るにつけ、我が家のつつましさには返って安堵を覚える。とは申せ、雨漏りのしていた屋根の板を葺き替えたのは最近の事、
関白家では、内室の出産を年明け早々に控える。例によって大叔父の
それが関係あるのかないのか、この日は酒宴が開かれている。訪れた時には宴もたけなわで、幸親は思わず逃げ出したくなる。一方の隆国は、堂々と
手持無沙汰にしているところを、大叔父と酒飲み友達の
何とか
「関白様が御呼びだぞ」この度も言う。
気が重過ぎると思いながらも母屋に戻る。上座に座る関白は、幸親の姿を見て、上機嫌でこちらに来いと声をかける。杯を取らせ、自ら
「
「
「そうか、そうか。幾重にも喜ばしい」関白が言えば、周りも同様に囃す。
その姿を見ながら、頭の後ろに微かな寒気を覚えた。何なのかと訝りながら、頬のたるみ始めた関白の顔を不躾に眺める。
確かこの家では、生まれて間もない男子をなくしている。もう九年も前になるか。太皇太后の女房に手を付けて解任させたが、出産時に母親は亡くなった。生まれたのは待望の男子だったが、三日後に亡くなったと聞く。
何故、このような不幸を思い出すのか。理由など考えたくない。関白は若い頃から、正室以外に妻はいらないと言い続けた。ようやく、その北の方の懐妊に漕ぎつけたというのに。幸親は視線を膝に落とし、小さく頭を振って息を吐く。
酒杯を勧める男が、幸親をしげしげと眺める。
「以前に会うた時は、まだ
誰なのかわからないまま話を聞いていると、太宰府時代の父の話が出て来た。
五年前の
大宰府にいる父の安否を気遣う家族らは、土御門や一条の家、三条の賀茂の屋敷に集まっては、祖父や大叔父らに迫る。何か分からないのか、成す術はないのか。知らせを待つしかないと分かっているが、言わずにはいられない状況が続く。
幾日かして、ようやく太宰府からの報告で、父の無事も知らされた。都に戻った姿を見た時には、女たちは声をあげて泣いた。そして叔父や兄らが、事件について聞いても、未だに詳しい事を語ろうとしない。しかし、父にとっては太宰府が最も思い出深い任地らしい。他の任国よりも多くの土産話を聞かせてくれた。
それにしても、父と共に太宰府にいたという、この御仁は誰なのか。幸親は相変わらず首を傾げる。年の頃は四十代半ば程、日焼けした顔や無駄のない体つきからは、更に若くも見える。品の良い美男ぶりは藤氏か、何とはなしに見覚えがある。
「
「運が良かったのだと、常日頃から言うております。でも、なかなか自慢したいようで、
兄はこの春、二十八歳の若さで、五人いる
「御父上似の偉丈夫ゆえ、
六位蔵人の
「ほお、
「蔵人になられた後に、面識は何度かありますな。吉幸殿の供として、
それを聞いた幸親は、ようやくに思い出す。この人に初めて会ったのは、四年前に父が
大蔵卿が
不在の父に代わり、幸親の初冠の手はずを整えたのは、当然ながら祖父だった。
しかし、大蔵卿との再会は偶然なのか。誰かが仕組んだ事ではあるまいか。酔いのまわる頭で幸親は訝しむ。
この人は九条流の藤氏でも選良、
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