10.ただ一度の発言権

「これよりエンゲルハルト攻略作戦について、西部方面軍第一師団第一大隊隊長のホフマン・デッガーが説明するっ!」


 西部方面軍司令部大会議室。ここに、作戦に参加する士官と一部の下士官がずらりと集められていた。

 音頭を取るヒゲの尖った男はホフマン・デッガー中佐。確か、年齢は四三。悪くない出世速度だ。


「我らの目標はここ! 隣国の工作員がエンゲルハルト山深くにこさえたにっくき敵拠点! そこに配備されているであろう敵兵およそ三〇〇の撃滅であるっ!」


 尖ったヒゲをツンツンと揺らし、ホフマン中佐は地図を指揮杖で強く叩く。ずいぶんな気合の入りようだ。どうやら、この作戦で大佐昇進と特設旅団長への出世が約束されているというのは本当らしい。


「我が方の兵力は合計で三〇〇〇! この戦力差! これは敵を叩く戦いではない! 我が方の被害をどれだけ抑えられるかの戦いなのだっ!」


 奇遇だな。私もそう思うよ。これは被害をどれだけ抑えるかという戦いだ。――想定している被害の桁は違うだろうがね。


「明日よりエンゲルハルト山に入る。ルートは南側だ。ここには以前まで使われていた鉱夫のための山道が残っている。整備はされておらぬが、馬車でも通ることができる。しかし、旧坑道がなくなると道も狭いものになる。おそらくは山の中腹で輜重しちょう隊の侵入は限界を迎えるであろうっ!」


 この予想は当たる。旧坑道がなくなる辺りで道幅は急激に狭くなり、輜重しちょう隊の馬車は侵入できなくなり、その場に残ることとなる。


「我らはここより一気に敵拠点を目指して前進する! その日のうちに敵軍と接触し、これを正面から撃滅する! どうだね、諸君っ!」


 尖ったヒゲを指で摘んで、さらにピンと尖らせながら、ホフマン中佐は自慢げに会議室中を見渡した。


「はい、ホフマン中佐殿。すばらしい作戦と存じます」


 大した作戦ではないと思うが、私はそう褒めた。


「ほう。君は……噂の新英雄エルマ少尉か。よくわかっているではないかっ!」

「ですが、一点懸念がございます」

「む……何だ? 言ってみよ」

「はい、ホフマン中佐殿。この作戦には、旧坑道への警戒がありません。隠れ潜んだ敵軍があれば、我軍は退路を失うことになります」


 会議室がにわかにざわめく。もっともな話だ。一介の新米少尉が大佐の座に就こうとするベテラン中佐に意見したすれば、そうもなる。こんなこと、二度三度とやれることではない。


「ははは、それは気にし過ぎというものだ。巧遅が過ぎれば敵に撤退を許す。旧坑道をいちいち確かめるわけにもいかないだろう?」

「はい、ホフマン中佐殿。ですが、兵力には余裕があります。後方の警戒に多少の兵を割いてはいかがでしょうか?」

「エルマ少尉、君の優しい気持ちはわかる」


 ヒゲを尖らせ終えたホフマン中佐は、とても優しい声を出した。


「だが、前線でひとりを守るために必要な兵員はひとりではない。十分な兵員があっても、あとひとりの兵があれば同胞を守り切れた――そんな場面も多々あるのだ。決戦の時に休ませていい兵などひとりもいないのだよ」






 いや、そういう話ではないのだが。






 私は、後方のリスクを減らすために、後方にも兵を回せと言っているのだ。遊兵を作れと言っているのではない。


「それに、そこには輜重しちょう隊が残る! 仮にも帝国の兵である彼らが後方を見張っていれば、工作員など近寄れもせん! 安心するがいいっ!」


 ああもう、輜重しちょう隊を戦力として計算するんじゃない。前世では、敵が近寄れないどころかボッコボコにやられたんだよ!


「はい、ホフマン中佐殿。安心しました」

「うむ。よろしい! それでは、詳細を詰めていくぞっ!」


 もはや、どうにもならない。私にこれ以上の発言権はない。軍の行動そのものを変えるには、私の地位が低すぎる。

 人の目に触れぬようテーブルの下に隠して、私は無言で手を握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る