第16話 右近衛府の宿直所にて
幸親が重い口を開く。相槌を打つ程度で、余計な口は挟まずに隆国は聞く。一旦、口を閉じた幸親が、落ち着かなげに友人の顔を見る。そして隆国は、大きく息を継ぐ。
「本当に
「まやかしの内で戦うに過ぎぬよ。恐らく
「いや、充分に異様だ」
「何れにせよ、
隆国は答えに窮したか、露骨な溜息をつく。
「すまぬな、御主には関りのない事なのに」
「他人行儀な事を言うな。好奇心で首を突っ込む俺も悪い」
何やら照れ隠しのように隆国は脇を向く。
「左中将や権大納言がどうしたいのかは知らぬ。だが、俺はあの女を害しとうはない」
「
「分からぬ。だが、鬼は見えているようだ。それ故に周囲は気味が悪いと言うのだろう。俺も同じだ、見えるし、集めてしまう
そのように不気味な子供を理解し、庇護してくれる者が周囲にいたのか。答えは
「同じなのやも知れぬ、だから興味を引かれた」
「惚れたのか、つまり」
「どうであろうな。だが色欲は思うた」
「通う男は多いと聞く。まあ、大抵の者は、女の素性に引かれて関係を持ったのやも知れぬが」
「左中将や公卿どもとは切れろ、俺が代わりに来てやるから。などと口走ってもみたが、見事に嫌われたようだ」
つい口にした言葉に、再び自己嫌悪を思い出す。
「御主、思いの外、自信家なのだな。しかし、女は
「執着か。あの女、
また、胸の奥が微かに疼く。
「どういう意味だ」
「凱子が言うたのだよ、同じ御方に恋い焦がれていると」
「荒三位と女が同じ御方に、そういう事か」
「
「何やら、分かるような、分からぬような話だ」
「まったくだ。似た者同士ゆえに、共に死んでも良い……」
「それも女の言い分か」
「ああ。左中将と別れるくらいならば、共に死にたいと。俺には、そちらの方が分からぬよ。まあ、俺に女心を分かれと言うのも、無理な注文だが」
「俺も分かっていないと、四六時中怒られておる。
相変わらず隆国は気を使ってか、沈む気分を繕うような事を言ってくれる。それが的外れだったり、変に上滑りする事も大概だが、存分にありがたいと幸親は思う。
「もしも姫宮が左中将の傍らにおられなんだら、凱子もおかしな妄想は抱かなかっただろう」
「なるほどな。姫宮の代わりに、親父殿や祖父殿でも背負っていれば、女もそっぼうを向いたか」
「それはそれで気の毒だ、左中将が」
「御主は、凱子とかいう女の事ばかり気にかけているようだが、対処すべきは坊主の方ではないのか」隆国が口調を改めて問う。
「分かっておる。坊主に手心など加える気はない」少しばかり気を引き締めて幸親は答える。
「そうだとしても、御主、もしかして坊主が仕掛けてくるのを待っておるのか」
「ああ。あれが
「用意があるのなら一層の事、御主から仕掛けても構わぬのではないのか。さすれば、
「俺が仕掛ける……」
「先手必勝、御主は坊主よりも強いのであろう」
恐ろしく無責任に聞こえる発言だが、それ以上に心強いかもしれない。
「戦うのならば、主導権は俺が握れか。さもありなん、そうでなければ勝てる戦も負けるやも知れぬ」
隆国という男は口八丁ではあるが、必要な時には適切な助言をくれる。久々に実感する。
「ようやく目が覚めたな。昨夜から女の色香に迷うて、心ここにあらずの様相だったが」そしてまた、要らぬ事を言う。
「まあ、否定はせぬ」
「鬼を使うのか。先程、
「そう、使う。鬼もこちらが弱みを見せれば、逆に取り憑いて来る。なかなかに厄介な相手だ。もしも俺の放つ式が弱ければ、相手に跳ね返される。そして俺に返ってくる。俺のみならば構わぬが、左中将にも被害が及ぶやも知れぬ」
「荒三位などどうでも良い、御主の方が心配だ」
身を乗り出した隆国は、深刻そうに眉を顰める。
「御主は本当に良い男だな。話してみて良かった。俺一人では迷うばかりで、決断も何もできなんだろう」
「役に立てたのか」
「ああ。仕事が引けたなら左中将の屋敷に行かねばならぬ。俺の家はもとより、あちらの屋敷の四方にも式を配し、陣立てをせねばなるまい。そして坊主の意識を俺に向けるためにも先手を打つ」
「何やら大変そうだが、今宵はやめた方が良うはないか」
「何故だ」
「今日は
人の腹の内には
「
我々の悪行など今更だと思いつつも、
「俺など、
「そうだな、一晩、頭を冷やした方が良いのやも知れぬ」
うなずきつつも幸親は思う。屋敷の防備は今宵行えばよい。どうせ明日は何処も仕事にならない。寮には出仕するが、仕事が引け次第、左中将の屋敷に行く。我が家よりも、向こうの屋敷の方が遥かに広い。少し手間取るかもしれない。
「事を起こすのは明日の晩か。しかし、間が悪いな」幸親は呟く。
「何なのだ」隆国が問う。
「明後日の晩だが、俺は
「ならば出仕は午後からだ。日中は寝ておれば良かろう」
そういう気楽な状況ならば良いのだが。朝にどうなっているのか、予想がつかない。
「御主は元来、真面目な
「ああ、分かっている。失敗した時の事も考えておく」
「違うであろう。無理と思うたら、放り出せと言うておる。何度も言うが、荒三位がどうなろうと俺の知る所ではない。もしも御主に何かあれば、御主の親御や兄、姉、
「ああ、そうだな。家の名を汚す訳にも行かぬし、御主の出世に響くような事もせぬ。御主が参議になった暁には、俺にもせいぜい良い目を見せてくれ」
「そのような心にもない事を言うな。これでも俺は本気で心配しておるのだぞ」
再び身を乗り出して訴える隆国の肩を、幸親は笑いながら何度か叩く。
どうせ庚申待ちの夜だ。屋敷の防御を固めつつ、鬼どもの力を試してみるのも面白そうだ。その様に思い始めると、妙に気が軽くなった。
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