第17話 三条西洞院・土御門西洞院にて

 あえて陣立てなどしなくとも、土御門西洞院つちみかどにしのとういんの屋敷の各所には、既に鬼神が居座っている。参ったものだと、幸親は溜息をつく。鬼たちにとっては、古巣に戻った気分なのかもしれない。

 昔話では、祖父か曽祖父が鬼どもに屋敷を守らせていた。ところが屋敷に迎えた妻は、鬼を見る事の出来る人だった。四六時中、鬼に見守られるのも落ち着かない。子供たちにも、これを当たり前に育ってほしくない。そのように訴えられて、ほとんどの者は橋の下に住まわせるようにした。


 庚申こうしん明けの日、 昼前に仕事を引き上げ、八条の左中将の屋敷に向かう。下野守しもつけのかみの屋敷に行ったのかと聞かれたので、隆範りゅうはん法師に見つかって軽い騒ぎになったと伝える。

「法師はどうにか致しましょう。しかし、私は凱子ときこ様を害そうとは思うておりませぬ」

「そうか。最初から御身おみに始末を頼もうとは思うておらぬ。法師と凱子を引き離してくれれば良い。屋敷の外に連れ出せれば、こちらの手の者でどうにかできよう。ただし、呪師ずしの影は匂わせるな。出来るか」

「御見様が人を使うと言われるのなら、私もその者を使いとうございます」

「どういう意味か」

「鬼に任せるのです」

 笑って見せたつもりの表情がひきつる。一方、左中将の見せた笑みは、どこかしら憐れみのように思えた。この人は何を覚悟しようとしているのか。傍らの姫宮は、扇の蔭に顔を伏せたまま黙している。


 部屋の真ん中に設えた結界の中に二階棚にかいだなを置く。結界は曽祖父が用いていたという桔梗ききょうの形をしている。祖父の形見の銀の香炉を棚の中央に置く。その両脇に二つの土器皿かわらけ、後ろには白い紙でこしらえた小さなへいを並べる。

 八条の屋敷から戻り、湯を使い浄衣じょうえ代わりの白い水干すいかんに着替える。二階棚の上に紙の人型ひとがたをいくつか並べる。香炉に練香を焚き、土器皿に小さな火を灯す。幣の前には、それぞれにささやかな供物を捧げる。人に見せるための儀式ではない。必要なのは結界としろ、そして呪師ずしだ。棚の前に置いた円座わらうだに腰を下ろし瞑目する。額の辺りに夜の往来が浮かび見える。


 騎馬の者が二人、従う徒歩かちの者は四人、三条通を西へと急ぐ。馬の前を行く徒歩の二人は松明を掲げる。着古した衣の下に腹当てやら脛当てやらの具足を着けた者、塗りの禿げた鞘に収めた太刀を帯にはさむ者、弓を肩に担ぎ矢筒を腰から引きずるように下げた者、格好はまちまちだが、どの者も裸足だ。騎馬の一人だけが深沓ふかぐつを履き、どこぞで奪った物か、象嵌ぞうがんの飾り太刀などという、目立つ代物を佩いている。

 これが左中将の使うやからなのか。何にしても、こちらにも都合が良い。棚の上に並べた幣に目をやりながら幸親は思う。

 欲に長けた者に鬼をけるのは、そう難しい事ではない。むしろ、最初から大なり小なりの邪鬼を憑けている。使えるのであれば、それを使えば良い。役不足ならば乗っ取るだけだ。呪師よりも鬼の方が心得ている。

――火はかけるな、騒ぎが大きくなりすぎる――賊に張り付けた鬼どもに命じる。

 鬼を使って人を傀儡くぐつにする。自らができるのだから、祖父は当たり前にやってのけただろう。家族の前では素振りも見せなかったが、噂を囁く声が幾らでも教えてくれた。若い頃から意にそぐわない仕事を、いくつも引き受けて来たのだろう。

