第20話 陰陽寮にて
曇っているが、底冷えはいつにも増して厳しい。天変を
「寝不足のようですね」
「昨夜は野暮用で、今朝は御偉方の機嫌伺いだ。お陰で、ほとんど寝ておらぬ」
「どうせ仕事にはならない空模様です。眠れる時に寝て下さい」史生は笑う。
「そうだな。で、どちらが勝っている」笑い返して机上の盤を
三と一、そして二と五、思うたびにその通りの目が出る。これは何かの役に立つのか、少しばかり開き直った幸親は考える。呼び起こした鬼神らは、昨夜の内に
そろそろ飽きたので、眠らせてもらうかと思ったところに、
「これで何日目になりますか、
取りあえずは
「ざっと、五日目か」そして隆国は、屈託なく笑みを見せ、自慢げに答えてくれる。
「朝から騒いでいる、三条の事件のせいですか」
「ああ。殺された女房の身元が分かり、太政官も大騒ぎだ」
「その様な事を、ここで話しても大丈夫なのですか」つい、わざとらしく声を潜める。
「構わぬ。
案外、御主が漏らしたのではないのか。思ったが口にはしない。
「そうなのですか。太政官が騒ぐとは、どのような方なのです、その女房とは」
「太皇太后様に仕えておられる御方だそうだ」
「では、
双六から興味を移した二人が、聞き耳を立てる姿が目の端に映る。こちらとしても、初めて聞くふりをしなければならない。
「それがだな、昨夜、三条にある
「ああ、その話も聞いています」何とはなしに、慣れ合った言葉遣いになる。
「そこが姉の嫁ぎ先とかで、宿下がりをしていたらしい。そこで賊に人質にさらわれ、殺されて川に落とされたとか。
「何とも運の悪い……」
「屋敷の方の被害は、それ程でもなかったようだが、屋敷にいた何とかいう坊主の行方が知れぬ。その者が事件に絡んでおると、検非違使庁も睨んでおる」
「何故、坊主が屋敷にいたのでしょう」
「女房の宿下がりの訳が、
「そうだとしたら、あまりに気の毒だ」
「ああ。病を
あの勇猛な北の方も、共に育った義妹の死を悲しんでいるのだろうか。
「まさかと思いますが、事件の現場を見られたのですか」
「見ている訳がなかろう。そのような事になれば、今頃は家で
「そうも
「路上に血の跡があった故、殺されて川に投げ込まれたようだ。血の量からして、川に落ちた後も暫くは生きていたやも知れぬと言う者もいる。何にせよ、その後に野犬に喰われたというのだからな」
「野犬に……」
幸親は口元を押さえて眉根を寄せる。双六を打つ二人の手元は既に疎かになり、露骨にこちらに顔を向けて話を聞いている。
あの夜、鬼の目は川へと落ちた女が
師走の辰の日の夜、鬼が夜行すると
黒い犬が川へと飛び降りる。淀む川の水には薄氷がはる。それを踏み割って死んだ女に近づくと、まだ喉笛から流れる血を舐め始める。道の上からは、更に数頭の犬が見下ろしている。その更に後ろには、犬とは見えぬ二本足で立つ影が集まり始めている。
「降ってきたようだな、とうとう」
隆国の声に現実に戻る。まだ下ろされていない
「これでは、空を見るのも適うまい。少し外を歩かぬか、この冬初めての雪だ」立ち上がった隆国が誘う。
中庭に立てば、絶える事のない雪が衣に舞い落ちる。
共に死ねたら良いのにと、あの女は言った。もしかしたら、愛した男が殺してくれると知っていたのだろうか。奇妙な妄想に、幸親はおもむろに
「
「直接にではないが」少しだけ顔を向けて、呟くように答える。
「そうか……」一瞬だけ目を合わせ、小さくうなずく。
女房を殺したのは誰かとも、誰が命じたのかとも、隆国は聞かない。案外、分かっているのかもしれない。
右京八条の屋敷で会った左中将の傍らに、
「積もるであろうか、この雪」隆国は周囲を見回す。
「まだ無理だ。だが、寒うなりそうだ」幸親は空を仰ぐ。
降る雪を舞わせるのは、小鬼に
「恋はみな
「たまかぎる はろかに見えて
子供の頃に
「あの女に惚れていたのだろう」
「どうであろうな」
「まあ、無理をするな」
何の無理だ、思うがこの度も口にはしない。
凱子は今、何処にいるのだろう。再び空を見上げて幸親は思う。まだ三条大宮の辺りにいるのか。当分の間、上位者はあの場所には近づかないだろう。代わりに物見高い者らが、うろついているかもしれない。そういう者に交じって、訪ねてみようか。そして、行く当てがないのなら、俺の所に来いとでも言うのか。
またも、ため息が漏れる。隆国は少しばかり目だけを向けて、知らぬふりを装う。
鬼は元々、人であった。恨みを抱いて死んだ者は悪霊になる。手に負えぬ程に強力ならば、神に祀り上げられもする。そこまで行かずとも、彷徨う者はいくらでもいる。祖父らは、そのような者を見つけて命じたのか、我の
「なあ、隆国、関白様にお願い申し上げて、どこか雪の降らぬ温かい国の
溜息をついた後、幸親は本気ともなく言う。
「何の寝言だ。御主が
「釣れない事を言うな。太宰府は良いと親父殿が言うていた。
「どれも、親父殿の任国だな」隆国は笑う。
「そうだな、
「それも無理ではないのか。今でも充分に目立っておる故」
「ああ、まったくだ。いずれは参議になる
「上達部の子飼いになるのか、やめて置け。御主はいずれ、
隆国は一つうなずくと、声に出して笑った。この男には敵わない、幸親も共に笑う。
ああ、風が来るな。気配に気づいて、守護神の
蘇莫者 吉田なた @shima_nata_tamu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます