第3話 御室にて
適当な理由をつけて、
「このような場所で、いや、奇遇だ。時に、
大きな栗毛の馬の背で、
「この方向と言えば、
「そうか。俺も
「ああ、そうだ」
しばらく馬を並べて、御室への道を進む。左手前方に
「御主、俺を見張っていたのか」
「硬い事は言うまいて。御主が左中将より無理難題を押し付けられたと聞いて、助太刀に駆け付けたまでよ」
「何の助太刀だ、まったく。喧嘩に行くのではないぞ」
どこ吹く風の隆国は、
「四の宮様には如何なる要件があるのだ」
「御主と同じ要件よな」隆国は相変わらず機嫌よく笑う。
寺の門前で馬を降り、応対に出て来た者に隆国が名乗る。
白檀の香りのする一室で待っていると、じきに若い修行僧を伴った四の宮が現れる。
「文を下された幸親殿ですね。互いに姿も変わり、見違えましたな」穏やかに低い声で宮が問いかける。
「御久しゅうございます、
隣では隆国が、所在なさそうに名乗って頭を下げる。
午後より大僧正の供で出かけるので、ゆっくりはできないと、宮は済まなそうに微笑む。初めて会った時から、このように遠慮がちな笑顔を見せた。
先帝の
「
目下の者にも使う丁重な物言いは、親王だった時から満たされぬ思いを抱いていた
「御用件は姉宮の事でしたね」
「はい」幸親は再び低頭する。
「昨夜、姉宮が私の許に参りました」
隆国は相変わらず口を挟まずに、二人の言葉を待つ。
「姉宮と左中将の仲が許される事を、幼いながらに私は望みておりました。御二人は互いを必要とされておられる。分かりてはいても、十二歳の私に成す術はありませぬ。嘆く姉宮を御慰めする事も、父上様の怒りを鎮める事も満足にできませなんだ。
「姉宮様は今、あの御方の
「ようやく寄り添えた。今は幸せなのだと、私は信じております」
四の宮と幸親はうなずき合い、隆国は隣で怪訝な表情を見せる。
かつて祖父は三条の院よりたびたび声をかけられ、宮に出入りをしていた。祖父の死後も、姉が皇太后付きの
四の宮の話を一方的に聞いただけで退散した幸親に、隆国は露骨な不満顔を向ける。
「俺には何の話なのか、どうもはっきりせぬのだが」馬の背にまたがった隆国が、さっそく文句を言う。
「なあ、隆国、四の宮様の姉宮様と左中将の昔話は知っておろう」馬の鼻先を並べて、幸親は問い返す。
「
三条天皇の第一皇女、
退下したとは申せ、斎宮の内親王にふさわしい男ではない。多くの陰口は批判に走る。男の名は
この騒ぎで院の命が縮まったのだと、心無い声も聞こえる。院の崩御の後、姫宮は落飾し、二十二歳という若さで亡くなった。
「左中将は、そのような話を御主にしに来たのか、わざわざ」
馬上で首をひねる隆国が、解せないと言いたげな顔を向ける。
「いいや。身辺におかしな事があった故、見て欲しいと言われただけだ」
「そのような相談、普通、御主らにするものか。法力自慢の坊主や
「さて、先日、関白様の御屋敷で面識があったからだと思うが」
答えた幸親は、手綱を取る手元に目を落とす。傍らではそれぞれの子童が聞き耳を立てている。
「おかしな事とは何だ」
「それは言えぬよ」
坊主や呪師にも守秘義務くらいはあるだろう。
「まさか、姫宮の
「仏門に入られた御方だ、不謹慎な事は言うな」幸親は小声で言って笑う。
「何にせよ、四の宮には
「確かめるためだ」
「何を」
「姫宮様の御霊が
「何処に」
「左中将の許だ」
「何だ、やはり姫宮の事ではないか」
「左中将に起きた事と、姫宮は直接に関わらぬよ。あの御方は、そうだな、守護されているのだろう、あの禄でもない男を」
だからこそ、夜半の辻でも大事無かったのだろう。
俺の手に負える事なのか、幾たびか幸親は自問する。鬼の
鬼は目に見えぬもの、人の心に生まれるものだと、祖父はよく言っていた。
「姫宮は何から守護しておられるのだ」
隆国の言葉に我に返る。
「鬼……だろうか」幸親は呟く。
「鬼……だと」
「ああ。暗き心に鬼は生ず」
さらに首をひねる隆国をよそに、厄介ごとを背負いこんだようだと、幸親は後悔を覚え始める。
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