第9話 至高のティータイム

 さて、猛特訓の甲斐あって、今度の舞音まねはひと味違った。相変わらず窓に面していない席に案内された彼女は、前回は挙動不審だった注文を、まるで何年もそのカフェに通い詰めているかのように完璧にこなしてみせた。


 彼女が頼んだのは、前回と同じケーキと紅茶のセット。ケーキの種類はもちろん、散々練習してきたフルーツタルトだ。そして紅茶にはダージリン・セカンドフラッシュを選んだ。これは彼女が先日、ストレートでも飲みやすい紅茶として、専門店から調達したのと同じ種類の茶葉である。


 ここでレモンに合うニルギリも、ミルクに合うディンブラも選ばなかったのは、後続の作業を簡単にするためである。というのも、レモンやミルクがついている紅茶は、それらを紅茶と混ぜ合わせる際に、こぼしてしまう危険性がある。そんなアクシデントが発生しては、いくら美しい所作でタルトを食そうが全てが台無しだ。しかしダージリンをストレートで飲むのなら、そういった心配は無用である。


 注文をとりに来た女性店員が立ち去ったのを確認し、舞音はどうだと言わんばかりに胸を張った。目だけを動かして店内を見回すと、他の客の席から空いた皿を下げている柘植つげと目があう。彼は相変わらずの鋭い視線を彼女に送っていたが、その口角はいつもより少しだけ上がっていた。


 舞音は心の中で、優勝したレスラー顔負けのガッツポーズを決めた。


 その後、注文した商品がテーブル上に全て並ぶと、彼女は熱いうちに紅茶をカップに注いだ。その際、ポットに触れるのは右手だけ。片手でポットを扱うのが、紅茶を注ぐ時のマナーである。やがてカップからは、ダージリンの香りがふわりと立ち上った。


 それから彼女はティーカップに手を伸ばす。このときも、カップに添えて良いのは片手だけだ。それに持ち手部分に指を通すのも、好ましくないとされている。人差し指、中指、親指を使ってつまむように、そっとカップを口につける。すると深いコクのある温かな液体が、舌の上をとろけるように流れていった。


 ここまで、紅茶の扱いは完璧である。


 次はタルトだ。Cafe Boutiqueでは、ケーキを注文した客にはフォークだけでなく、ナイフも提供している。前回、舞音はこのナイフの存在に気が付かず、フォークだけでタルトを完食した。しかし店側がわざわざナイフを用意しているということは、それを使って食べるのが一般的なマナーである。


 彼女はナイフとフォークを手に取り、三角形のタルトの先端に向けた。三角形にカットされたケーキは、尖った部分から食べるのが正しい所作と言われているからだ。前回、大いに迷わされた「タルトどこから切ればいい問題」は、彼女の中ではとっくに終止符が打たれていた。


 彼女は豪勢に盛られたフルーツ同士の隙間を狙って、ナイフを滑り込ませる。右手に力を込めると、タルトは簡単に切れた。その際、ちょこんと載った苺が落ちることもなければ、皿とナイフが甲高い衝突音を立てることもない。前回あれほど苦戦した切断作業は、実に静かに遂行された。その出来に満足しながらタルトを口に運ぶと、みずみずしい甘さとサクッと焼き上げられた生地が、舌の上で溶け合った。


 これぞ至高のティータイム。


 彼女は誰にも悟られぬように静かにほくそ笑み、優雅なひとときを満喫した。


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