第2話 柚野愛歌




 柚野ゆの愛歌あいか

 俺のファーストキスを奪った女はそういう名前だった。


 あの後、本当に広間から摘み出された少女は、召喚された勇者だけあって、即座に処刑されたりはせずに、別室に幽閉された。

 無論、手荒な真似を企む輩はいない。


 王太子であり、被害者の俺が処罰を下していないのに、下々の人間が勝手に判断し、制裁を加えるなど、それこそ不敬の対象だからだ。


 それに見方を変えれば、俺は『恩赦を与える代わりに、指示に従え』と命令する建前を手にした事になる。

 それを実行するかどうかの政治的な決断は、やはり上の人間が行うべきもので、下の人間が判断するものでは無い。


 結果として、現状のところ、彼女の安全は担保されていた。

 尤も、今後の処遇に関してはこれからの交渉次第だったのだが、


「うん、分かった。君の指示に従うよ。」


彼女は、あっさりとこちらの要求を受け入れてしまった。


 余りにも歯応えが無いので、俺は訝しげに片眉を上げ、疑るような視線を向ける。


「ユノと言ったな。自分が言ってる意味が分かってるのか?事と次第によっては、戦争に行くかもしれないんだぞ?」

「勿論、理解してるさ。それでも君の役に立てるなら、万々歳だよ。というか、君の方こそ良いのかい?私の身の安全を心配なんてして。」


 思わぬ正論が返ってきて、俺は鼻白む。

 図星だったからだ。


 交渉人としては、ユノの言葉がかんに障る、障らないに関わらず、交渉の目的を果たしたのなら、それで満足すべきだ。

 敢えて挑発的な一言をして、相手を刺激する理由など何処にも無い。

 有るとするのなら、それは俺自身の私的な感情によるでしかない。


(どうにも俺自身が思ってるよりも、キスというものを俺は重要視していたみたいだな。)


 胸に巣食う反発の意志の正体を悟り、俺は自戒の念を込めて瞑目する。

 次に目を開けた時、俺に惑いはなかった。


「分かった。今回の無礼は不問に処そう。」

「そういう言い方されるとちょっと傷付くんだけど。」

「犬に噛まれたと言われるよりマシだろ。」


 諧謔かいぎゃくを交えると、ユノは「それはそうだ」とあっけらかんと笑った。

 先の事は兎も角として、話が通じないという訳でも無いらしい。


「さて、新しい同胞を何時までも監禁している訳にもいかない。君の部屋へと案内しよう。」


 俺は椅子から立ち上がり、移動を促す。

 この部屋は牢獄ではないが、人を監禁していたという事実は変わらない。

 加えて、会議室だ。寝泊まりするのに向いていない。


 ユノを伴って、白を基調とした優美な内装の施された廊下に出る。


「歩きながらで悪いが、今後の予定について話させてもらう。」


 ほぉと感嘆の息を吐き、周囲を見回していたユノの気を引くようにおもむろに口火を切る。


「さっきも言ったが、明日は君達全員に『神器』に対する適性試験を受けてもらう。」


 『神器』とは、かつて天界や地上に君臨した神々や英雄、霊獣の力が込められた武具や防具の事だ。

 凄まじい力を内在し、文字通り、振るう者に神の如き権能を与える。

 大地を揺らし、海を割り、天空を制することさえ、『神器使い』には不可能ではない。


 もっとも、その代価なのか、使用者には適性が求められるが。


「適性の有無によって進路とか、待遇とかって変わったりするのかい?」

「その一面は否定出来ない。」


 こういう言い方をするのも酷だが、玉と石を同じ扱いにする事は出来ない。

 不公平と言えど、優れた資質を持つものが優遇されるのは、社会の常である。


「とはいえ、適性の有無に関わらず、学校に通ってもらうことになるし、その間の生活の保障は行う。」

「学校?」


 彼女は、彼女の級友らとまるで変わらぬ反応を示す。

 こういうところは普通なんだな。

 意外そうに目を丸くするユノに、俺は流し目を送り、横顔に微笑をたたえた。


「意外か?」

「うん、まぁね。そうか、こっちにもそういう施設があったんだ。」


 後半部分を小声で囁きながら、鋭利な顎先を何度か縦に揺らし、訳知り顔をするユノ。

 その姿は古い記憶を掘り返しているようにも、強がっているようにも見える。


「神器を使えると言っても、使いこなせなければ、敵の神器使いに討ち取られるだけだからな。相応の訓練を積んで貰う必要性が有る。適性がない人間に関しても、手に職をつけてもらった方が、こちらも職を紹介しやすい。」


 加えて、どういう人材が召喚されるか、分からないから、取り敢えず、学校にぶっ込んでおけ、という予定の組みやすさの側面もあった。


「何より先ずは一般常識を学んで貰わなければな。いきなりキスなんてされたら、どんな仕事だろうと支障をきたす。」


 俺が肩を竦めておどけると、彼女は拗ねたように唇を尖らせた。

 当て擦った訳では無いが、このくらいのジョークは許して貰いたいものだ。

 でなければ、俺のファーストキスが余りにも報われない。





 それから程なくして、召喚した勇者達に割り当てられたフロアへと辿り着く。

 そこではユノの事を心配していた複数の人が待機しており、ユノの姿を見るなり、あっという間に連れ去ってしまった。


「ご歓談を随分と楽しんでおいででしたね。」


 ユノと別れて、廊下の角を一つ曲がると、薄桜色の髪の美人が佇んでいた。

 とはいえ、俺やユノとは異なり、直人ヒューマンでは無い。

 側頭部から2本の黒角を、腰からは細長い尻尾を生やす人種、夢魔族サキュバスだ。


 尤も、それ以外の部分は直人と変わらない。


 美麗な石膏像を彷彿とさせるくっきりとした目鼻立ちも、女性的な起伏に富んだ豊満な肢体も、夢魔族だからと言って、何ら損なわれる事はない。


「盗み聞きとは感心しないな、アイリス。」

「殿下をお守りする為には致し方ない事です。幾ら貴方が王国随一の『神器使い』であるとはいえ、万が一ということがありますから。」


 苦言に対して、アイリスは慇懃いんぎんに言葉を返す。


「実際、ユノという女性に唇を許す不覚を取ったわけですし。」


 その上、こちらの反駁さえ封じてしまった。

 咎めるような翠玉すいぎょくの双眸に、俺はらしくなくたじろぎ、「うぐっ」と呻き声を上げる。


 あれは紛れもなく俺の失態だった。

 普段であれば、あのような暴挙を許すことは無いのだが、何故かは知らないが、あの時の俺は彼女をまるで敵だとは認識していなかった。

 とはいえ、そんなものは何の弁明にもならない。


「悪かった。繰り返さないように気を付ける。」

「いえ、これからは私が防ぎます。」


 にべもなく提案を退けるアイリス・カリスト。

 瞳の奥に熱い炎が幻視されるほど、気炎を燃やしているのは、きっと主君の為なのだろう。


 断固たる姿勢を取るアイリスに俺は苦笑いを浮かべた後、ゆっくりと歩き始める。


 随分と締まらない結果になったが、何はともあれ賽は投げられた。

 勇者一行が有用か、無用かの如何に関わらず、もう後戻りなど出来ないのだ。

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