第5話 高陽院にて

 宿直とのい明けの小寒しょうかんの日の夕刻、源隆国みなもとのたかくにについて、再び関白藤原頼通ふじわらのよりみちの私宅を訪問する。

 四方を池に囲まれた寝殿を持つ大邸宅は、実に四町を占有し、馬場までを備え、天皇の行幸時に競馬くらべうまを行う事もあるという。見渡す広大な屋敷や庭を保つのに、いったいどれだけの人力と資材と時間が掛かるものか、幸親には思いもよらない。

 この最高権力者の屋敷を見るにつけ、我が家のつつましさには返って安堵を覚える。とは申せ、雨漏りのしていた屋根の板を葺き替えたのは最近の事、築地ついぢの破れは祖父の生前から修理していない。今は冬枯れで落ち着いた庭は、春が来れば野の花が生い茂る。夏になれば蝉が大音声で鳴き、蜻蛉あきつが飛び交い、蟷螂とうろうが鎌をもたげる。いずれにせよ、比べる事が烏滸がましい。

 関白家では、内室の出産を年明け早々に控える。例によって大叔父の吉平よしひらは、生まれてくる子の男女を占えと申し付かる。結果が男子と出た時から、家中が生まれてもいない子に諸手を上げて喜んでいるらしい。

 それが関係あるのかないのか、この日は酒宴が開かれている。訪れた時には宴もたけなわで、幸親は思わず逃げ出したくなる。一方の隆国は、堂々と上達部かんだちめの内に入り込み、直衣のうしひもを解き、大胡坐おおあぐらをかいてつきを重ねる。見回せば、隆国の父の民部卿や兄の頭中将とうのちゅうじょうの顔も見える。宴好きな友人は、わざわざこの日を選んで訪ねたに違いない。一杯食わされたものだ。


 手持無沙汰にしているところを、大叔父と酒飲み友達の小野宮右大臣おののみやのうだいじんに捕まる。早速に孫廂まごひさしから母屋もやの内に引きずり込まれる。上達部に親しむも必要不可欠、若い内から積極的に酒宴に来るのは、実に感心とはやし立てる。勝手に直衣の紐を解かれ、背中を何度も叩かれ、出来上がり切った右大臣に、目が回る寸前まで杯を勧められる。

 何とか簀子縁すのこえんに逃げ出し、酔い覚ましに風に当たっていると、隆国が大声で名を呼びながらやって来る。

「関白様が御呼びだぞ」この度も言う。

 気が重過ぎると思いながらも母屋に戻る。上座に座る関白は、幸親の姿を見て、上機嫌でこちらに来いと声をかける。杯を取らせ、自ら酒瓶しゅへいを取ってなみなみと注いでくれる。勘弁してくれと内心で呟きながらも、何とか飲み干して頭を下げる。

御身おみも占うてくれ、我が室の腹の子は男子か」

陰陽博士おんようのはかせが占うた通りにございます。間違いはありませぬ」酔いに任せて豪語する。

「そうか、そうか。幾重にも喜ばしい」関白が言えば、周りも同様に囃す。

 その姿を見ながら、頭の後ろに微かな寒気を覚えた。何なのかと訝りながら、頬のたるみ始めた関白の顔を不躾に眺める。

 確かこの家では、生まれて間もない男子をなくしている。もう九年も前になるか。太皇太后の女房に手を付けて解任させたが、出産時に母親は亡くなった。生まれたのは待望の男子だったが、三日後に亡くなったと聞く。

 何故、このような不幸を思い出すのか。理由など考えたくない。関白は若い頃から、正室以外に妻はいらないと言い続けた。ようやく、その北の方の懐妊に漕ぎつけたというのに。幸親は視線を膝に落とし、小さく頭を振って息を吐く。


 酒杯を勧める男が、幸親をしげしげと眺める。

「以前に会うた時は、まだ加冠こうぶりしたばかりだったか。背も伸びて、いや、立派になられたものだ」深い声で言いつつうなずく。

 誰なのかわからないまま話を聞いていると、太宰府時代の父の話が出て来た。刀伊といの来襲の折、吉幸よしゆきの働きは目覚ましいものだったと賞賛する。しかし、父が家族にその話をした事は殆どない。

