第13話 三条西洞院にて 其の壱

 今宵の空に月はない。家人けにんは暗い夜を心配するが、幸親はまたも芳紀よしのり一人を連れて、馬で三条に向かう。我が家からは真っ直ぐ南に下るだけだ。

 二条を過ぎると、東三条殿ひがしさんじょうどのや太政大臣の閑院かんいんのような大きな屋敷が並ぶ。大路沿いには殆ど出入り口を設けない、これらの大邸宅の築地塀ついじべいが長々と続く。お陰で人気ひとけのない道は更に殺風景で物騒に感じられる。

 目的の家は、藤原朝成ふじわらのあさひら中納言の屋敷跡と、三条通りを挟んで向かい合う。屋敷の主だった朝成は一条摂政と呼ばれた。藤原伊尹これただを恨んで悪霊になったと伝えられる。屋敷は朝成の薨去の後は、天延てんえんの頃から長らく廃墟になっている。


 三条西洞院の屋敷に寄宿する女の許には、今宵参ると、道雅の手でふみを遣わせてある。屋敷の者も心得て、木戸を一つ開けてくれているはずだ。屋敷の様子を道雅に聞いてみたが、何やら頼りない返事が返って来た。それでも凱子ときこの部屋までの概要は覚えた。いざとなれば、いくらでも感が働きそうに思える。月のない夜、耳も目もいつも以上に冴えているのが不思議だ。

 それ以上に奇妙に思える。何故、こうも鬼が多い。この周辺に多い訳ではない、往来より集まり来る者が増えている。家やその辺りにいる小鬼に比べると、どこか禍々しさを漂わせる。松明を掲げて引き綱を取る芳紀や、幸親の乗る馬の周囲には殆いない。しかし、遠巻き気味について来る。どうやら、それなりの従順さも持ち合わせる。これが祖父らの使役した鬼なのか。話に聞く十二の神将には程遠く思える。

 むしろ、子供の頃に説話で聞いた武者むさたちのようだ。都より発った将軍に従う者はわずか、されど道々に従う者らがやって来る。そして目的の地に着く頃には、万を数える兵士つわものが従う。

 万の鬼など御免被る。それこそ鬼の夜行やこうだ。出来るなら少数精鋭を望みたい。馬上で振り向くと、水干すいかんを着る子供に見える者が、傍らまで進み出る。芳紀には見えていないのか、全く気付く様子がない。馬は気配に気づいたのか、鼻息を荒くして軽くいななく。そうか、感を働かせずとも、この者らを働かせれば良い。

 ――俺の言葉を聞け――

 声に出さずに命じると、水干の鬼は顔を上げて幸親を見る。顔つきはわらわだが、大きく細い目は獣のように鈍く光る。

 ――三条西洞院、下野守しもつけのかみの屋敷に行け――

 微かにうなずく童は、再び音もたてずに芳紀の横を通り抜けて、道の前方の闇に消える。恐ろしくも気味悪くもない。以前から、この者らを知っているようにさえ思える。


 道の上には細い糸のように、鈍く輝く軌道が見える。それは下野守の屋敷の西門脇の潜り戸に続く。

 芳紀が松明の火を下げて戸を叩く。心得顔の下男が顔を出す。下男が道雅を知っているとも思えないが、顔を見られる訳に行かない幸親は、火明かりから顔を背けて馬を降りる。芳紀は素早く手綱を外し、引き綱を門の脇の駒つなぎに結ぶ。ふところから紙の包みを引きずり出し、大儀たいぎと言って下男に渡す。随分と手際の良い事だ、幸親は改めて感心する。

「では、良い御首尾を」小声で囁き、木戸を潜る主を見送る。

 何の首尾だ。門の内の篝火かがりびから顔を背けて、幸親は息を継ぐ。糸のような光跡は屋敷の奥へと続く。下男を下がらせ、それを目でたどる。庭を横切り、東対ひがしのたいに面したきざはしに伸びる。見えていないはずの庭が、額の辺りに浮かんでくる。あの童が見ているのか。

 先程まで下男のいた辺りに、別の水干の童が控えている。芳紀と馬を見ていてくれと命じ、奥へと進む。忍ばせなくとも、冬枯れの庭に殆ど足音は立たない。東対の前庭から縁に上がり、光跡に沿って妻戸つまどを潜りひさしの内に入る。御簾みずの前には童の影も見えず、内にも人影や火の気がない。冬の最中さなかであれば、寝所は塗籠ぬりごめの内であろう。御簾を払って覗けば、光る鬼の目に出会う。塗籠の戸の前に座る童がうなずき、幸親は促されるように戸を叩く。内からは微かな衣擦れの音が聞こえる。


 俺の目的は何だ。自問しながら、引き戸を細く開ける。

 土御門殿つちみかどどのつぼねでも、この屋敷でも、左中将が求めたのは、忘れえぬ人の面影だ。俺には、そのようなものはない。遥かに低俗な欲でしかない。左中将が凱子ときこに覚えた失望など存在しない。手の内を探るなどと方便を並べ、あの女を抱くためにここに来たに過ぎない。初めて正直に思う。

 小さな燈台だけが置かれた部屋では、相手の顔も満足には見えない。身にまとう直衣のうしの年寄りじみた落葉らくようの香に、女は意中の男と思い込む。

「道雅様」低い女の声が呼ぶ。

 答えぬまま、戸の隙間から身を滑り込ませる。燈台の火を避けるようにうつむき、几帳きちょうの蔭に座る凱子に近寄る。畳に膝をつくが早いか、女の体がしなだれかかり、二人してしとねの上に倒れこむ。


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