第27話


 あれから十年。

 いや、十日も経ってないかもしれない。


 オレは、硬いベッドから這い出した。


 白い壁。白い天井。白い床。部屋の隅に便所。あとはベッドと、それに備え付けられた机。


 扉に空いた窓と、対面の壁に空いた窓。どちらも鉄格子が嵌っている。


 壁の窓のほうから、風に乗って、花弁が入り込んできた。なんという名前の花だったか。


「オレさん」


 名前を呼ばれる。

 幻聴だろうか。一応扉を見る。


「オレさん」


 鉄格子の向こうに知っている顔があった。


「オレさん、ああ、気付かれましたか」


 ダーレンの声が響く。


「ここから出してくれ」


 オレはかすれた声で願う。


「離れがたい家族と離れ離れになり、苦しんでいると思います」

「ここから出してくれ」

「あなたの息災を祈ります。今日はそのために来たのです」

「ここから出してくれ」

「この施設での生活は、必ずあなたを正気に戻してくれます。本当の家族の元へと帰れるように。あなたによき終末があらんことを」


 ダーレンの言葉は終始、柔らかかった。




 オレは、硬いベッドから這い出した。


 白い壁。白い天井。白い床。部屋の隅に便所。あとはベッドと、それに備え付けられた机。


 扉に空いた窓と、対面の壁に空いた窓。どちらも鉄格子が嵌っている。


 壁の窓のほうから、風に乗って、花弁が入り込んできた。なんという名前の花だったか。


 ここは幸福だ。

 作られた幸福。




 部屋から出された。

 剃ることもできなかった髭もそのまま、オレは馬車で護送された。

 裁判所の天井は優美な細工が施されている。俺はそれを目で追った。


「  転生者  異世界   」


 裁判の内容は頭に入ってこない。


「      妄想 現実  」


 誰が何を言ってるのかもわからない。


「   矯正   不能   」


 席に座ったまま、ぼんやりと天井の細工を見つめていた。


 そうしたまま、三分……いや、五時間経っただろうか。時間の感覚もわからなくなっている。

 ようやく意味の分かる言葉が現れた。


「ジョン・アースディン」


 家督を継いだために改名できなかったその名は、母の名だ。母が証言台に立つ。


「オレ・アースディンは私の実子です」

「あなたは旧家督制度の名残で男として記録された経歴がある。事実今から18年前……あなたが20歳になった時、制度改正と共に性別を変更した」

「そうです」

「問題はその後です。12年前、オレさんが市民登録された年に満18歳として士官学校へ入学した。あなたは8歳でオレ氏を出産したと言うのですか?」

「………オレ・アースディンは私の実子です。転生者ではありません」


 母は無理のある嘘を続けた。オレは転生者だ。

 それは覆らない。

 俺はこの世界の人間ではないし、この国の民ではない。よそ者だ。


「弁護人、発言を認めます」


 その言葉も意味が分かった。

 分かったが、それが誰を指すのかはわからなかった。

 天井の細工が柱に続いている。それを辿っていくと、大きな手が挙がっているのが見えた。


「オレ・アースディン氏は嫡子であるかにかかわらず、すでにこの国の民だど」


 立ち上がると余計に、その男は大きかった。


「民であるからには、その意志は尊重されるべきだど」


 たどたどしいが、力強い言葉が続く。


「本当に正しいことをする、だど」


 沈黙。

 また、聴こえる言葉は不明瞭なものになった。

 ハンマーが叩かれる。


「――原告オレ・アースディンを仮退院とする。これは原告の記憶を取り戻すための解放であり、施設側はこれを監督し……――」






 裁判から翌日。

 いや、一年かもしれない。


 風に乗って、前見たのとは違う花弁が入り込んできた。

 伸び放題だった髪を整えられた。髭は自分で剃る。少し考えて、顎先にわずかに残した。


 白い部屋を見渡す。

 ここに居ることは幸福だった。しかし、俺には必要ない。


 部屋から出された。

 傍らに、大きな気配がある。


「おかえりなさい、だど」


 大きな気配が言った。


 公園でアンナに出会った。彼女の髪には芝生は絡まっていないし、分厚いコートで膨れていた。以前よりも落ち着いた雰囲気を纏っていた。


「わたしは故郷へ帰ります。西街のコルトの娘としてやらなければならないことがありますので」

「それは」

「本当に正しいことです」


 アンナは自分の胸に手を当てた。


「わたしは新たな宗教を立ち上げます。この世の全てを受け入れ、感謝し、愛する教義です。天啓に頼ることなく、自分で考えました。その第一歩として父母への感謝を伝えようと思います」


 オレは頷いた。


「いい教えですね」

「でしょう?」

「ついていってもいいですか」


 オレはアンナにたずねた。


「ローズは寒いですよ」

「ど、どのくらい?」

「途中でコートを買っていきましょう」

「旅の準備をしてくるど。ご主人様と外門で待っていてほしいど」


 大きな気配が言った。


 オレは、アンナと外門まで歩いた。コートが暑いのか、少し汗をかいていた。


 門扉は開いている。壁に背を預けたアレスがいた。松葉杖はもうついていない。

 オレはアレスの前で立ち止まる。


「……なんだよ」

「一緒に来るか」

「なんで行かなきゃならないんだよ。お前と違って俺はな」

「今のままじゃ会えないだろう、あの子に」


 少女の怯えた目を思い出したのだろう。アレスは舌打ちをする。


「別に会えなくてもいいんだよ。生きてれば」

「それでも話せるようにはなったほうがいい。距離と時間が解決してくれることもある」

「お前が勝手に決めるな。独善的なんだよ。あのなあ、俺はあいつを頼むって言ったはずだ」

「オレには無理だ」

「またそれか」


 オレたちの会話にアンナがケホ、と緊張した咳をした。

 急にあたりが暗くなった。大きな影がオレたちを覆ったのだ。


「奴隷法はなくなったど。ソレイユさんが見てくれてるはずだど」


 到着した大きな気配が言う。


「悩んでいる時に、旅はいいものだど」

「………」


 アレスは黙ってしまった。

 そして、もたれかかっていた背中を離した。 


 ヒャン。


 甲高い、少しかすれた声がした。


 大きな気配のほうを振り返る。腕にずっと抱かれていたのだろう。ふわふわした毛玉が見える。


「モフ」


 自分の記憶を確認するように、その名を呼ぶ。

 ヒャン。もう一度モフが鳴く。彼が赤い舌を出すのを見て、視線を上げた。


「オデ」


 オレは、彼の名を呼ぶ。




  ◆




 ソレイユ・フリーマン・トライデンは旅支度を終えて、預かっている少女にエルフの言葉で話しかけた。


『では、行きましょうか』


 彼女は無反応だった。耳当ては切られた耳を隠している。


「………」


 ソレイユは無抵抗な手を引いて、愛する娘たちの部屋へと向かった。


「支度は終わりましたね」


 双子の姉妹、コレットとドレシアはスーツケースと格闘している最中だった。収まりきらないぬいぐるみを抜き取って、ソレイユはスーツケースを綺麗に閉じた。

 娘たちは今年で12才になる。


「お菓子の家へレッツゴー」

「いいえドレシア、戦場へよ」


 娘たちに向かって、ソレイユは改めて旅の目的地を伝えることにした。


「エルフの森へ、ですよ」



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