第3話 御室にて

 適当な理由をつけて、幸親ゆきちかは半年ぶりに寮を休む。黒鹿毛くろかげの愛馬に乗り、供には子童こわらわを一人連れる。一条大路を西に向かい、都を出た辺りで知った顔に出くわす。

「このような場所で、いや、奇遇だ。時に、御主おぬし何処どこへ行く」

 大きな栗毛の馬の背で、源隆国みなもとのたかくには飄々と笑う。馬を曳くわらわは、主の空々しさにあらぬ方を見る。

「この方向と言えば、御室おむろしかあるまいに」呟く幸親は、眉を軽くしかめる。供の童は笑いをこらえる。

「そうか。俺も仁和寺にんなじに行く。御主もみやを訪ねられるのか」烏帽子えぼし際の額を掻きながら、隆国はなおも笑う。

「ああ、そうだ」

 しばらく馬を並べて、御室への道を進む。左手前方に双ヶ岡ならびがおかが迫って来る辺りで、幸親は胡散臭げに問う。

「御主、俺を見張っていたのか」

「硬い事は言うまいて。御主が左中将より無理難題を押し付けられたと聞いて、助太刀に駆け付けたまでよ」

「何の助太刀だ、まったく。喧嘩に行くのではないぞ」

 どこ吹く風の隆国は、胡桃色襲くるみいろがさね狩衣かりぎぬの袖を上げて、寺が見えて来たと指差す。。

 辺幅へんぷくに無頓着な幸親とは違い、存分に洒落っ気のある友人は服装に気を遣う。常にはもう少し目立つ色目のころもまとうが、今日の行く先は寺院とあって、控えめにしたと見える。それでも見るからに凝った織りの衣だ。人目を惹く蔵人少将くらうどのしょうしょうともなれば、大変なものだ。幸親は妙な納得をする。

「四の宮様には如何なる要件があるのだ」

「御主と同じ要件よな」隆国は相変わらず機嫌よく笑う。


 寺の門前で馬を降り、応対に出て来た者に隆国が名乗る。みなもとうじと蔵人少将の肩書を聞いた寺奴てらやっこらの反応は素早い。二人の童からひったくるように手綱を受け取り、そさくさと馬をうまやに曳いて行く。主ら二人を追い立てるように庫裏くりに誘導する。それぞれの童らも丁重にもてなされるだろう。

 やっこらの態度を見る限り、主賓は隆国で俺は添え物か。幸親にとっては今更、怒る気にもなれない日常茶飯事だ。

 白檀の香りのする一室で待っていると、じきに若い修行僧を伴った四の宮が現れる。

「文を下された幸親殿ですね。互いに姿も変わり、見違えましたな」穏やかに低い声で宮が問いかける。

「御久しゅうございます、師明もろあきら様。いえ、性信しょうしん様、安倍幸親あべのゆきちかにございます。突然の申し出にも関わらず、面会を賜り恐れ入ります」しかつめらしく低頭する。

 隣では隆国が、所在なさそうに名乗って頭を下げる。

 午後より大僧正の供で出かけるので、ゆっくりはできないと、宮は済まなそうに微笑む。初めて会った時から、このように遠慮がちな笑顔を見せた。

 先帝の皇子みこである四の宮が出家を決意したのは五年前、年はわずかに十五歳だった。宮を取り巻く事情や、信仰心の篤さを考えても、そのような年で落飾らくしょくしようとは、幸親や隆国には考え難い。

其方そちは下がりていて下され」静かに宮は連れの僧に言う。

 目下の者にも使う丁重な物言いは、親王だった時から満たされぬ思いを抱いていたしるしかもしれない。退出する僧に目を留めながら、幸親は思う。

「御用件は姉宮の事でしたね」

「はい」幸親は再び低頭する。

「昨夜、姉宮が私の許に参りました」

 隆国は相変わらず口を挟まずに、二人の言葉を待つ。

「姉宮と左中将の仲が許される事を、幼いながらに私は望みておりました。御二人は互いを必要とされておられる。分かりてはいても、十二歳の私に成す術はありませぬ。嘆く姉宮を御慰めする事も、父上様の怒りを鎮める事も満足にできませなんだ。うなられた姉宮に対して、それが一番の心残りにございます」

