12.精鋭殺しの罠

 時刻は正午であった。


「時間だ。始めろっ!」

「はい、ホフマン中佐殿! 攻撃開始! 攻撃開始だ!」


 エンゲルハルト山の深く。獣道すらない人が普段立ち入らない場所。大型の獣の姿もない静かな森。その生い茂った木々の中に野戦本部の陣幕が立てられいた。


「様子はどうだ?」

「はい、ホフマン中佐殿。依然として変わりありません。立哨りっしょうもあくび混じりで警戒した様子はまるで見られなかったとのことです」

「ふふふ……やはり、拙速は巧遅に勝るのだなっ」


 初手は帝国軍。精鋭の弓射手たちは、工作員たちの拠点とされる建物の周囲に立っていた衛兵六名の脳天を同時に射抜いてのけた。連絡はおろか、悲鳴すら上げられない完璧な攻撃であった。


「巧遅……」

「なんだ、副官。お前も坑道をすべて確認しろとでも言うつもりか?」

「いいえ、ホフマン中佐殿。ただ私もエルマ少尉のことを思い出してしまっただけです」


 二手目も帝国軍。建物の周辺に隠れていた歩兵たちが、一斉に包囲を狭める。もはや、建物から逃げることはかなわない。


「フン……あれは金にものを言わせて新兵器を揃えただけの小娘だぞ。巧遅ですらあるものか」

「では、エルマ少尉のは……」

「これは、俺の軍だ。俺が戦功を挙げるための軍なのだ。万が一にも、俺より目立ってもらっては困るからな」


 噂の通り、この作戦が成功したあかつきには、ホフマン中佐は大佐への昇進が約束されていた。四三で大佐となれば、引退までに将官にも手が届く。派閥をうまく泳ぎ切れば、元帥や大臣にまでなりうる。

 降って湧いたような好条件。何もかもお膳立てされた出世のチャンス。ホフマン中佐は大いに浮かれていた。


「さあ、そんなことより、我軍の突入が始まるぞっ! よく見ておくのだ!」


 続く三手目も帝国軍。正面と裏口と狭い入口から一気に侵入し、数の強みを叩きつける。勝負は決まった――そのはずであった。


「これがぁ! 俺のぉ! 伝説の始まりだぁああああ!」






 ――ドォオオオオン






「……は?」


 建物が、内側から爆発した。


「ギャアアア!?」

「火、火がぁあああ!」

「だ、助げ、で……俺が燃え、る……」


 建物が崩れるほどの爆発ではなかった。しかし、それはそこかしこに用意されていた油に火を点けた。

 結果として生まれたのは地獄絵図。突入した帝国兵たちは狭い出入口のせいで素早く脱出できない。集まり、折り重なった人々の中で、燃える油を被ってしまった者がその場に倒れ出す。倒れた者は、散々に踏みつけられて全身の骨を粉砕されて死んでいく。出入口付近の死体は、残った者たちの脱出の障害となる。


「わ……罠だ……っ! い、急いで助けに向かえっ!」

「は、はい、ホフマン中佐殿! 作戦中止! 作戦中止! 自軍の救助を行え!」


 殺された六人の立哨りっしょうを含む建物の人間は、ほとんどが何も事情を知らない隣国の犯罪者だった。として拠点の維持管理を行わされていたのだ。自身が囮であるなどとは夢にも思わず。

 そして、ホフマン中佐は間違えた。

 目の前で生まれた凄惨な光景に慌てて、罠であると気付いたのにこれが何を目指した罠か考えなかった。救助にすべてのリソースを注いでしまった。その一手が大差となった。


「伝令伝令! ほ、ホフマン中佐殿! た、大変であります!」

「そんなことはわかっている! とっくの昔に救助の指示は出したっ!」

「違います! 輜重しちょう隊が襲われています! 至急、救援を!」

「な、なんだと!?」


 ホフマン中佐が救援の指示を出すよりも早く、陣幕にもうひとり伝令が飛び込んだ。


「伝令です! ホフマン中佐殿ぉ! み、道が寸断されましたぁ! 輜重しちょう隊が孤立していますっ!」

「はぁあああああああ!?」


 時刻は一二時三〇分になろうとしていた。


        ◇◆◇


「エルマ隊長! 伝令、戻りました!」

「ご苦労。返答は?」

「エルマ隊長の『前に出るべきか』という問いに対して、野戦本部は『それどころじゃない。いいから後方にいろ』との返答です!」

「大変結構。、二二五小隊はこれより全力で後方――輜重しちょう隊の救援に向かう! 総員、走れぇ!」


 帝国軍部隊の最後方。燃え盛る拠点から最も遠い場所から、戦いは流れを変えようとしていた。

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