第12話 戻橋にて

 通り沿いに流れる堀川と土御門大路つちみかどおおじの交わる所に架かる橋を戻橋もどりばしという。延喜えんぎの昔、亡くなった宰相の御魂みたまを、熊野より戻った息子が呼び戻したという伝承が残る。橋や辻には何かが集まり易い。不可解な事が起こるのも珍しくない。殊にこの橋は人々を不安にさせている。

 そう遠くない昔、近隣に住む高名な陰陽師おんようしが、この橋の下に力のある鬼どもを押し込めた。そして事ある毎に起こしては使役していた。幸親にとっては、あまり嬉しくない噂を人々は囁く。


 用事は一人で済ませねばならぬ、さほど時も掛からないからと、芳紀よしのりも馬も家に帰した。この橋で追い剥ぎをしようという輩も、おいそれとは現れまい。

 橋の上に立ち、見上げる空に月はない。南の空にひときわ明るい天狼星てんろうせいは既に高い。少し上に目をやれば参宿さんすくが並ぶ。南河なんが北河ほくが五諸侯ごしょこう五車ごしゃすばると目を移す。ふと視線を下げた時、目の端で星が流れた。

「鬼を使う道を選ぶのなら、人が人であるための一つの関を越えねばならぬ、か……祖父おおじ殿よ、俺を叱らないで欲しい」幸親は一人呟き笑う。


―—天をうかがい異変を知る、それが家の仕事だ。時には世や人の吉凶を占う事もする。しかし、其方そちはそれだけでは満足できのうなる。私がそうだった故に分かるのだよ――

 祖父がいつか語った。

――親父殿は、そのような息子を不安に思うていた。私も其方を不安に思う。けだし、其方は親父殿に似ているのやも知れぬ。親父殿はいつまでも若い御人であられた。酒も女も遊びも好きで、いい加減なところも多々あった。されど仕事にも学問にも熱心で、妻子を疎かにするのも珍しゅうもない。どちらかと言えば洒落者で、若い頃の美男ぶりが窺える、背の高い白いひげの似合う爺様であられた。晴明はるあきらという名が、八十過ぎても似合う人であられた――


 祖父の言葉を覚えている。俺と曽祖父が似ているところなど、殆どないではないか。いい加減なところと背が高いくらいだ。思いながら、口の中で初めて声にする呪言ずごんを繰り返す。奇妙なものだ、耳まで届く声が自らの声に聞こえない。少しばかりうすら寒く思い、おもむろに目を閉じる。


――其方の親父が陰陽おんようも天文も継がぬと言う故、親父殿の残された日記にきやらの文章もんじょうは、吉平よしひらの許に譲った。それ故に其方の受け継ぐは、ふみに記さぬ知恵と知れ。みだりに口に出してはならぬ。軽々しゅう書き残すもならぬ――


 夜半より前に月の沈んだ夜は更に暗い。繰り返し発する呪言に別の声が和する、耳の奥で幾重にか響く。やがて声は、まとわりつくように周囲の気を震わせ、皮膚をも共鳴させる。何が起きているのか、考えるのはやめた。規則的に体と魂を揺さぶる波が、次第に弱くなって行く。それがおぼろになった時、ようやく目を開ける。

 南の中天に冬の星が煌めく。微かな水音を立てて川が流れる。何か変わったのか、良く分からない。ただ、最前よりも夜が明るいように思える。

 気分は悪くない。むしろ良いくらいだ。ここで夜盗に出会っても、小鬼のごとく弾き飛ばしてやれそうな気分だ。幸親は小さく声に出して笑った。

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