第6話 婚約者



《アイリス視点》



 勇者召喚から2週間が経過した頃、私やルシウス殿下は、一時の休暇を手にしていた。

 不安に満ちた勇者達も、こちらの生活に慣れ始め、生活にも安定感が出てきたので、過度に干渉する必要が無いと判断しての事である。


 そこで、私と殿下は久しぶりに墓参りに行く事にした。


「少し間を置いてしまったか。」


 キャメロン王宮の庭園を歩きながら、ルシウス様は穏やかな声で仰った。

 精悍と端麗を兼ね備えた凛々しい横顔に微笑をたたえ、涼しげな目元を柔らかくする。


 理知的な光を宿す黄金の双眸は、庭園の通路を飾る色とりどりの花々に向けられているが、殿下はそんなものを見ている訳では無いのだろう。


 彼は現在を通して、遠い日の記憶の残照をご覧になっておられるのだ。


「お前も最近、忙しくさせて悪かったな。少しでも多く、主の元に足を運びたかっただろうに。」


 振り返る首の動きに合わせて、王冠を彷彿とさせる黄金の髪が揺れる。


「いえ、私などが参るよりも、殿下がいらしてくださった方がセレノア様もお喜びになられますので。」

「関係ないと思うがな。あれは忘れないでくれるだけで十分などと言う類の人間だから。」


 確かに。

 心の中でひっそりと同意した。

 私の主君は、そのような心優しき御方だった。

 孤児であった私を拾い、家族として迎えてくださった御恩を、私は生涯、忘れる事は無いだろう。


 現在は、セレノア様の婚約者であらせられたルシウス殿下にお仕えしてはいるものの、忠誠心は未だセレノア様に捧げているつもりだ。

 尤も、今もセレノア様がいらしたのなら、私を勘当なさったかもしれないが。


 通路を抜けると、日当たりが良いだけの何の変哲もない庭へと出た。

 そこにいた人物に、私は思わず顔を顰めた。


「あれ?こんなところで会うなんて奇遇だね。」


 ユノ・アイカだ。

 不埒にも殿下の唇を奪い、以後もストーカーのように付き纏っている卑しい女が、セレノア様の墓の前で晴れやかに笑って、殿下に手を振っている。


 夢魔族サキュバスの身体的特徴に忠実に従って育った豊かな胸の下で、嗔恚の炎が灯った。

 或いは、八つ当たりなのかもしれないが、この場において、絶対に見たくない人物だったのは、変わらない。


「気持ちは分かるが、取り敢えず、顎を引け。」


 殿下は苦笑交じりに、命令した。

 どうやら無意識に顎を上げて、人を見下すような態度をとってしまっていたらしい。

 屈辱と内省を噛み締めながら、殿下の指示に従う。


 すると、殿下は「それでいい」と言うように満足気に頷き、ユノの方に振り返る。

 そして、少し強ばった声で尋ねた。


「どうしてここに?まさか先回りしてたんじゃないだろうな?」

「流石にそこまでしないさ。庭園を歩いてたら、日光浴に丁度よさそうな場所を見つけたから、お気に入りの場所にしてたんだよ。」


 「でも、先客がいたみたいだけど」と墓石へと一瞥を向ける。

 その時の彼女の瞳には、喜びと寂しさが入り交じった不思議な色合いが反射していた。


 しかし、こちらへと視線を戻した時には、その色も既に消え、彼女は普段と変わらぬ様子で、ずけずけと問いを投げる。


「誰のお墓なんだい?」

「俺の婚約者だ。」


 殿下は、文字を指でなぞるように丁重に仰られた。

 僅かに目を見開いて驚愕を露わにしたユノは、「へ、へ〜」と取り繕ったような生返事をする。


「婚約者とかいたんだ。」

「王太子だからな。それより退いて貰って良いか?」

「う、うん。」


 ルシウス殿下は、狼狽するユノの隣を横切って、白百合の花束を墓標の前に捧げる。

 恐らく、後の事とは庭師が良くしてくれるだろう。


「こっちでも、百合の花をお供えする習慣ってあるんだね。」

「いや、単にセレノアが好きだっただけだ。」


 訂正を入れた後、ゆっくりと身を起こし、殿下は言葉を紡いだ。


「だから、昔、ここの庭園の花を全て、白百合の花に変えようとしたことがある。まぁ、成功することは無かったが。」


 在りし日の事をそれは、愛おしそうに振り返る殿下を見て、私は咄嗟にユノの方を盗み見た。

