第15話


 18歳で死んだ俺は丸裸同然で、『転生者の地』と呼ばれる泥沼に落とされた。

 周りには助け出されなかった同輩、それから生まれ変わりを期待して来た現地人の死体が転がっていた。


 ステータスウインドウなんてものはなかった。

 チート能力も、何も、なかった。

 オレには、何も与えられなかった。


 女神には出会った、しかし、オレの女神は憤怒の表情でただ一言、


『己の罪を呪うがいい』


 そう言ったのだった。


 死を待つばかりだったオレを拾ったのは、アースディン家の貴族たちだった。


 清潔な服を着せられた。

 言葉を教えられ、貴族としての振る舞いを徹底的に叩き込まれた。

 なぜオレにこんなものを与えるのかと尋ねると、


「我が家には跡取りが必要です」


 ココ・シガーに出会ったのはそれから三か月後だった。

 なにもわからないまま、許嫁として彼女と婚約指輪を交換した。

 ココは頬を染めていて、


「よろしくお願いしますね、オレさん」


 なぜオレに微笑みかけるのかわからなかった。


 アースディンは古くから続く代議士の家柄だった。軍人として成り上がったシガーが欲しいのはその家柄の後ろ盾で、アースディンが欲しいのは新しい血で、実にわかりやすい政略結婚だと母は自ずから言った。


 士官学校に通うことになり、そこでアレスに出会った。

 奴はオレを目の敵にしてことあるごとに勝負を吹っ掛けて来た。


「転生者様の実力を見せてみろよ」


 オレには何も与えられてない。勝負は全てオレが負けた。


「馬鹿にしてんのか?」


 オレは悔しいとも思えず、ただただ申し訳なかった。




 日々を過ごした。ただ与えられた役割をこなすために。

 オレにはそれしかなかったから。




 士官学校を卒業した日。母が体調不良を訴えて医者にかかった。


「奥様、ご懐妊されています」


 医者の一言に母は何も答えられず、父の胸に顔を埋めて泣いていた。

 それがなんの涙だったのか。


 弟はカールと名付けられた。


 非嫡子で転生者であるオレは、与えられた役割すら遂げられなかった。




 オレには何もできない。

 一人の奴隷の少女すら助けられない。




「オレさん」


 ココがオレの手を取る。

 オレの意識を、彼女の手が引き戻す。


「オレは最低な人間です」


 オレは正直に言った。


「婚約を解消するために浮気をするつもりでした」

「それは成し遂げられなかった。あなたにはできなかった」

「シガー家のためにはならない」

「家を出ると父には言いました」


 ココは息を吸う。


「私は諦めませんから」


 今は怒りで頬を染めて、ココはオレを見つめる。


「私は、あなたが良いのです。あなたがどんな人間でも、たとえカールさんが幼子でなくとも、私はあなたと添い遂げたいのです」


 ココがオレの手を握ろうと、持ち上げる。

 オレは、彼女の手を、そっと、外した。


「やめてください。それでは、あなたは不幸になる」

「かまいません」


 ココの目は涙をこらえていた。


「どうして、逃げるのですか?」


 ココの背後に、門の向こうに、見覚えのある顔があった。


「……お取込み中のところすみません」


 アンナだった。チラシの束を抱えている。


「ええと……ですね……、お店が移転するので……そのお知らせに」

「……あっ、はい、わざわざすみません」


 オレは門の方へ向かう。

 シャツが引っ張られる。


「………」


 振り返るとココが頬を膨らませていた。


「大事な話、してましたわよね?」

「馴染みの店の移転も、大事な話かと思って」

「逃げるのですか?」


 ヒャン。モフが駆け寄ってくる。

 張り詰めた空気がほどけていく。


「パンなんてどこで買っても同じでしょう!?」


 ココが叫んだ。


「なっ……なな、な、なんて無礼な!」


 アンナも叫んだ。


「我がステラ工房が誇るパンの滋味深さを知らないのですか、あなたは! ステラ様に、いや、パンに謝ってください!」

「なにを訳のわからないことを! 利用されそうになってたのも知らずにのこのこ男の家に上がり込んでいた人なんかに……!」

「そそそ、それは、しかたなかったんです! ぜんそくの発作が……」

「病弱アピールでごまかさないでくれません!?」


 ヒャン、ヒャン。掴みあう淑女の周りをモフが走り回っている。

 オレは紅茶を淹れ直した。


「紅茶なんて淹れてる場合!?」


 ココが靴を投げた。オレの頭の横をかすめる。


「あなたの態度がすべての原因ですのよ!?」

「オレは最低な人間だと言ったでしょう」


 沈黙が訪れる。


「オレに関わってしまったことが間違いだった。埋め合わせるだけの能力もオレにはありません。どうぞ、二人とも諦めて、帰ってください」


 二人の淑女は顔を見合わせて、それから席に着いた。


「帰ってください」


 オレはもう一度言う。


「最低な人の言う事なんて聞く必要ありません」


 ココが頬杖をつく。


「落ち込んでる人を見て放っておくなど、教義に反します」


 アンナが焼き菓子を摘まむ。


「シスターはやめたのではありませんの?」

「今のわたしは小麦の女神ステラ様に仕える信徒です」

「そんなにもおいしいのかしら」

「一度試食にいらしてください。そういえば知っていますか? 常連さんから聞いたんですけど……」

「あら……」


 オレを無視して二人は会話を続ける。




 そのまま夕方までお喋りは続いた。


「あはは! あーあ、おかしい。もうこんな時間ですのね」

「続きは明日にしましょうか。ではまた、ここで」


 勝手にオレの家を集合場所にされている。

 モフと遊んでいたオレを一瞥して、二人は門へと歩いていった。


「まったく、仕方のないご友人ですこと」

「あなたも、ひどい婚約者を持って大変ですね」


 オレは立ち上がる。

 門の前でココが振り返った。


「説得なんかより、明日のパンのことでも考えたほうが建設的でしたわね」


 そう言って、馬車に乗り込んだ。




 オデが窓から顔を出した。


「恐ろしかったど」

「そうだな」


 オレは同意する。


「でも、仲良くなれたようでよかったど」


 オレは頷いた。


「ご主人様は最低ではないど。オデと居てくれるし、おいしい料理も作れるんだど」


 オレはオデの顔を見上げた。


「なぐさめてくれてるのか?」

「事実を言ったまでだど」

「………」


 オレは、自分の顔を叩いて、夕食の準備に取りかかった。

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