「姉宮様は今、あの御方のかたわらにおられるのですか」幸親はおもむろに顔を上げて問う。

「ようやく寄り添えた。今は幸せなのだと、私は信じております」

 四の宮と幸親はうなずき合い、隆国は隣で怪訝な表情を見せる。


 かつて祖父は三条の院よりたびたび声をかけられ、宮に出入りをしていた。祖父の死後も、姉が皇太后付きの女房にょうぼうになっていたため、幸親は宮を訪れる機会を持てた。そのため、四の宮が師明親王と呼ばれていた頃から面識があった。身分の違いこそあれ、人一倍勘の鋭い同い年の二人は、どこか似ていて親しみを感じていた。

 四の宮の話を一方的に聞いただけで退散した幸親に、隆国は露骨な不満顔を向ける。

「俺には何の話なのか、どうもはっきりせぬのだが」馬の背にまたがった隆国が、さっそく文句を言う。

「なあ、隆国、四の宮様の姉宮様と左中将の昔話は知っておろう」馬の鼻先を並べて、幸親は問い返す。

斎宮さいくうにあられた姫宮に通われていた話か。先程も、御主らが訳知りに話していたではないか」何処どこかしら非難するように、隆国は黒く丸い目をやや細める。

 三条天皇の第一皇女、當子とうこ内親王は十二歳で伊勢斎宮いせのさいくうとなった。父帝の退位に伴い、五年を伊勢で過ごした後に都に戻るが、母皇太后の許が手狭だったため、別の宮で一人暮らす事となる。やがて、その姫宮の許に通う男がいると噂が立つ。父三条院は激怒し、兄宮らによって姫宮は母の許に引き戻された。

 退下したとは申せ、斎宮の内親王にふさわしい男ではない。多くの陰口は批判に走る。男の名は藤原道雅ふじわらのみちまさという。時の権力者、藤原道長によって失脚に追い込まれた、中関白家なかのかんぱくけの嫡孫だった。

 この騒ぎで院の命が縮まったのだと、心無い声も聞こえる。院の崩御の後、姫宮は落飾し、二十二歳という若さで亡くなった。

「左中将は、そのような話を御主にしに来たのか、わざわざ」

 馬上で首をひねる隆国が、解せないと言いたげな顔を向ける。

「いいや。身辺におかしな事があった故、見て欲しいと言われただけだ」

「そのような相談、普通、御主らにするものか。法力自慢の坊主や呪師ずしにでも良かろうに」

「さて、先日、関白様の御屋敷で面識があったからだと思うが」

 答えた幸親は、手綱を取る手元に目を落とす。傍らではそれぞれの子童が聞き耳を立てている。

「おかしな事とは何だ」

「それは言えぬよ」

 坊主や呪師にも守秘義務くらいはあるだろう。

「まさか、姫宮の御霊みたまが関わるとでも」濃い眉と声を潜めて隆国が聞く。

「仏門に入られた御方だ、不謹慎な事は言うな」幸親は小声で言って笑う。

「何にせよ、四の宮には如何いかなる用件があったのだ」

「確かめるためだ」

「何を」

「姫宮様の御霊が何処いずこにおられるのかを」

「何処に」

「左中将の許だ」

「何だ、やはり姫宮の事ではないか」

「左中将に起きた事と、姫宮は直接に関わらぬよ。あの御方は、そうだな、守護されているのだろう、あの禄でもない男を」

 だからこそ、夜半の辻でも大事無かったのだろう。何某僧正なにがしのそうじょうからもらった護符の霊験だけではない。幸親を道雅に引き合わせたのは、當子内親王だと四の宮は言う。それも道雅を守って欲しいという、姫宮の思いなのか。

 俺の手に負える事なのか、幾たびか幸親は自問する。鬼の夜行やこうに出会ったというが、恨みを持つ女が鬼など扱えるものなのか。昔語りに言うよう、貴布禰きぶねの神に願をかけ、宇治の川の水に二十一日、身を浸したとしても、鬼になどなれるものか。

 鬼は目に見えぬもの、人の心に生まれるものだと、祖父はよく言っていた。呪師ずしどもは、そうした心に巧みに付け込む。

「姫宮は何から守護しておられるのだ」

 隆国の言葉に我に返る。

「鬼……だろうか」幸親は呟く。

「鬼……だと」

「ああ。暗き心に鬼は生ず」

 さらに首をひねる隆国をよそに、厄介ごとを背負いこんだようだと、幸親は後悔を覚え始める。

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