第17話 柘植の思惑
「そりゃあ、そうでしょう。初見の客はダメ、所作が美しくない客もダメ、外見が美しくない客もダメとなると、この席に座れる客なんて、ほんの一握りしかいないはずです」
ど正論である。
「おっしゃる通りでございます。たしかに、この事態の原因は、我々の選抜基準が高すぎること。しかし私どもとて、妥協するわけにもいきません。ほら、ご覧になってください」
彼は店の外、ラフィニ通りの風景に目を向けるよう、舞音に促す。
すると彼女の目に映ったのは、大理石で統一された美しい建物群。その一つ一つには、世界レベルのブランドショップが鎬を削り、その大きなガラス窓の向こうにはハイセンスなマネキンたちがポーズをとる。店の前を歩く通行人たちも、決して引けを取らないほどに洗練された面々ばかりだ。
そして彼らは周囲のマネキンたちに、ほとんど注意を払わないまま歩み去っていく。
「このショーウィンドウ席は、ラフィニ通りを行き交う方々の興味を惹くために、設置したものです。しかしそれが如何に難しいことか、この光景を見ていただければ、すぐにお分かりになるでしょう。広告作りに少しでも粗があれば、彼らはたちまち見抜きます」
舞音は頷いた。
もし半年前のあの日、窓際席に座っていたのがあの優美な女性ではなかったら。
そこにいたのが、粗相の多い、冴えない人間だったとしたら。
彼女はここまでCafe Boutiqueに執着していなかったかもしれない。
カフェの窓際席。
それは、店の看板を背負う一大広告。
そしてそこに座する客は、その魅力を体現する生きたマネキンなのである。
柘植は視線を舞音に戻すと、狡賢そうにニヤリと笑った。
「しかし、あなた様ならきっと、街を行き交う人々の心を華麗に射抜いてくださるでしょう?」
そのとき舞音の脳内にありありと映し出されたのは、これまでの彼の数々の言動である。
彼女がショーウィンドウ席に興味を示していることを知って、客の選抜基準などという、通常は絶対に店員が口にしないようなことをあえて説明したこと。
初来店時の失態の後も、舞音がショーウィンドウ席に対する闘志を漲らせていると気づいたとき、心底嬉しそうに笑ったこと。
そして諦めようとする彼女を諭し、わざわざ特別メニューまでちらつかせて引き留めたこと。
それらの真の意図に気づいた舞音は、その背筋に戦慄を覚えた。
これらの行動は全て、駒井舞音という新品のマネキンを仕入れるための、布石だ。彼はそれだけのために、半年にわたって、飴と鞭を巧みに操り、彼女の闘志を煽っていたのだ。
きっと彼はこれまでにも、新しいマネキンをショーウィンドウに誘い込むたびに、同じようなことを繰り返してきたのだろう。
これには舞音も唖然となった。そこまでの労力をかけて客を広告に仕立て上げるぐらいなら、マネキンと食品サンプルでも置いておくほうが、よほど効率的である。それにも関わらず、ショーウィンドウ席にそんなにも拘り続けるとは、舞音自身の執念深さも相当なものであるが、柘植のそれは同レベル、いやそれ以上だ。
まさに目眩がするほどの偏執っぷりである。
しかしそのことに気づいても、彼女は不快な感情を抱かなかった。それどころか、気づけば彼女自身の目元にも、共犯めいた不気味な光が宿っている。
舞音は鷹揚に頷いた。
「もちろん。射抜いてみせますよ。今日はそのつもりで来たんですから」
力強く、自信に満ちたその声に、柘植は強い確信を得た。
彼は数多い客の中から、次なるマネキン候補として舞音を選んだ。
諦めの悪そうな性格に可能性を感じていたのだ。
その見立ては、間違っていなかった。
いや、もしかすると今の状況は、彼の見立て以上かもしれなかった。舞音が初めてこの店にやってきたとき、まさか彼女がここまで理想的な宣材になるとは、流石の彼も想像していなかったのである。
柘植の心の奥底から、何物にも変えがたいほどの達成感と幸福感が湧き上がってきた。その爆発的な感情が溢れ出し、彼の口角がにんまりと吊り上がる。
柘植は、未だ唖然としている舞音に — 自分史上最高に出来のいいマネキンに向けて、恭しくお辞儀をした。
「ご理解いただき、ありがとうございます。そしてこれからも末永く、変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます