第16話 前人未到
念願のショーウィンドウ席は、三つとも空席だった。
「今ならお好きな席を選んでいただけますよ」と
最も近くにある席は、ショーウィンドウを外から見ると右端にあたる。初来店の日、オフショルダーを着こなす女性がいた席だ。
そして次に近いのは中央の座席。舞音が二回目に訪れたとき、彫刻と見紛うほどの美男美女が談笑していた席である。
最後に一番奥。外から見て左端に位置するその席に、誰かが座っているところを、舞音は未だかつて見たことがない。
「私、あそこにします」
彼女は柘植の返事も待たず、すたすたと最奥の席へ向かった。柘植はその後ろを、まるで何年も連れ添った従者のように静かについていく。美しくなった舞音の後ろ姿に、彼は満足げに目を細めた。
舞音は席に着くと、恍惚とした表情で柘植を見上げた。
「ああ、やっと夢が叶いました。今、私、これ以上ないぐらい幸せです」
彼は舞音の右前に立ち、柔和な笑みを浮かべる。
「左様でございますか。それはよかったです。私としても、駒井様にこのお席をご案内できたことを、大変嬉しく思っております」
「本当に?」
舞音は思わず、試すように聞き返した。
丁寧な態度を取りつつ裏では客を選別し、さらにはその過程を楽しんでいるような男だ。彼女は、この捻くれ者が、そう簡単に人の幸せを喜ぶはずがないと、無意識に失礼な推論を働かせていたのである。
しかし今度ばかりは、柘植の瞳には、嘲笑の色も審判の光も見受けられない。代わりに舞音が見てとったのは、純粋な喜びと、一種の誇らしげな感情だった。
彼女はそれが可笑しくて、ふっと短い笑い声をもらす。
「どうして柘植さんまで、そんなに嬉しそうなんですか。ここで働いていれば、客をショーウィンドウ席に通すことなんて、日常茶飯事でしょう」
しかし柘植はやや芝居がかった調子で、肩を落とした。
「それが、そうでもないのですよ」
なぜ彼がそんなことを言うのか分からず、舞音は困惑した面持ちで次の言葉を待つ。すると柘植は物憂げに尋ねた。
「駒井様は、ショーウィンドウ内が満席となっているところを、ご覧になったことがおありでしょうか?」
彼女はハッとなった。言われてみれば、初来店時も、二回目も、埋まっていたのは一席だけ。他は空席だった。
舞音が「いいえ」と首を振ると、柘植は続けた。
「それもそのはずです。実を言うと、ショーウィンドウ席は、開店以来、満席になったことがありません。それどころか、お客様が一人もいらっしゃらないことも、しばしばです。この席は常時、人手不足なのです」
さも残念そうに、柘植は盛大なため息をつく。
しかし舞音は、言わずにはいられなかった。
「そりゃあ、そうでしょう。初見の客はダメ、所作が美しくない客もダメ、外見が美しくない客もダメとなると、この席に座れる客なんて、ほんの一握りしかいないはずです」
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