第7話 傍にいる権利





 休暇明け、俺は奇妙な光景を目の当たりにしていた。


「どうぞ。」

「ふふふ、ありがとう。」


 あのアイリスがユノに対して、甲斐甲斐しく世話をしていたのだ。

 白い湯気が立つ紅茶を自ら差し出し、感謝の声を貰うと、少し嬉しそうに口角を緩め、細長い尻尾を揺らめかせる。

 嫌々、仕事をしているようには見えず、どうにも喜んで世話に従事しているように思える。


(・・・・・洗脳でもされたか?)


 物騒な思考が脳裏に浮かんだが、瞬間的に理性が一蹴した。

 ユノの持つ神器『神妃の指輪ヘーラーズ・リング』に、そんな能力はない。

 あれにあるのは、『誰かへの愛を自らの力に変える能力』と『自身の愛を媒介にして怪物を召喚する能力』の2つのみだ。


 そもそも熟練の神器使いであるアイリスを洗脳するのは、高位の神器使いでも至難の業だ。


 神器の能力は、格上には通用しにくいという原則がある。自分のルールを相手に押し付けられないからだ。


 法律などもそうだが、ルールというのは作るだけでは意味が無い。

 それを守らせなければならないのだ。


 例えば、法律を破った人間は、法によって処罰されるが、法を破った人間を逮捕したり、鎮圧したりするのは、基本的に警察だ。


 裏を返せば、警察がいなければ、法を破った人間は野放しになる。


 そんな状態で、皆が法律を守ると信じるものは、能天気のそしりを免れないだろう。


 何かのルールを強制するには、相手に対する実行能力が必要になるし、その力無くしてルールは存続し続けられない。


 そして、その実行能力が相手よりも劣っているのならば、多少なり相手の力を削ぐことは出来ても、自分の言うことを聞かせる事は出来ない。


(つまり、何かしらの理由があって、意気投合したってことか。結構な事だ。)


 そう結論付けながら、紅茶を一杯口に含む。

馥郁ふくいくとした香りが口の中に広がり、香ばしい熱が鼻へと抜けていく。

 うん、美味い。

 その味わいを目を瞑って楽しみ、余韻よいんが消えると目を開ける。


 そして、本題へと入った。


「今日、君を呼び出したのは、他の勇者達との橋渡しを頼みたかったからだ。」

「良いけど、どうしてだい?別に直接、コミュニケーションが取れない訳じゃないだろう?皆の要望を集めるにしたって、それなりに人望のある人を2、3人集めれば、広い意見は収集出来ると思うよ。」

「その人物との話し合いが拗れない保証は無いだろ。」


 そうなると、交友が途切れ、再度、コンタクトを取る難易度が上がってしまう。

 これから先の難を予想する俺にとって、安全策はなるべく講じておきたいものだった。


「うーん、意味あるかなぁ?」


 顎を人差し指と親指で挟んで、思案げにするユノ。

 どうやら役割の本質を掴み損ねているらしい。


「ユノ様、ルシウス殿下は恐らく、中立の立場の人間をお求めになっておられるのだと思います。」

「あぁ、そういう事か!」


 見かねたアイリスが諌言かんげんを送ると、顎にやっていた手で勢いよく指を鳴らした。

 小気味よい音が部屋に響く。


「てっきり私は君と同じサイドに数えられているかと思っていたよ。」


 少し照れた様子で後頭部を撫でるユノ。

 思い上がりとは言えないだろう。

 少なくとも、彼女の俺への耽溺たんできぶりは、周知の通りであり、俺自身も、彼女が俺の味方もしてくれる事を望んで、彼女に橋渡し役を申し出ているのだから。


「そういう事なら全然、大丈夫。任せておいて。」


 自慢げに張った胸をどんと叩く。

 その衝撃で大きな胸がゆさりと揺れた。

 俺は意図して、視覚の暴力のような光景から目線を逸らし、こくりと頷く。


「報酬の件だが、何が欲しい?」

「デートとかは?結局、まだ行けていないし。」

「却下だ。明らかに釣り合っていない。」


 報酬というのは、本人が良ければ良いというものでは無い。

 有能で功績を立てる人材を、本人が良いと言ったからという理由で、安く雇い続けていたら、その人物よりも功績を立てていない人の給料は、余計に安くしなければならなくなる。


 そうしなければ、能力主義メリトクラシーが成り立たず、頑張っても安く使い潰されるだけと考えて、人材が育たなくなってしまうのだから。


「うーん、それじゃあ、君の傍にいる権利をくれるかい?」


 少し考えた後、ユノは面白いものを要求してきた。

 「ほう」と俺は感心の息を吐き、不敵な微笑をひらめかせる。


「結婚という意味じゃないんだろう?」

「そうだね。流石にそれは無理だと思うから、言葉通りの意味だよ。」

「俺の傍にいる権利。つまり、俺は君を傍におけるように努力する義務を負うし、傍にいる時は君の行動に対して責任を負わなければならない。中々の要求をしてくれる。」


 これは口で言うほど安くない。

 俺の傍にいれば、王侯貴族や大富豪の集うパーティーにも参加する事も有るし、王室御用達の商人とも顔を合わせる事となる。

 彼等と上手くコネクションを繋げられるのなら、巨万の富を手中に収めることさえ可能だろう。


「良いだろう。無理のない範囲で、という条件付きだが、要求を呑もう。」


 好奇心を擽られる面白い要求に満足した俺は、不敵な態度のまま、交渉を成立させた。

 そして、高揚感のままに口走る。


「それとデートは、放課後でも良いのなら、明日にでも行くとしよう。」

「良いのかい?」

「あぁ、問題無い。」


 鷹揚な首肯を返した。

 あれだけ執拗しつように申し込んでいたデートである。

 内心、彼女が当然のように喜ぶであろうと期待していた。


「それなら3人で行こうか。私と君とアイリスで。」


 だからこそ、彼女の言葉には大きく驚かされることとなった。



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