第8話
昔々、森が焼けたある夜。
人買いがエルフの子供を買い取った後だった。
オークが現れ、人買いに語り掛けた。
『なにをしているど』
『見てわからねえのか。冷やかしなら消えな』
オークの巨体に対しても人買いは横柄に答えた。
『そんな仕事をしなければ生きられないなど哀れだど。これをくれてやるど』
オークは銀貨の入った袋を人買いに投げよこした。
人買いは受け止めたが、すぐに顔をしかめてオークに詰め寄った。
『こっちも商売でやってんだ。オークなんかに施されたくないね』
突き返すと人買いはエルフを連れて行こうとした。
『わかったど』
そのオークは頷いた。
『その子たちを買い取って、オデを売るど』
オレは独りで朝食を食べ終えた。
この時間まで寝ているなどオデには珍しい。
オレは二階に上がって、彼の部屋の扉をノックした。
「開いていますど」
「体調でも悪いのか。モフも心配しているぞ」
扉を開くと、ベッドに座ったまま窓の外を見ているオデがいた。服は着ていない。
「なんでもないど」
オデは立ち上がり身支度を始めた。
オレはルノボグ教会を訪ねた。
「ああ、来てくださったのですね!」
アンナはなぜか入り口の端で縮こまっていた。オレはその手を取って立たせる。
「ルノボグ様の思し召しです。きょ、今日は読書会があるんです。この世界にルノボグ様の教えがいかに浸透しているかを確認する尊い催しで、わ、わたしも、一冊持って来てて」
「入りましょうか」
「はい! はい、行きましょう!」
アンナは自分の震える膝を叩いて、教会に入った。
「遅刻ですよ、アンナさん」
メガネをかけた司祭が彼女の名を呼ぶ。それに合わせて信徒たちの視線がアンナとオレに集中する。
息が上がって来たアンナの背をオレは擦る。
「そちらの方は?」
「……っ……その」
「オレ・アースディンと言います。この教会の活動に興味がありまして」
司祭は穏やかな笑顔で、しかし鋭い視線のまま頷いた。
「門戸は正しき心を持つ者に開かれています。あなたの目が曇らぬよう、我々も尽力しなくては。ね、アンナさん」
「ひゃいっ、じゃなくて、はい!」
読書会がはじまった。
信徒の一人が立ち上がり、冒険小説のあらすじを紹介する。
「……と、私はこちらの小説を読んで大変感銘を受けました。この作者はルノボグ神話に強く影響を受けてると言えるでしょう」
「アンナさん、今の解釈についてどう思いますか」
アンナは怯えた目で司祭を見ている。
「ええと、え、と」
「なにもなければいいんですよ。無理はなさらず」
「…………はい」
アンナから視線を外して、司祭は信徒たちを見渡して言葉を続ける。
「ルノボグ神話の訴求力は一度読めば明らかではありますが、このようにエンターテイメントに昇華することもあるのですね」
メガネを直して司祭は頭を振った。
「しかし、この『転生者』という主人公の設定は荒唐無稽に過ぎるように思います」
「はっ、申し訳ありません」
「いいんですよ。娯楽小説は人を楽しませるためにあるのですから」
読書会は滞りなく、しかし司祭の言葉に支配されながら進んでいく。
「アンナさんの番ですよ」
「ひゃ、はい、その、わたしが紹介したいのは詩集でして」
アンナが鞄から本を取り出した。小さな花模様で装丁された表紙が見える。
突然、司祭が噴き出した。その笑いに釣られるように、信徒たちが声を上げて笑う。
「失礼、やはりご婦人はかわいらしい詩集が好きなのだと思いまして、続けてください」
司祭が言った後も、アンナは床を見つめていた。聴こえない声で何かを呟いている。
オレはアンナに話しかけた。
「アンナさん、気分が悪いようなら出ましょうか。司祭様、よろしいですか」
司祭はメガネを直し、頭を振った。
「無理はなさらず、アンナさん。あなたには難しいようですから」
オレはアンナの手を引いて教会の外へ出た。
アンナの声がようやく聞こえるようになった。
「わかっているんです。わかっているのに、わかっているんです。わかっているのに……」
アンナは両手で自らの顔を覆う。
オレは黙って彼女の側に立っていたが、やがて独り言のように言った。
「ルノボグ様の物語をあのように解体して、本当に教義を伝える気があるんでしょうか」
「それです!!」
アンナの叫びが通りに響き渡る。
オレは少しのけぞり、彼女は顔を覆ったまま壁に向かう。
「それにご婦人だからといって偏見が過ぎる。年相応なのかも知れないが」
「それです」
「嫌ですよね」
「いいえ、悔しいのです、わたしは」
アンナは壁に頭をつけたまま、言った。
「強くなりたいのです」
オレはただ、彼女の側に立っていた。
「わたしは大丈夫です。オレさんは読書会に戻ってください」
「やめておきます」
オレはアンナの手を取った。
「お家はどこですか」
シスターにその質問もないだろうと、オレは後から思った。
教会裏の寄宿舎までオレはアンナを送った。
「そういえばオデは、なんで売られていたんだ?」
オレはローストビーフを切り分けながらオデにたずねた。
「お話しするほどの事ではないど」
オデは話をはぐらかす。
二人はしばらく無言で食事を続け、食器のぶつかる音とモフの咀嚼音だけが部屋に響いた。
「ご主人様は気になるど?」
「気にはなるだろう。オークが売られているなんて……」
オデが席を立つ。
「ごちそうさまでしたど」
オレは何かを間違えたらしい。そう思いながら一人食事を続けた。
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