 そうする事で、心の底から安心しようとしたのだ。

 醜い嫉妬を抱えるのは、私だけではない、と。


「そっか。じゃあ、その子の事がとても好きだったんだ。」


 しかし、彼女は激烈な嫉妬の感情など欠片も見せず、穏やかな様子でそう返しただけだった。

 それによって、私の自尊心は二重に傷付けられた。


 女性としての器量が彼女に劣ること。

 咄嗟とはいえ、私は忌むべき相手さえたのむ心の弱い女であること。

 二つの事実が私の心臓を挟み込んで、押し潰していく。

 その苦痛を周囲に悟られぬように、私は息を殺し、人知れずスカートの端をキュッと握った。


「・・・・・残念だが、俺にその言葉を言う資格は無い。」


 そして、そんな不忠者である私を殿下は無意識に誘惑するのだ。


「俺は彼女に貞節を誓えないのだから。きっと少なくない女と体を交える事になる。」


 首を横に振って、運命を受け入れたような表情する。それでいて、彼の双眸には毅然と現実に抗う覚悟の光が瞬いていた。


 王太子である殿下には血を残す義務がある。

 王国を維持する為に、かつての神王の血を後世に残す為に、より多くの『神器使い』を将来、獲得する為に。

 そうして、私に希望の光をちらつかせるのだ。もしかすると、セレノア様への愛の一欠片でも恵んでもらえるのでは、と。


「だから──いや、これ以上は言うまい。」


 それは、ユノを誘惑しようとしたのか、はたまた思い留めるように説得しようとしたのか、何方にせよ殿下は全てを伝えること無く、途中で言葉を飲んだ。

 そして、私の方へと一瞥を寄越した。


「俺はこれで戻るが、お前はどうする?」

「・・・・・もう少しだけセレノア様と一緒にいさせて頂けますか?」

「好きにするといい。今日は折角の休暇なんだから。」


 今の殿下の隣にいることに耐えられそうにない私が、切実に申し出ると、殿下は暖かく微笑みかけ、自由を許した。


 彼はそのままこの場を後にする。

 不思議な事にユノはそれを追わなかったが、その違和感を指摘するほどの気力は無かった。

 私に出来たのは、死者の前で祈りを捧げる事で、彼女に許しを乞う事だけだった。


「あぁ、やっぱり好きになっちゃってたか。」


 ルシウス殿下がこの場を去られて、どれくらい経った頃か、不意にユノは沈黙を破った。

 思わず振り返ろうとする私の背にドンと衝撃が有り、腹部へと腕が回される。

 一瞬、刺されたのかとも思ったが、ただ後方から抱擁されただけだった。


「な、何を!?」


 何とかその場に踏みとどまった私は、激昂を露わにしたが、それも長くは続かなかった。


「ねぇ、アイリス。ルシウスはかっこいいけれど、好きになっちゃっ駄目よ?」


 囁きの声に私は心を掻き乱された。

 眼窩の裏に焼き付けられた亜麻色の髪の乙女が、何時ぞや冗談めかして私に言った一言だ。


「今日から貴方は私達の家族よ。心配しなくても大丈夫。ここにはご飯も沢山あるし、貴方を傷付ける人もいないわ。何かあった時は、私も一緒にいるから。」


 続けられたのは、私を拾って下さった時にかつての主君が仰られた言葉。

 私は抵抗することさえ忘れ、呆然とその場に立ち尽くした。

 その言葉をご存知の方は一人しかいない。


「セレノア様・・・・・。」


 震えた唇がその名を呼ぶ。

 見開いた眼から不意に涙が溢れ、頬を伝った。


「辛かったでしょう。私への忠誠心とルシウスへの恋で板挟みになって、誰にも相談出来なくて。」


 甘やかな声音が理性を溶かしていく。


 違う、セレノア様はもういらっしゃらない。彼女はもうお亡くなりになられた。


 そう自分に言い聞かせて首を横に振るが、心までは偽れない。

 許されたいと思う心が、一縷の望みを否定することを許さなかった。


「大丈夫だから。私が何とかしてあげる。」


 夜眠れない子供をあやす様に、慈愛の言葉がかけられる。ゆっくりと毒が巡るように、包み込むような愛が私から抗う術を奪っていく。


「だから、私の元に戻りなさい。」


 そして、私は彼女の忠実なる従者に


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