第16話 右近衛府の宿直所にて

 宿直とのい所の板間に円座わらうだを二つ並べる。昨夜の事を話すから座ってくれ、幸親が言うと隆国はうなずいて円座に座る。

 幸親が重い口を開く。相槌を打つ程度で、余計な口は挟まずに隆国は聞く。一旦、口を閉じた幸親が、落ち着かなげに友人の顔を見る。そして隆国は、大きく息を継ぐ。

「本当に呪師ずしの坊主と渡り合うたのだな。その騒ぎに家人けにんは気付かなんだのか」

「まやかしの内で戦うに過ぎぬよ。恐らくはたから見れば、俺も坊主もうめうておるだけやも知れぬ。まあ、その辺りがガタピシいうたり、物が落ちたり壊れたりくらいはするやも知れぬが」

「いや、充分に異様だ」

「何れにせよ、呪詛ずそもまやかしもけがれだ。御主らの関わる事ではない。何代も前から、公卿らは手を汚す役を俺たちに求めている。そういう事だ」

 隆国は答えに窮したか、露骨な溜息をつく。

「すまぬな、御主には関りのない事なのに」

「他人行儀な事を言うな。好奇心で首を突っ込む俺も悪い」

 何やら照れ隠しのように隆国は脇を向く。

「左中将や権大納言がどうしたいのかは知らぬ。だが、俺はあの女を害しとうはない」

土御門殿つちみかどどのは鬼の住処すみか、鬼を集める者がいる。以前、御主はそう言うていたな。あの女がそうなのか」

「分からぬ。だが、鬼は見えているようだ。それ故に周囲は気味が悪いと言うのだろう。俺も同じだ、見えるし、集めてしまうたちだ」

 そのように不気味な子供を理解し、庇護してくれる者が周囲にいたのか。答えはいなだろう。安倍の家に生まれた幸親は幸運だった。

「同じなのやも知れぬ、だから興味を引かれた」

「惚れたのか、つまり」

「どうであろうな。だが色欲は思うた」

「通う男は多いと聞く。まあ、大抵の者は、女の素性に引かれて関係を持ったのやも知れぬが」

「左中将や公卿どもとは切れろ、俺が代わりに来てやるから。などと口走ってもみたが、見事に嫌われたようだ」

 つい口にした言葉に、再び自己嫌悪を思い出す。

「御主、思いの外、自信家なのだな。しかし、女は荒三位あらざんみに執着している。坊主よりもそちらが手強そうだ」

「執着か。あの女、凱子ときこが執着しているのは何なのだろう。藤原道雅ふじわらのみちまさなどという男なのか」

 また、胸の奥が微かに疼く。

「どういう意味だ」

「凱子が言うたのだよ、同じ御方に恋い焦がれていると」

「荒三位と女が同じ御方に、そういう事か」

うなられた斎宮さいくうの姫君にだろう。左中将が俺の家に来た時から、傍らに気配を感じた。左中将にとっては本気で惚れた相手だ。その姿を見る事の出来る凱子には、手の届かぬ憧れの姫君。その御方に守護される道雅だからこそ、執着しておるのやも」

「何やら、分かるような、分からぬような話だ」

「まったくだ。似た者同士ゆえに、共に死んでも良い……」

「それも女の言い分か」

「ああ。左中将と別れるくらいならば、共に死にたいと。俺には、そちらの方が分からぬよ。まあ、俺に女心を分かれと言うのも、無理な注文だが」

「俺も分かっていないと、四六時中怒られておる。女君おんなぎみの顔色よりも、上達部かんだちめの顔色を読む方が楽なくらいだ」

 相変わらず隆国は気を使ってか、沈む気分を繕うような事を言ってくれる。それが的外れだったり、変に上滑りする事も大概だが、存分にありがたいと幸親は思う。

「もしも姫宮が左中将の傍らにおられなんだら、凱子もおかしな妄想は抱かなかっただろう」

「なるほどな。姫宮の代わりに、親父殿や祖父殿でも背負っていれば、女もそっぼうを向いたか」

「それはそれで気の毒だ、左中将が」

 中関白なかのかんぱくの父子など、一歩間違えば悪霊だ。子孫を守るよりも重圧をかけかねない。當子とうこ内親王からは真っ先に追い払われるに違いない。追い払われた挙句、御堂みどう家に祟ろうが、どこに祟ろうが知った事ではないが。

