第16話 教師





「すみません、泣いてしまって。」


 嗚咽の残滓を残した声で謝罪する。小さな手で泣き腫らして紅くなった眼を擦りながら、時折、小さく背中をびくりとさせる。


「何があったんだ?」

「いえ、もう大丈夫ですから。」


 サワグチは目も合わせず、掌を突きつけて、拒絶した。

 不貞腐れているとは言わないが、あまり褒められた態度ではない。

 少なくとも、俺は微かな苛立ちを覚えた。


「客観的に見て、大丈夫だと思えない。俺には君を含めた勇者全員を監督する義務がある。」


 こういう事を思うのは、無礼だとは思うが、彼女も良い大人だ。

 自分が大丈夫ではない時には、しっかりと大丈夫ではないと、周囲に伝えて然るべきである。

 でなければ、不測の事態を招く恐れが有るのだから。

 それを変に痩せ我慢して、子供では無いのだから、しっかりしろと思ってしまう。


 腕を組んで話すように催促すると、サワグチは叱られた子供のように項垂れ、悄然と謝罪する。


「・・・・・すみません。」

「謝らなくて良い。ただ、辛いと思った時は俺にしっかりと報告してくれ。」

「はい・・・・・」


 憔悴し切ったか細い声だった。

 それから彼女が口を開くまで、暫く沈黙が流れた。


「正直に言うと、私自身、こっちの世界に来てしまったことを全然、受け止め切れていなかったんです。死んだって話も全然、実感湧かなくて。」


 彼女は、ぽつりぽつりと内に溜まった不満や鬱屈を語り始める。


「でも、先生だからって頑張ったんですけど、私に出来ることなんて殆どありませんし、こっちの世界だと本当は先生でもなくて。」


 彼女の苦悩は目に浮かぶようだった。

 異なる世界に来て、不安になった時、多くの勇者達が、彼女の元を訪れたのだろう。

 心理的な不安を取り除いてくれる。或いはこの状況をどうにかしてくれると信じて。


 だが、当たり前だが、一人の大人が出来る事などたかが知れている。

 特に今回、彼女には、何の権限も与えられていなかった。


 そもそも、彼女が先生であるというのも、勇者達の間でのみ通じる権威であって、 俺達からすれば、彼女は40人の中の1人の勇者に過ぎない。

 出来る事も、40人の内の1人として、俺に声を届けるくらいのものだった。


「そんな中、私ってこれからどうなるんだろうって考えてしまったんです。そしたら、頭の中がずっと不安で一杯になって、他に何も考えられなくなってました。」


 悪夢にうなされるように頭を抱える。

 その葛藤は凄絶なものであったに違いない。

 自分を頼ってくれる教え子達。その存在は彼女にとって嬉しいものであったろうが、同時に重荷でもあったはずだ。


 この異世界について学ばなければならないのは、サワグチも、他の勇者と同じなのだから。

 そして、その為の時間を、教え子達は相談という建前によって奪っていく。

 その影響は成績に反映されるし、成績は就職先へと影響を及ぼす筈だ。


 その苦労の果てに教え子達を導いて、彼女は何を得るか。

 答えは、何も得ない。

 サワグチ・カスミは既に教師では無いし、元教え子達は彼女の子供ではない。

 単なる自己満足と多大な労力の跡のみが手元に残る。


 だが、見捨てるのもはばかられる。

 我が身可愛さに大人が、子供の教え子を切り捨てるのは、不道徳な事だからだ。

 彼女自身の正義感が不義を許さず、罪悪感が一生のしこりとなって残り続けるかもしれない。

 対外的にも、他人に見捨てた事を責められるかもしれないし、教え子に恨まれる可能性もある。


 異世界への恐怖や不安、無力と挫折、犠牲の天秤。

 立て続けに負荷を掛けられ続けた彼女は、遂に袋小路へと追い詰められた。


「そんな不安定な時に戻れないって言われて、パニックに陥ったということか。」


 なんて事は無い。

 誰よりも故郷への帰還を切望していたのは、サワグチ・カスミだったのだ。

 そうする事で、彼女は己を悩ませる全ての事柄から開放される。


「・・・・・」


 分かったような口を聞いたが、サワグチは無言で頷いた。


(さて、どうしたものか。)


 正直に言えば、彼女の心を救うような考え方は提示出来る。

 しかし、見方を変えれば、彼女の心を篭絡し、勇者たちを分断しているようにも映る。

 瞬時に様々な事柄を脳内で計算に掛け、最適解を思索する。


「先ず、話してくれて良かった。悩んでいる内容も大いに理解した。」


 これから少なからず、衝撃的な発言をするので、言葉の緩衝材クッションを敷く。


「その上で、やはり君は自分の事に専念すべきだ。」


 俺は見捨てる対象として、子供の方を選んだ。

 彼女が耳を塞がぬように、なるだけ優しく、労るような声で言葉を紡ぐ。


「この世界での君は、教師では無い。だとするなら、その責任を負う義務も無ければ、権限も無い。そんな状態で、前に出てこられては、状況がより混乱するだけだ。」


 彼女も一度は脳裏に思い浮かんだだろう正論をそらんずる。

 尤も、こんなものは詭弁に過ぎないが。


 何故なら、これを実際に行った場合、負担が大きくなるのは、子供の方だからだ。


 先ず前提として忘れてはならないのは、我々が、取引相手が、信頼に値する相手なのか、勇者側は真の意味で把握していないという事だ。


 まぁ、それは我々側にも言えることだが、我々は、いざと言う時、暴力という手段に訴えることが出来る。

 対して、勇者側は殆ど何も抵抗出来ない。


 そのパワーバランスの中、自己に関する事柄を選択しなければならないというのは、単純にストレスである。


 建前上は、彼女は邪魔であると語っているが、実際のところは、彼女ほど教え子達の心を救ったものはいなかった。

 現実に反する論理を詭弁と呼ばずして、何と呼ぶのか。


(だが、誰かが逃げ道を肯定せねば、彼女の心は真の意味で救われないだろう。)


 だから、これはやはり彼女の為の論理であった。

 彼女が担っている信頼を、我々へと委託する為の筋道の通った建前。

 それに対して素直でいられない彼女の心境を理解しつつも、その選択を取ることは悪いことではないと誰かが言ってやる必要性があったのだ。

 尤も、言い方が悪くなってしまったが。


「・・・・・すみません、もう少し一人で考えさせて下さい。」


 相変わらず、力の入っていない言葉であったが、先程よりも幾分か、肩の荷が降りたように思える。

 サワグチは涙で潤んだ瞳で俺を見上げる。


「あの、また今度、相談してきても良いですか?」

「構わないぞ。何時でもという訳には、いかないが。」


 それだけ確認すると、サワグチはこの場を後にした。

 俺は立つ気力すら湧かず、暫くの間、教室の静けさに癒しを求め、机に突っ伏していた。

 相談される側も楽では無いという皮肉な例であった。

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