 言葉として聞き取れないほどの、低く小さな声が唇の間から漏れる。はりに吸い込まれるように、真っ直ぐに上る香炉の煙が、微かな気の乱れによじれる。広がる煙の下で、依り代の人型が鈍い燐光を放つ。


 騎馬の頭目とうもくの肩には嬰児えいじほどの影がしがみつく。それが下野守の屋敷の木戸を見る。頭目も同じように木戸を見る。影が顎をしゃくれば、頭目もしゃくる。手下の一人が戸を叩く。戸が開くと下男が一人顔を出す。その肩にも小さな鬼が乗る。門の内に引き入れられた賊が、それぞれ好き勝手な方向に散る。

 最初に気付いたのは隆範法師だった。鬼の放つ強い気に眠りを覚まされた。大声で家人に賊の侵入を告げ、部屋に設えた祭壇の前に座る。

 たいの内でも人が起き出し、大騒ぎになる。西対にしのたいの部屋では、北の方らしき女を押しのけて家財を物色する者がいる。その背後から、太刀を構えた若者が切りかかる。しかし、軽くいなされて床に倒れこむ。それでも果敢に、蹴飛ばそうと賊が上げた足に食らいつく。

 賊に押しのけられた北の方はといえば、転がっていた角盥つのだらいを手に立ち上がる。単衣ひとえの姿も恥じらう事なく、更に現れた賊の顔面を思い切りたらい打擲ちょうちゃくする。悶絶もんぜつする賊を足蹴あしげにする北の方も、赤子のような小鬼を背負っている。

 小鬼は見る間に、賊の足に食らいつく若者の頭に飛び移る。小鬼と若者に足を取られ、引きずり倒された賊の横面に、北の方の角盥が振り下ろされる。

 法師の部屋に向かわせた鬼の気配が消える。二階棚の上の形代かたしろの光も消える。はじき出されたと悟り、幸親は次の者に行けと命じる。多少、弱かろうと数を討つ。そうして手一杯にさせて置けば、法師の注意も散漫になるだろう。

 背後に火明かりが上がっている。先程、夜盗らが入って来た木戸の方向か。鬼に火付はさせるなと命じたが、騒ぎの内に炊屋かしきやかどこかで火の手が上がったと見える。これで周辺の家も気付き、検非違使けびいしに連絡が行くだろう。あまり悠長にはしていられない。

 足音荒く渡殿わたりどのを行く者がいる。東対ひがしのたいには人影が少ない。手にした太刀と松明を振り回して追い払い、戸に体当たりして押し倒す。御簾みすを切り落とし、几帳きちょうを蹴り倒し、塗籠ぬりごめの戸を引き開ける。

 松明の火に、部屋の隅でうずくまる姿が浮かび上がる。裸姿はだかすがた小袿こうちぎを羽織り、胸の前を掻き合わせる。火を向けられると顔を上げ、侵入者を凝視する。松明を振り捨てた手が伸ばされると、思い切り良く爪と歯を立てる。だが、力及ぶ訳もなく突き飛ばされ、そのまま肩に担ぎあげられる。高い悲鳴が上がるが、賊に歯向かおうとする者はない。

 渡殿の上に三尺ばかりの、ずんぐりとした影が立ちふさがる。背の丈に似合わぬ太い手足をしている。法師がこちらに気付いたか、幸親は嘲るように小さく笑う。

 東対の縁を音もなく、水干姿のわらわが歩いて来る。賊の横をすり抜けて三尺の鬼の前に立つ。瞬かない光る目が鬼を見る。笑いに吊り上がる口からは、間断なく忍び笑いが漏れる。

 自らの口から漏れるのが、呪言ずごんなのか笑いなのか分からないまま、消せと童に命じる。童の手が鬼の頭に伸びる。鬼は動かない。動けまい、心の呟きが童の口から漏れる。てのひらの下で、飛沫がはじけるよりも呆気なく、鬼の姿が消えた。弱いものだ、またも呟きが童の口からこぼれる。

 既に近隣が気付いたか、外が騒がしい。検非違使がなだれ込んで来るのも時間の問題か。引き上げろと幸親は命じる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る