その誇りに代えても

ミミ

1幕.帝国の英雄

1.帝国の英雄

 藩屏はんぺいであった。

 悪鬼であり羅刹らせつであり死神であった。

 帝国に仇なす者をことごとく殺し尽くした。それこそが俺の誇りである。

 人ならざる存在かのように恐れられた。それこそが俺のほまれである。

 やがては老いさらばえて、一騎討ちの末に倒れ伏し、俺を討伐なさしめた怨敵おんてきたる強者を心の底から褒め称えて地獄に落ちる。それこそが俺、アーデルヘルム・フォン・フルスの生きる道であり、未来なのだと信じていた。


「――銃、ですか?」


 それは周辺国で作られ始めた新兵器であった。


「なるほど、面白いものでした。火薬の爆発で弾丸を飛ばす。単純な仕組みですが、想像以上に威力がある」


 陛下からのご下問かもん奉答ほうとうするべく、俺は銃というものを徹底的に調べ上げた。


「されど、おもちゃに過ぎませんな。火薬も銃身も高価で量産には不向き。弾込めは遅く、騎馬の速さについていけない。射程も強弓に比べれば短い。これは戦場では使い物になりません」


 陛下と帝国は俺の言葉を受け入れた。銃になど見向きせず、これまで通りの軍備をすると決めたのである。


        ◇◆◇


「ぐ、うっ……!」


 燃える。すべてが燃える。


「バカな、バカな……っ! ありえん、こんなことがあっていいはずがない……!」


 最強の名の下に威容いようを放ってきた帝国軍旗も、軍旗とともにあった野戦司令部の陣幕も、そこに務めた我が幕僚も、彼らが指揮した一〇〇万の帝国陸軍も、何もかもが灰になる。


「銃などというものが! こんなに強いわけがない! ないのだ!」


 必勝の戦法はそのことごとくを弾幕に潰された。重装歩兵の密集突撃も、騎兵部隊の機動襲撃も、偽装敗走からの伏兵の挟撃も、何もかもが撃ち抜かれてしまった。

 列強が筆頭であった帝国は、気が付くと前時代に取り残された間抜けへと姿を変えていたのだ。




 すべては――銃を認めなかった俺のせいで。




「があっ! ……はあ、はあ」


 泉のほとり。大腿部だいたいぶにとどまった弾丸をナイフでえぐり取り、俺は血まみれの手を乱雑に洗う。


「まだだ! まだ、本隊に戻って俺が指揮をれば、戦いは続けられる!」


 野戦司令部は敵軍の強襲によって崩壊した。だが、俺のように逃げ延びた部下を集めれば、まだ統制は取れる。まだ負けていない。


「立て札か……! よし、よし! 泉の名は何だ!? ここから近い司令部はどこに――」


 俺が泉の前で見つけた立て札には、こうあった。


『あなたの大事なものと引き換えに、あなたの願いを叶えます』




           『その誇りに代えても』




「……は、はは、くだらん」


 あるいは自殺志願者の足を止めるためのもの、だったのかもしれない。


くだらん、冗談だ……」


 この立て札を見て、俺は我に返ってしまった。

 冷静に考えて、野戦司令部すら襲われた帝国軍が持ち直すことなど万にひとつもありえない。一〇〇万の将兵とともに、帝国の命運は尽きたのだ。


 ――もはや、帝国に勝ち目なし。たとえ、戦場まで這いずり戻ったとしても、名誉ある一騎討ちの死すら得られまい。


「……俺は、終わったのか」


 弾を抜き取った足を引きずって、俺は泉のふちに立つ。


「命でも何でも持っていけ。願わくば、帝国に再起の機会があらんことを」


 そして、俺は泉に身を投げた。



















『おやおや、命を粗末にしちゃいけないなぁ』


 足の弾痕から血のおびを流しながら、髪に白いものが混ざった軍服姿の大男が沈んでいく。


『けど、安心するといい。ボクは何も嘘をあの看板に書いていない。ちゃあんとキミの願いを叶えてあげるよ』


 すでに大男に意識はなく、口の端からこぼれていた泡もなくなっていた。体に残る温かさも水温に溶けて、消えつつある。

 すべてが終わる直前。あるいは、終わった直後。


『でも、』


 大男は泉の底にたどり着き、そのナニモノかの手に触れられた。


『あっさり捨てちゃうくらいだから、キミにとって命はそんなに大事なものじゃないみたいだ』


 ナニモノかはたのしそうに笑った。


『だから、こうしようか』


        ◇◆◇


「君が本年度の首席、エルマ・クルムかね?」

「はい、閣下。私がエルマ・クルムであります」

「そうか。本当に女性なのだな」

「はい、閣下。この身は女であります」


 腰まで届く長い銀髪。大きく蓄えられた胸に、細くくびれた胴回り。整った目鼻立ちに、垂れた目尻が印象を一層優しげなものにしていた。

 帝国中央士官学校。その講堂の控室。窓ガラスに映ったその姿は、確かにまだ幼さの残る少女のそれであった。


「長い帝国士官学校の歴史の中で、君は初めての女性の首席卒業者だ。そのことをどう思うかね?」

「はい、閣下。光栄であります。それと同時に、重要なこととは思いません」

「ほう。どういうことだね?」

「はい、閣下。私が首席の評価を得たことは光栄であります。しかし、戦場では男も女も首席も末席も関係ありません。敵にとっては等しく己を殺しにかかる害獣です」


 私の『害獣』という表現を気に入ったのだろう、閣下は小さく笑った。ああ、知っているとも。がこういった言葉遊びが好きなことは。


「だが、女性の身で首席となるには苦労も多かっただろう。君はなぜそこまで研鑽けんさんを続けられたのかね?」

「はい、閣下。すべては帝国を守り抜くためです。結果を出さない者の言葉を信じる者はありません。首席はでした」


 閣下は笑みを深くした。そうだろうさ、は帝国のためになる、意志ある人間が大好きなのだからな。


「君が書いた論文は読ませてもらった。国内兵站へいたん網の強靭きょうじん化の重要性を見直すべきだと気付かされたよ。見事だった」

「はい、閣下。ありがとうございます」

「惜しむらくは銃器が過大評価されていることだ。研究によって性能が上がると予測するのはいいが、あまりに高く見積もり過ぎている。これは現実にはなるまい」

「はい、閣下。式の後、すみやかに修正します」


 閣下は満足げにひとつ大きくうなづいた。


「気に入った。エルマ・クルム准尉、困ったことがあれば俺を頼るといい」

「はい、閣下。ありがとうございます」

「さて、ちょうど俺の出番のようだ。せいぜい新米准尉たちが眠くならない程度に訓示を垂れてくるとしようじゃないか」


 閣下は軍の礼服を直し、じゃらりと大量に付いた勲章を鳴らして壇上に向かった。


「……まあ、頼りようがないがな」


 閣下の去った控室で、私――俺は小さくつぶやいた。

 泉に沈んだはずの俺はどういうわけか、敗戦前の帝国に生まれていた。

 エルマ・クルムという名の平民の娘。軍に縁はなく、育ってすら小柄な体だった。

 しかし、それでも願いは叶った。帝国をあの無残な敗戦から救い出す機会が、私には与えられたのだ。

 だから、私は壇上の閣下の姿を目に焼き付ける。私が倒すべきその姿を。そう――


 ――帝国の英雄にして、銃器不要論者たるの姿を。


アーデルヘルムよ。お前の、命より大事なその誇り、すべて汚し尽くして、必ずや帝国に銃を並べてみせるぞ」

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