「御主は、凱子とかいう女の事ばかり気にかけているようだが、対処すべきは坊主の方ではないのか」隆国が口調を改めて問う。

「分かっておる。坊主に手心など加える気はない」少しばかり気を引き締めて幸親は答える。

「そうだとしても、御主、もしかして坊主が仕掛けてくるのを待っておるのか」

「ああ。あれがしきでも鬼でも討って来たなら、迎え撃つ用意はある」

「用意があるのなら一層の事、御主から仕掛けても構わぬのではないのか。さすれば、呪詛ずそを返すの何のと悩む必要もあるまい」

「俺が仕掛ける……」

「先手必勝、御主は坊主よりも強いのであろう」

 恐ろしく無責任に聞こえる発言だが、それ以上に心強いかもしれない。

「戦うのならば、主導権は俺が握れか。さもありなん、そうでなければ勝てる戦も負けるやも知れぬ」

 隆国という男は口八丁ではあるが、必要な時には適切な助言をくれる。久々に実感する。

「ようやく目が覚めたな。昨夜から女の色香に迷うて、心ここにあらずの様相だったが」そしてまた、要らぬ事を言う。

「まあ、否定はせぬ」

「鬼を使うのか。先程、戻橋もどりばしの鬼を起こしたの何のと言うたが」

「そう、使う。鬼もこちらが弱みを見せれば、逆に取り憑いて来る。なかなかに厄介な相手だ。もしも俺の放つ式が弱ければ、相手に跳ね返される。そして俺に返ってくる。俺のみならば構わぬが、左中将にも被害が及ぶやも知れぬ」

「荒三位などどうでも良い、御主の方が心配だ」

 身を乗り出した隆国は、深刻そうに眉を顰める。

「御主は本当に良い男だな。話してみて良かった。俺一人では迷うばかりで、決断も何もできなんだろう」

「役に立てたのか」

「ああ。仕事が引けたなら左中将の屋敷に行かねばならぬ。俺の家はもとより、あちらの屋敷の四方にも式を配し、陣立てをせねばなるまい。そして坊主の意識を俺に向けるためにも先手を打つ」

「何やら大変そうだが、今宵はやめた方が良うはないか」

「何故だ」

「今日は庚申かのえさるの日だ。一晩中騒ぐ輩だらけで、人目に付き過ぎる」

 人の腹の内には三尸さんしの虫が住む。この虫は六十日に一度巡って来る庚申の日の晩に天に昇り、帝釈天たいしゃくてんにその者の行いを報告する。悪事が知れると寿命を縮められる。虫を外に出さないようにと、身に覚えのある者は朝まで一睡もできない。ただ待つのも辛いと、うたげを開く者も多い。

庚申待こうしんまちか……忘れていた」

 我々の悪行など今更だと思いつつも、呑気のんきに眠るのもはばかられる。下野守しもつけのかみの屋敷も、一晩中、飲んで歌って騒いでいるだろう。そこに鬼を放つのは絶好の機会か、むしろ暴挙か。

「俺など、内裏だいりで庚申待ちだ。考えただけでも恐ろしかろう」気楽を装うように隆国が笑う。

「そうだな、一晩、頭を冷やした方が良いのやも知れぬ」

 うなずきつつも幸親は思う。屋敷の防備は今宵行えばよい。どうせ明日は何処も仕事にならない。寮には出仕するが、仕事が引け次第、左中将の屋敷に行く。我が家よりも、向こうの屋敷の方が遥かに広い。少し手間取るかもしれない。

「事を起こすのは明日の晩か。しかし、間が悪いな」幸親は呟く。

「何なのだ」隆国が問う。

「明後日の晩だが、俺は宿直とのいだ」

「ならば出仕は午後からだ。日中は寝ておれば良かろう」

 そういう気楽な状況ならば良いのだが。朝にどうなっているのか、予想がつかない。

「御主は元来、真面目なたちゆえ、上位者からの依頼は断らぬ。俺に言わせれば、不必要な忠誠心だ。どうせマツやらイワやらの我が儘だ。御主自身が潰れるような事をするな」

「ああ、分かっている。失敗した時の事も考えておく」

「違うであろう。無理と思うたら、放り出せと言うておる。何度も言うが、荒三位がどうなろうと俺の知る所ではない。もしも御主に何かあれば、御主の親御や兄、姉、許婚いいなずけらの嘆くのを見る羽目になる。そこに呪詛の何のと言われてみろ」

「ああ、そうだな。家の名を汚す訳にも行かぬし、御主の出世に響くような事もせぬ。御主が参議になった暁には、俺にもせいぜい良い目を見せてくれ」

「そのような心にもない事を言うな。これでも俺は本気で心配しておるのだぞ」

 再び身を乗り出して訴える隆国の肩を、幸親は笑いながら何度か叩く。

 どうせ庚申待ちの夜だ。屋敷の防御を固めつつ、鬼どもの力を試してみるのも面白そうだ。その様に思い始めると、妙に気が軽くなった。

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