第3話


 モフが床に伸びて寝転がっている。

 確かに、今日は暑いかもしれない。


「水浴びでもするか」


 ヒャン、とモフが起き上がった。

 庭に出る。伸び放題の庭木をかき分けると、藻だらけになった噴水が発掘された。

 その掃除をしていたら、オデがやって来た。


「ご、ご主人様は座っていてくださいど」

「いいや、モフのためだ。オレがやる」


 デッキブラシの取り合いになったらオデの腕力にはかなわない。

 隙を見てバケツで古い水を掻きだす。

 オデは高いところの藻を払い落としていく。オレも雑巾を手に取り、石を磨いていく。モフがはしゃいで走り回る。

 結局二人がかりで、噴水を復旧させた。

 我ながらピカピカに磨けた。オレは自画自賛する。


「水流すぞー」


 噴水のスイッチを入れた。

 白い大理石から水が勢いよく噴き出す。

 人工の雨に打たれてオデとモフが駆け出す。

 ヒャン、ヒャン、ヒャン、とモフが噴水の周りを回る。


「ご主人様」


 声と同時にオデの頭がオレの足の間に入った。と思うと、一気に視線が高くなった。

 オデに肩車され、噴水の天辺から直接水を浴びて、オレは笑った。






 呼び鈴が鳴った。

 オレはオデの肩から降りて、門に向かう。


「ごきげんよう」


 母だった。

 一頭の馬が門に繋がれている。


「こちらの方は?」


 オデを見て、母は訊ねた。


「ああ、彼はオデだ。友人だ」


 人買いから買ったとは言えない。


「そうなの」

「今日は暑いからね」


 オレは全身をタオルで拭いて着替えると、紅茶を淹れてクッキーと一緒に出す。


「奴隷制度の廃止について今日も討論して来たの。頭の固い元老院を変えるまで、何度だって立ち向かうつもりよ」


 母は、扇子で自分をあおぐ。


「そうか」

「あなたは見たことないでしょうけど、今でも路地を少し入ると人買いが裸同然の少女を連れて練り歩いているの、あんな地獄があったなんて……」

「そうか」

「嫌な話をしてごめんなさい。どれほど時間がかかっても私は成し遂げてみせる」


 母はオレの手を取った。


「でも、そうやっている間にも死んでいく奴隷がいる」


 オレは意を決して、自分の母に、意味のある言葉を発した。


「え?」


 母の目は見れなかった。


「お母さん、あなたは正しい。だけど、根本的な手立てと、早急な手立てと、二つの方向から助けを必要とするんじゃないかって、奴隷として売られる彼等にはね。そう思ったのさ」

「……ねえ、どうかしたの?」


 母は俺の額に手を当てた。


「買う人間がいるから奴隷商が蔓延るのよ。私たちにできる第一の手立ては買わないこと」

「真実はそれだけじゃない。明日のパンさえ買えない人間が我が子を売る現場を、お母さんは見たのかい」

「そんな、だけど、あなたも自分の面倒は自分で見れるって」

「買ったんだよ」

「え……?」

「買ったんだ。人買いから。彼を」


 庭でモフと一緒に身体を乾かしているオデを見ながら、オレは席を立った。


「溜めていた金を使った。全員は無理だったが、一人でも救うために」

「あ、あなた、そんなことのために」

「人一人の命だ。高いも安いもないだろ」


 母は言葉に詰まり、庭に降りて、そのまま門まで歩いていった。


「援助を打ち切ります」

「喜んで」


 庭に出たオレは答えた。

 母は、外につないでいた馬に跨り本家へと帰っていった。


 家を振り返る。

 オデがこちらを見ていた。


「すまん」


 頭を下げる。


「謝らないで欲しいど」


 オデはしょぼくれた、しかし優しい声で言った。





 オデが降ろしてきた家具の中から、オレは使えそうなシーツを見繕って洗濯した。

 それから、埃をかぶっていた裁縫道具を出してきた。


「どうするんだど」

「服を作るんだよ」


 オデの身体にシーツを巻いて肩のあたりをピンで留めてみる。

 少々古風だがらしくはなった。針に糸を通す。


「さ、裁縫ならオデがやるど」

「いいから」


 オレはそれだけ言った。


「……あ、ありがとうだど」


 オレは母親に言ったようには言えなかった。オデを友だとは。

 オデはすこし言いよどんでから、頭を下げた。

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