第12話 折れる寸前の心
「場違いだな、と思います」
「そうでしょう。当店のショーウィンドウ席も、他の服飾店と事情は同じ。我々も展示する
ところで舞音は、ファッションには全くと言っていいほど興味がない。服選びの際には常に実用性だけを考慮し、メイクも社会に出る上で必要とされる最低限しか施さない。清々しいほどに洒落っ気のない大学生だ。そんな彼女にセンスの高いファッションを求めたところで、そう簡単に実現できるわけがない。
少なくとも舞音は、ファッションの壁は自分には超えられないものだと認識した。何せこれは紅茶の飲み方やタルトの食べ方を身につけるのとは、わけが違う。
マナーを覚えるのには、金がかからない。
しかしファッションには、金がかかる。
それも凝れば凝るほど、膨大に。
ましてやここは、ラフィニ通り。世界的なスタイリストたちが、腕によりをかけて完成させたマネキンがいくつも乱立しているような街だ。それに対抗できるほどのファッションで身を固めようと思ったら、一体いくらの出費になるだろう。時に狂気の沙汰としか思えないほどの根気強さを見せる彼女も、これには諦めの感情に襲われた。
そして、こうなったときの彼女の判断は、実に迅速である。
彼女はスッと真顔に戻った。
「問題があるのは服装ですか。分かりました。ですがそれは、私にはどうしようもありません。仕方がないので、ショーウィンドウ席は諦めます」
あまりの変わり身の早さに、柘植は驚いて目をしばたいた。つい先程まで、あれほど熱心に窓際席を所望していたのに、一体どうしたというのか。彼にはこの困った客の扱いが、ますます分からなくなった。
「本当に良いのですか?」
訝しんで念を押してみたものの、舞音は力の抜けた表情で肯首するだけ。
「はい。私には無理です。もう未練はありません」
まるで今から成仏でもするかのような言い草である。ただの客に対して突っ込んだ質問をするのはいかがなものかと、躊躇していた柘植だったが、これには流石に尋ねずにはいられなかった。
「もしよろしければ、理由をお伺いしても?」
質問を受けた舞音も、しつこくショーウィンドウ席を要求した手前、答えないのは不誠実だと感じた。だが、ショーウィンドウ席を諦めた理由は、人に話せるほど立派なものではない。彼女はそう考え、適当に肩をすくめる。
「私、ファッションのことはよく分かりませんから」
「何をおっしゃいますか。ファッションにも理論があります。分からないなら学べば良いのです。駒井様は随分と根気強いお方のようですから、すぐに学び取ることができますよ」
「いや、でも・・・・・・」
なおも煮え切らない反応を示していると、柘植の諭すような口調が熱を帯び始めた。
「私は何も、高級な服を着ろと申し上げているわけではございません。最近では、低い価格帯の商品でも、質の高いものがたくさんあります。その中から、駒井様の雰囲気にも、当店の雰囲気にも合致したものを、選んでいただければ良いのです。どうです、できる気がしてきませんか?」
最初は舞音の方が窓際席に座りたいと言って聞かなかったのに、今や何故か立場は逆転。柘植が舞音のことを、何とか諦めさせまいとしている。
しかしこの不思議な状況も、舞音の心を動かしはしなかった。
そもそもの話として、ショーウィンドウ席に座れたからと言って、彼女に実益があるわけではないのだ。これは単なる彼女の自己満足。自己満足のためにかけられる労力は、どれほどの暇人であっても限りがある。
彼女はこの会話を終わらせるため、正直に本当のことを言うことにした。
「習得可能か否かの問題ではないんです。今はたまたま、一週間おきにこんな高級なカフェを訪れていますけど、本当はたくさんの服を買い揃えられるほど、生活に余裕はありません」
舞音の潔い物言いに、柘植はようやく説得をやめた。彼は残念そうに声のトーンを落とす。
「押し付けがましい真似をしてしまい、大変失礼いたしました」
「いえ。こちらこそ、先ほどはついカッとなって大声をあげてしまって、申し訳ございませんでした」
舞音はぺこりと頭を下げる。再び顔を上げたときには、柘植は何やら思案げな表情をしていた。それを見た舞音の心に込み上げてきたのは、切なさという感情。ショーウィンドウ席を諦めるなら、もうこの店には来ないかもしれない。そう思うと、この憎たらしい店員ですら、急に名残惜しくなったのである。
しかし、いつまでも店員のことを見つめ続けるわけにもいくまい。舞音は背を向けると、開け放たれた扉からカフェを出る。
だが、次の瞬間、彼女はその肩をピクリと反応させ、目を見張ることになった。なぜなら、閉まりきる寸前の扉のわずかな隙間から、柘植の盛大な独り言が漏れ聞こえてきたのである。
「諦めてしまわれるなんて、本当に残念です。当店には、ショーウィンドウ席に案内されたお客様だけに振る舞われる『特別メニュー』もございますのに。ああ、ぜひ駒井様にも当店自慢の『特別メニュー』を味わっていただきたかった・・・・・・本当に、残念でなりません!」
カランとベルが音を立て、扉は閉まった。
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