 五年前の寛仁かんにん三(1019)年、壱岐、対馬の近海に正体不明の船が多数やって来た。島民らを襲い、略奪を尽くして、甚大な被害を与えた。その様な報告が太宰府から届いた。海から来た賊どもは、次は博多を目指している。北九州の兵力は、これを迎え撃つ支度をしている。

 大宰府にいる父の安否を気遣う家族らは、土御門や一条の家、三条の賀茂の屋敷に集まっては、祖父や大叔父らに迫る。何か分からないのか、成す術はないのか。知らせを待つしかないと分かっているが、言わずにはいられない状況が続く。

 幾日かして、ようやく太宰府からの報告で、父の無事も知らされた。都に戻った姿を見た時には、女たちは声をあげて泣いた。そして叔父や兄らが、事件について聞いても、未だに詳しい事を語ろうとしない。しかし、父にとっては太宰府が最も思い出深い任地らしい。他の任国よりも多くの土産話を聞かせてくれた。

 それにしても、父と共に太宰府にいたという、この御仁は誰なのか。幸親は相変わらず首を傾げる。年の頃は四十代半ば程、日焼けした顔や無駄のない体つきからは、更に若くも見える。品の良い美男ぶりは藤氏か、何とはなしに見覚えがある。

昌親まさちか殿は、ついに極臈ごくろうとなられたのだったな」名前の思い出せない御仁は、歯切れの良い声で言う。

「運が良かったのだと、常日頃から言うております。でも、なかなか自慢したいようで、ほうのまま家に帰る事も度々だそうです」酒の助けで陽気に応えながらも、兄の仏頂面が浮かんでくる。

 兄はこの春、二十八歳の若さで、五人いる六位蔵人ろくいのくらうど第一臈だいいちろうになった。安倍ほどの格の家では異例の出世だ。

「御父上似の偉丈夫ゆえ、麹塵きくじん御袍ごほうが似合うておられる」

 六位蔵人の最上臈さいじょうろうには、天皇より麴塵色の袍が下賜され、儀式などでの着用が許される。元々、女房らからの付文つけぶみに事欠かない兄は、この袍のおかげで更に注目の的となった。

「ほお、大蔵卿おおくらきょう安倍昌親あべのまさちかを御存じでしたか」横から権大納言ごんだいなごんが声をかける。

「蔵人になられた後に、面識は何度かありますな。吉幸殿の供として、だい(屋敷)に来られた事もあった」大蔵卿と呼ばれた御仁は、愛想を崩す。

 それを聞いた幸親は、ようやくに思い出す。この人に初めて会ったのは、四年前に父が大宰少弐だざいのしょうにの任を終えて帰って来た時だ。早々にあいさつに行くと言い、二人の息子を連れて訪れたのが、藤原隆家ふじわらのたかいえ大炊御門第おおいみかどのだいだった。その時には中納言を拝命していた。大蔵卿になったのは、今年の正月の事。思うところあって、太政官から身を引いたと聞く。

 大蔵卿が権帥ごんのそちで父が少弐しょうに、大宰府は陰湿な都とは違い、大いに羽を伸ばせる良い国だ。昔から血の気の多そうな二人が語っていたのを思い出す。都への帰還がもう少し早ければ、幸親の初冠ういこうぶり加冠かかんを買って出られたものを、そう言って笑っていた頃に比べれば、少し年を取られたかもしれない。

 不在の父に代わり、幸親の初冠の手はずを整えたのは、当然ながら祖父だった。堂上家どうしょうけにも顔が利く祖父ではあったが、藤原隆家に加冠役をしてもらえたのなら、さぞかし喜んだだろう。

 しかし、大蔵卿との再会は偶然なのか。誰かが仕組んだ事ではあるまいか。酔いのまわる頭で幸親は訝しむ。

 この人は九条流の藤氏でも選良、中関白なかのかんぱく家の出身だ。同母兄の伊周これちかは、あの左中将の父親だ。大蔵卿は甥の抱える問題を知っているのか。もし知っていて、力になってくれとでも頼まれたら、断る訳にはゆかない。父が信任を置いていた元上官の頼みだ。家の信頼や名誉にも関わる。思うほどに、ますます目が回ってくる。

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